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湯浅泰雄全集(11) の商品レビュー

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2018/03/15

『近代日本の哲学と実存思想』(1970年、創文社)のほか、7編の論考を収録しています。 『近代日本の哲学と実存思想』は、西田幾多郎、田辺元、波多野精一、和辻哲郎、三木清という、近代日本を代表する5人の哲学者たちの思想が紹介されます。そのうえで、デカルトからカントへいたる近代以降...

『近代日本の哲学と実存思想』(1970年、創文社)のほか、7編の論考を収録しています。 『近代日本の哲学と実存思想』は、西田幾多郎、田辺元、波多野精一、和辻哲郎、三木清という、近代日本を代表する5人の哲学者たちの思想が紹介されます。そのうえで、デカルトからカントへいたる近代以降の西洋哲学においては認識論が第一哲学とされ、認識が実践に対して優位を占めていたのに対し、近代日本の哲学においては実践哲学による理論哲学の包摂、あるいは非合理主義による合理主義の包摂という傾向がたしかめられると著者はいいます。さらに、近代以前の日本思想史を参照しながら、そうした傾向の淵源をさぐっています。 次に著者は西洋哲学へと目を転じて、日本の哲学者たちの思想が現代においてどのような意義をもっているかということを考察しています。ここで著者が注目するのが、マイモンのカント哲学批判です。カントは、デカルトのコギトを心理的・経験論的な自我から論理的・超越論的な自我へと移行させました。しかし、われわれが超越論的な正しさの確証は、経験的な次元における他者との一致に求めるほかなく、循環論証に陥ってしまうとマイモンは批判します。著者は、フッサール、ベルクソン、そして日本近代の哲学者たちの思索のうちに、こうした問題を克服する道を見いだそうとします。 同時に著者は、ハイデガーの存在論的差異に関する議論に検討を加え、カントの超越論的議論における問題が付きまとっていることを明らかにし、ハイデガーが存在論をあくまでも理論的な問いとしてあつかっていたことにその原因を求めています。そして、トマス・アクィナスにおける単純実体と複合実体における「本質」の論じられ方の違いに注目し、みずからの実存的な「根拠」へ向けて問いかけるわれわれ人間の存在のあり方を解明する視座を提出しています。

Posted byブクログ