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現代霊性論 の商品レビュー

4.2

18件のお客様レビュー

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2018/12/22

 現代の「霊性」について語る対談集。  既存の宗教から、新宗教、カルトまで、かなり幅広く網羅されていて、かなり面白かった。  現代の「スピリチュアル」は自己変容や神秘主義を重んじ、なおかつ「メタ宗教・宗教の源泉」として宗教よりも上位に位置づけることが多い、等、興味深い指摘が多か...

 現代の「霊性」について語る対談集。  既存の宗教から、新宗教、カルトまで、かなり幅広く網羅されていて、かなり面白かった。  現代の「スピリチュアル」は自己変容や神秘主義を重んじ、なおかつ「メタ宗教・宗教の源泉」として宗教よりも上位に位置づけることが多い、等、興味深い指摘が多かった。

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2017/09/27

現代霊性論 内田樹25冊目 霊性というものが科学的なものかどうかは一旦“判断を停止”して、人々に現象として与えている影響等を分析する現象学的なアプローチから、宗教や共同体の慣習について論議している。死に対する態度というものは往々にして世界でも普遍的な要素が多く、面白い。 ・墓に...

現代霊性論 内田樹25冊目 霊性というものが科学的なものかどうかは一旦“判断を停止”して、人々に現象として与えている影響等を分析する現象学的なアプローチから、宗教や共同体の慣習について論議している。死に対する態度というものは往々にして世界でも普遍的な要素が多く、面白い。 ・墓について:西洋では身心二元論が一般的であるが、アジアでも儒教では身心二元論的な考え方をしていて、死後も魂のよりどころとして位牌が作られる文化があった。それが日本に通じて、墓が作られる。場が持つエネルギーについても面白い。繁華街というものはもともと霊的なエネルギーが強すぎる為、人が住まないことを理由に市場としての役割を与えられたところ。また、河原も元は死体の集積所であったために霊的エネルギーは強い。 ・名づけることは呪うこと。これは面白い。名前を付けるという行為が、縛りをもたらす効果について。確かに「何々病」とつけると途端にそのような症状が出てくることはよくある。寝ながら学べる構造主義でのソシュールの項では、西洋には「肩がこる」という言葉が存在しないため、肩がこらないという話があったが、その話もこの類だろう。また、明治時代に苗字帯刀というムーブメントがあったが、これは今まで個人としての名前が重要視されなかった村社会から、国家と一対一対応の紐帯(ある種の呪い)が結ばれた瞬間であるという。さらな、かつて名前を他人に知られることを忌む文化があり、官職や地名で呼ぶことが多かったのも、名前を知られると呪いをかけられるという通念からである。漫画デスノートも「名前を書かれたら死ぬ」ノートであり、本質的には呪いである。 ・宗教ブームの構造分析だが、オウム真理教は内部に整然としたヒエラルキーを作ったことによって、「表」の社会で思うように昇進できない人々を包摂した。信者は徐々に上がっていくランクに満足感を抱き、そちらに嵌まっていく。ラーメン二郎を愛好する人々には宗教的なまでに厳格なルール(早く、無言で食べることや残さないこと)があるが、「表」の世界ではデブ等の罵声を浴びる人が、ジロリアン内で共有される価値観では奨励され、二郎の世界に嵌まっていくのかもしれない(単純にうまいというのも理由だが)

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2016/09/14

WHOが霊性を憲章に盛り込んだ的な話は良く目にしてたけど、結局欧米の反対で否決されたっていう後日談は知らなかった。 あとポリティカルコレクトネス的な葬儀場でのお清め塩配布無しの配慮に内田が怒ってたのに対して、浄土真宗の釈がむしろ、浄土真宗も死は穢れではないという本来の仏教の立場か...

WHOが霊性を憲章に盛り込んだ的な話は良く目にしてたけど、結局欧米の反対で否決されたっていう後日談は知らなかった。 あとポリティカルコレクトネス的な葬儀場でのお清め塩配布無しの配慮に内田が怒ってたのに対して、浄土真宗の釈がむしろ、浄土真宗も死は穢れではないという本来の仏教の立場から塩はやめましょうとな立場という話を持ち出した所が面白かった。

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2023/12/06

本書は二〇一〇年二月に講談社より刊行された単行本を加筆したものです。 二〇〇五年九月から半年間、神戸女学院大学で行われた「現代霊性論」の講義録をもとに加筆、編集したものです。

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2014/12/24

宗教だとか霊性だとかっていうのはよくわからないけど、どっかでいろんな大切なこととつながっているんやろうなぁ、ということを思った。 このお二人が本書のなかでしゃべっていることも、人間にとってとても大切な作法のはず、なんやと思う。

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2014/08/20
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面白かった。 真に宗教的な人間は宗教団体から勧誘は受けないそうである。 宗教的であっても宗教団体に属せない人間がスピリチュアルに行くというのは本当だと思う。 村上春樹氏が世界中で読まれていることにちょっと触れて、世界文学になるような作品は「どうすればいいかわからないときに、どうすればいいか」という難問を扱っている・・とのこと。 へーそうなの!と単純に驚いたが、そういえばそうかな? 御二方の闊達な考察に刺激を受ける。 靖国神社の問題も、もう少し自分の中で整理してみたい。 (本当は日本のマスコミが、毎年騒ぎたてるからややこしいことになっただけだと思うけど。)

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2014/07/13

全体的に興味深く読めました。 従来の宗教と新興宗教の考え方の違いやら、スピリチュアル系列の思想団体とか、わかりやすく話されていますね。 思想家の方がちょっと自分の意見を押しつけ気味なところがありますが、ま、それが思想家ってことでしょうか。 住職さんの方の話とバランスをとりながら読...

全体的に興味深く読めました。 従来の宗教と新興宗教の考え方の違いやら、スピリチュアル系列の思想団体とか、わかりやすく話されていますね。 思想家の方がちょっと自分の意見を押しつけ気味なところがありますが、ま、それが思想家ってことでしょうか。 住職さんの方の話とバランスをとりながら読んで、何とか中立って感じ。 新興宗教とかにはしるぐらいなら、こっちを読んだ方がずっと宗教的に考えられるようになるんじゃないかな。

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2014/05/04
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

・武道では「胆力」と言うんですけど、「驚かされちゃいけない」ということを教える。「驚かされない」ための秘訣は、いつも「驚いている」ことなんです。「驚かされる」は受け身の経験だけれど、「驚く」は能動的経験でしょう。自分から進んで驚く。「へえ、こんなことがあるんだ」「これはびっくり」というふうに、説明できないことを日常化していれば、人知を超えるような経験にたまさか遭遇しても「そういうことってあるよね」で済ませることができる。 ・「たそがれ」という言葉がありますね。もともとは「誰そ彼」から来ています。Who is he?ということですが、そこに誰かがいることはわかるのだけれど、誰であるかが特定できないという状況。だから、「逢魔が時(大禍時)」とも言う。悪魔に出会うのはそういう時間帯ですよね。昼と夜の境界線上に、この世のものかあの世のものか、私の知っている人か知らない人か、どちらかわからないもの、帰属が判然としないものが現れてくる。 ・境界を通過すると、私たちは何か別のものになる。 ・死ぬというのもそれと同じで、たぶん死の瞬間に「なるほど、私の人生の『あれ』は『こういうこと』を意味していたのか」と、それまでわからなかったすべての伏線の意味が明らかになるはずなんです。少なくとも、僕たちはそう信じて今生きている。そう信じなければ生きられない。そう信じていないと推理小説を読むことがができないのと同じで、だって、結末まで読んでも、犯人もわからないし、密室トリックも解明されない。「かもしれない」と思っていたら、僕たちは誰も推理小説なんか読みませんからね。「最後にすべては解明されるのであるが、その答えは私が想像していたものとはまったく違うものである」という確信だけが推理小説を読む快楽を担保している。生きる快楽を担保するのも同じ「不可知」だと思うんです。死の瞬間に「え、死ぬってこういうことだったの!」という発見が意外であれば意外であるほど、その人の人生は「出来がいい」ということになるでしょう。 ・僕らは直線的、不可逆的に時間を進んでいって、過去はどんどん忘れられてゆくと思っているけれど、実はそうじゃない。進みながら戻ったり、全容が俯瞰できたと思ったら、視野が狭窄したり。時間は進んだり戻ったり、伸びたり縮んだりしているような気がします。だから、死というのも、そういうダイナミックな時間意識の中でとらえるべきじゃないかと思うんですよ。

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2014/02/06

宗教、オカルトについて語られた対談による講義集。 【引用】 「悟り」のもたらす満足感は「迷い」が深ければ深いほど大きいわけだし、いつか必ず「悟り」に達するという確証がなければだれも「迷い」さえしないですよ。  ~内田樹

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2013/10/09

むらいさんにお借りしました。内田先生と浄土真宗のお坊さん・釈徹宗さんが大学で行った講義を本にしたもの。 霊性、スピリチュアリティというのをキーワードに、現代の各宗教について、日常にある占いや「いただきます」といった行為が持つ宗教的(霊的?)意味について考察。靖国とか、オウムとか、...

むらいさんにお借りしました。内田先生と浄土真宗のお坊さん・釈徹宗さんが大学で行った講義を本にしたもの。 霊性、スピリチュアリティというのをキーワードに、現代の各宗教について、日常にある占いや「いただきます」といった行為が持つ宗教的(霊的?)意味について考察。靖国とか、オウムとか、話題が幅広。現代宗教の体系図も。おもしろいです。 印象に残ったのは・・・ ・「賢しらに」宗教性を否定することの憎たらしさ(「無宗教葬」の傲慢さ、六曜入りカレンダーと安息日としての日曜日、女人禁制の山と性同一性障害) ・「自分」「自己」が確立するほど幸せを感じづらくなる ・いったん自己を潰す方法 ・イヤホンは都会で暮らしていく上であえて感覚を鈍らせるツール (さわ)

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