交響曲第一番 の商品レビュー
どこまでが本当でどこまでが嘘なんだろうと、読んでてつらい気持ちになった・・・ 母からピアノスパルタ教育受け10歳でソナタとコンチェルト終えたこと。原因不明の偏頭痛の発作、耳鳴り… ある少女との出会いからうまれた交響曲。 フィクションとして読めばおもしろいか。いろんな意味で聴覚障...
どこまでが本当でどこまでが嘘なんだろうと、読んでてつらい気持ちになった・・・ 母からピアノスパルタ教育受け10歳でソナタとコンチェルト終えたこと。原因不明の偏頭痛の発作、耳鳴り… ある少女との出会いからうまれた交響曲。 フィクションとして読めばおもしろいか。いろんな意味で聴覚障害とクラシック音楽の良し悪しを見る目について問題提起してくれたのかもしれない。 この関連の報道をあまり追うのもと思いつつ、ついみてしまう。。 現在ではプレミア付きだとか。
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読んでいると嫌な気分になるくらいに悲惨な出来事が次々と起こるわけだが、どこからどこまでが嘘なのか。まあ大体は嘘なんだろうが、ここまでのセルフプロデュースをやろうと思うことがすごい。まあ他にもたくさん協力者がいるのかもしれんが。
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思ったより重いような軽いような・・・ ↑と思ったら他人の作曲とは・・・!この本の作曲エピソードはなんなんだろう。
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あまりの悲痛な叫びに何度も胸を打たれる。 佐村河内氏の出会いはテレビでの放映。3.11で親を失った少女との出会いからピアノ曲を創作した佐村河内。本人は音が聞こえない、様々な発作で自宅で歩く事さえ困難な状況。 東京ミッドタウンでイベントがありそれを見に行った。あまりの悲痛さに去りが...
あまりの悲痛な叫びに何度も胸を打たれる。 佐村河内氏の出会いはテレビでの放映。3.11で親を失った少女との出会いからピアノ曲を創作した佐村河内。本人は音が聞こえない、様々な発作で自宅で歩く事さえ困難な状況。 東京ミッドタウンでイベントがありそれを見に行った。あまりの悲痛さに去りがたかったが、本書を手にした。 「一を得るために九十九を捨てる。(中略)一とは私が追い求める真実の音『闇の音』であり、九十九とはそれ以外のすべてです。」 吹奏楽のために作曲した「吹奏楽のための小品」を演奏した高校が総合グランプリを受賞したストーリーで涙がこぼれた。 あまりの困難に読みながら苦しくなる。 ぜひ佐村河内さんの音楽を購入して聞いたいただきたい。
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内容が薄くて驚きました。 読みづらい「ですます」調。 (は自伝だからしょうがないのか?) 細かな章立て に伴い、それぞれの話に深みがなく、感動もない。
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読み終わったので、これまで書いたことも含めて書いておこう。 いずれstudiokeiにも詳しく書くので、ここには概略のみを記す。 著者の交響曲第一番がクラシックとしては異例の売上を記録しており、また演奏会も頻繁に行われている。 またピアノソナタの演奏会も同様に全国で開か...
読み終わったので、これまで書いたことも含めて書いておこう。 いずれstudiokeiにも詳しく書くので、ここには概略のみを記す。 著者の交響曲第一番がクラシックとしては異例の売上を記録しており、また演奏会も頻繁に行われている。 またピアノソナタの演奏会も同様に全国で開かれている。 だからこの本が出されたという訳では無い。元の本は6年前に講談社から発売されているからだ。もちろん上記のような状況から文庫化されたものと思われる。 エピローグから引用する。これは文庫版の帯にも書かれていることではある。 「人は光の中にいると、小さな光は見つけにくいものです。だから次から次により強い光を求めてしまいます。 人は闇に堕ちて初めて。小さな光に気付くのでしょう。 (中略) 真実は闇の中にこそ隠されている-宝物は決して光の中でなく、闇の中にこそ巧みに隠されているように。」 これが私の一番のポイントである。 色々と苦労した話を、苦労した、と書いているように取り違える人がいると思うけれど、決してそうでは無いのだ。 苦労している段階で、ある程度作品が出来上がった段階で、それでも自己満足的に作品が出来て喜んでいるが、人には伝えることが出来ない、というある種の絶望感も含んだ書物であると思う。 絶望というより諦念といったらいいのだろうか、作った作品が演奏されることは無いだろうという気持ちのもとで書かれている書物である。 だから苦労話で稼ぐだの名前を売るだのと言う地点からは超絶した地平で、淡々と、でも劇的な反省を綴っている作品である。 同じようなことを人は追体験することは出来ないけれど、その生き方あるいは音楽に対する求道の姿は、私の生きるに際してのひとつの手本となるように思う。 もっとも著者よりも十数年年上である私は逆に本当ならば著者の手本にならなければならないのだが・・・
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なぜそんなに苦しまなければならないのか。壮絶な人生に衝撃を受けた。そんな苦しみの生活の中での、著者の作曲にかける気概、そして周りの人たちに対する感謝の心が強く印象に残った。つらいけど、希望を与えてくれる本。
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原因不明の難聴を患った著者が、時に神を呪いながらも、人生の目標へ進んで行く軌跡を描いた作品。挫けそうな時に読むと、一筋の光明が見えるのではないか。
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生きることは「生なのか死なのか?」 言葉では言い表しようのない感動が心の底に沈んでいった。 挫折しそうになった時に、そっと見守ってくれるのは、社会の底辺で生きていく 人たちであり、その人達こそが人生に立ち向かい生き抜いている。 佐村河内は言う 「苦しみ支えになる音楽・・・ ...
生きることは「生なのか死なのか?」 言葉では言い表しようのない感動が心の底に沈んでいった。 挫折しそうになった時に、そっと見守ってくれるのは、社会の底辺で生きていく 人たちであり、その人達こそが人生に立ち向かい生き抜いている。 佐村河内は言う 「苦しみ支えになる音楽・・・ それは、誰よりも苦しみ闘った者の手からしか決してうまれないのだ!!! そんな音楽を成しえたいと望むのなら、その『闇』に満足し、そこにとどまれ! 「音楽は祈りである」と佐村河内は言う。 心も体も傷つきながら何故そんなに前に進まなければならないのか? 答えは本人しかわからない・・・・ 《本文より》 自分を闇に突き落とすべき相手と真理への感謝を捧げる相手と、 苦痛から救われるために祈る相手・・・。 その三者は「同一の存在」だったのです。 また、闇の中で私に真理を与えた、しおの祈りが向かう先も、 結局のところ私の感じる神と同一の存在だったのです。 それに気づいたとき、私が『神』と読んできたものの、 その存在の大きさを嫌というほど思い知らされました。 最終的に私が得たものとは、その大きな存在(神=運命)に 身を委ね、苦痛を忍び、祈りながら、「闇の音」を紡ぎ続けるほか 道はないと知るばかりです。 苦しいのは私だけではない。病気が苦なのでは断じてない。苦は 生のあらゆるところから無限に発し、人はそれぞれの戦いを強いられて いる。私より理不尽で苦しい闘いを強いられている人はごまんといる。 わたしは、その人達のためにも、甘んじてこの闇にとどまり「闇の音」 を追い求めたい。 真実の音はこの闇でしか得られないのだから・・・。
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