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正統と異端 の商品レビュー

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3件のお客様レビュー

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2018/04/19

最初の2/3は叙品、今で言う任命責任論の変遷と緊張だ。記述が細かすぎて読むのが嫌になる。著書もその最後のくだり(第5章)で日本でも世界でもなじみの薄い議論と断っている。 その後から、イノケンティウス3世の具体的な異端対策の歴史となり、俄然面白いのだが、前段との繋がりは定かでない...

最初の2/3は叙品、今で言う任命責任論の変遷と緊張だ。記述が細かすぎて読むのが嫌になる。著書もその最後のくだり(第5章)で日本でも世界でもなじみの薄い議論と断っている。 その後から、イノケンティウス3世の具体的な異端対策の歴史となり、俄然面白いのだが、前段との繋がりは定かでない。 まあ、原点が一緒ならば純粋性は活かすことができる。高位者の反対さえ凌げば。 ・異端はきわめてラディカルな理想主義の形態をとる。57p。 ・閉鎖主義の中でのアジテーションの凄まじい効果。189p

Posted byブクログ

2022/01/18
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※このレビューにはネタバレを含みます

堀米庸三『正統と異端』中公文庫,2013(初版1964年):中世ヨーロッパの秘蹟論争を中心に、正統と異端について論じたもの。キリスト教の法王・司教・司祭などがみな「聖職者」としてふさわしい人ならば問題はないのだが、中世には聖職売買や蓄妾など「瀆聖聖職者」が非常にたくさんいた。これらを一掃しようとしたのが、レオ9世にはじまり、グレゴリウス7世のときにピークをむかえる「グレゴリウス改革」である。「瀆聖聖職者」の問題はキリスト教公認前から存在した。要するにローマ帝国と妥協した聖職者をボイコットして、「瀆聖聖職者」の行った「洗礼」や「叙階」を無効とか呪いとか考えて、やり直すという話になってくる。この立場を「人功論」という。つまり、しかるべき人間に儀式をやってもらわないと効果がないと考える人々である。これに反対したのが、アウグスティヌスらで、しかるべき手続きを踏めば、誰がやろうと効力があるとする「事功論」の立場である。カトリック教会はドナティスト論争などをへて「事功論」を正統とするのだが、グレゴリウス改革を推し進めた人々は「人功論」の立場をとって、腐敗聖職者の綱紀を粛正した。まずいことに、民衆にも聖職者の腐敗をアジテーションしたため、都市の発展とあいまって、「異端」が雨後の竹の子のようにでてくることになる。つまり、腐敗聖職者に儀式をしてもらっても効果がないなら、自分たちで儀式をするとか、自分たちこそ使徒のように生き、宣教をしようとする大まじめな人々がいっぱいでてきちゃったのである。マニ教の流れをくむ「カタリ派」やプロヴァンス語で聖書を訳していた「ヴァルド派」などが代表的である。このグレゴリウス改革の後始末をした人がイノケンティウス三世で、どうしても説得できないカタリ派には「十字軍」をだして弾圧し、「使徒的異端」に対応するために自らも「使徒的生活」をする托鉢修道会(ドミニコ会・フランシスコ会)などが成立してくる。「中世的言論の自由」、つまり「説教の自由」の問題や、「教会の俗権からの自由」を制度化した「クリュニー会」など興味ぶかい話が多いが、「カノッサの恥辱」の経緯とか、当たり前のことは省いていて、他の本で復習しないと分からない。まあ、日本でも「ナマグサ坊主にお経あげてもらって成仏できるのか」とか「葬式ビジネスに死者への尊敬がかける点がある」とか思う人も多いんじゃないかと思う。宗教の周辺には、どうしても人徳論が作用してしまうのである。

Posted byブクログ

2013/05/12

本書は個人的には高校時代、世界史担当で担任でもあった恩師から、授業の参考書の一冊として紹介された著書でした。 その時読んだ「中公新書」版は最初難解でしたが、何回か読み返した後、欧州世界の形成過程の思想的・政治的背景に迫る著者の意図が分かった時の感動は忘れられません。

Posted byブクログ