弁証法とイロニー の商品レビュー
ドイツの思想史において、ドイツ観念論の哲学者であるヘーゲルの「弁証法」と、ドイツ・ロマン派の論客シュレーゲルの「イロニー」の概念は、密接なかかわりをもっています。ところが日本の思想史研究のなかでは、この二つの概念が関連づけて論じられることはまれでした。本書は、じつは近代日本の思想...
ドイツの思想史において、ドイツ観念論の哲学者であるヘーゲルの「弁証法」と、ドイツ・ロマン派の論客シュレーゲルの「イロニー」の概念は、密接なかかわりをもっています。ところが日本の思想史研究のなかでは、この二つの概念が関連づけて論じられることはまれでした。本書は、じつは近代日本の思想史においても、「弁証法」と「イロニー」の概念は、けっして遠くへだたったものではなかったということを明らかにし、近代日本思想史の分断を架橋することをねらっています。 近代日本哲学のなかで「弁証法」をみずからの思想の重要な概念として採用したのは、哲学者の田辺元でした。一方「イロニー」は、日本浪漫派の保田與重郎によって主題的に論じられてきました。本書は、一見遠くへだたっているかに思えるこのニ人をつなぐ位置にある思想家として、三木清をとりあげます。三木は、一方ではマルクス主義に人間学的な発想を導入するとともに、他方ではロゴスとパトスの媒介という発想に基づいて文学の分野における評論活動をおこなっています。そして著者は、若き日の保田が、この三木の思想から影響を受けていたとしています。 こうして、田辺の哲学と保田の文学が三木によって架橋されることが明らかにされますが、さらに著者は、戦後の田辺がマラルメの詩などに大きな関心を寄せていたことに触れて、日本の思想史のなかで「弁証法」と「イロニー」の両概念が予想以上に近いところに位置していたと論じています。 このほかにも、かつて宇野弘蔵と並び賞された経済哲学者の梯明秀や、田辺に将来を嘱望されながらも夭逝した松下武雄の思想、さらに保田と近い位置にあった萩原朔太郎の晩年の日本回帰の理由など、日本思想史の隠れた水脈が掘り起こされています。
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【由来】 ・図書館の講談社アラートで 【期待したもの】 ・哲学への見通しというか 【要約】 ・ 【ノート】 ・
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