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高等教育の時代(下) の商品レビュー

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2013/07/22

課題となった6章と終章を中心に精読。明治期の専門学校教員の資格は、博士と学士が基本。博士は今の「課程博士」はなく、第2次学位令下では、旧制の大学院卒業、博士会ないし総長による推薦博士と論文博士の4種だった。 さらに文部省からの「指定」「認可」があれば教員にれる資格があるとの記述...

課題となった6章と終章を中心に精読。明治期の専門学校教員の資格は、博士と学士が基本。博士は今の「課程博士」はなく、第2次学位令下では、旧制の大学院卒業、博士会ないし総長による推薦博士と論文博士の4種だった。 さらに文部省からの「指定」「認可」があれば教員にれる資格があるとの記述があった。他方最高等普通教育の機関である高等学校には、免許状制度がもうけられた。高等教育で括っても3種類で教員の任用資格が異なるのは興味深い。なお、昭和に入る頃になると、高校が増えるとともに、高校教員の需要も増えた。これに対応したのは帝大卒の学士が大多数だったとある。 文部省の私立大学に対する監督の実状は、現代と比べてかなり厳しいものだという様子がページをめくるごとに伝わってきた。学長就任・教員採用は当時の「認可」事項だと聞いただけでも、事務の困難さが想像できる。 よく話題になる教授会の自治は、意外にも新制大学施行後に醸成されたものだったという。戦前期は教授会の権限はかなり制約されていた。これは大きな発見だった。 修論では、新制大学の学芸学部・文理学部等を取り上げる。 旧制の中等教員養成問題がこれらの学部の源流にあることが学べたのは大きな収穫だった。旧制の文学部と理学部を合わせた文理科の単科大学は、素直に受け入れられず、師範大学の構想に発展した。しかしそれは帝大方面からの「無意味」という主張と、養成課程を持つ高等師範等からの反対にあった。 また、大正3年の菊池大麓の「学芸大学校」案は改めて新鮮な気持ちで読めた。前作で詳細に説明されているが、今日の教養学部等の概念を、およそ100年前に日本人自身が提案していることに素直に驚いた。菊池の旧制高校と専門学校の一部を学芸大学校に改組するという考えは、今につながる戦後期の改革と重なる部分が大きい。

Posted byブクログ