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「思想」としての大塚史学 の商品レビュー

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2013/08/15

60年代にそしてまだ70年代も輝きを放ち、憧れた大塚久雄の世界。マルクスとヴェーバーの重なり合い、対応しているという大塚の問題意識もまた、私にとっては当時新鮮だった。「儒教とピューリタニズム」における外面的・内面的品位の主張、平民宗教と支配者宗教の2重構造、比較文化の観点からも関...

60年代にそしてまだ70年代も輝きを放ち、憧れた大塚久雄の世界。マルクスとヴェーバーの重なり合い、対応しているという大塚の問題意識もまた、私にとっては当時新鮮だった。「儒教とピューリタニズム」における外面的・内面的品位の主張、平民宗教と支配者宗教の2重構造、比較文化の観点からも関心があった。その後の中国の経済的発展を考えると、ヴェーバーの分析が正しかったのか、という疑問はあるのだが・・・。M・ウェーバーと大塚の世界の区分がつかず、無批判に受け入れていた面もあった。また大塚が「職業としての学問」のヴェーバーの晩年の無神論への対決を意識していたということも驚きの主張だった。2人の微妙な違いは確かに他の研究者の分析を読まなければわからない点であった。「生産の優位」の思想からユダヤ人排撃の合理性に繋がりかねない危険性は、考えたこともなく、衝撃的だった。ヒトラー、スターリンへのある種の甘さがあったということは恐らくそうだったのかもしれない。著者は厳しく大塚の限界を指摘し、学問として鬼籍に入ったとしつつ、最後に大塚史学の現代的な意義があるとすれば・・・と書いている。それは私に限らず、大塚の世界にユートピアを感じた人たちへの暖かい目線ではある。M・ウェーバーを大塚が都合がよいように引用しているような表現は衝撃的だった。まさに学問とは何かを考えさせられる好著。しかし、私の大塚への尊敬の念は損なわれていない!まさに大塚史学は思想だったのだ!タイトルの意味するところは深い。90年代のバブル崩壊からの凋落は「生産倫理」の復活を祈願した大塚が予見していたともいえそうである。

Posted byブクログ