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歴史を変えた外交交渉 の商品レビュー

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2015/02/08

結構良かった。重要な外交交渉からヨーロッパ史の流れを紐解こうというものだけあって、ただその場だけでない趣がある。 武田信玄の「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす。」を思い出す。 ナポレオンを破った列強はウィーン会議でそれぞれの利益にこだわり過ぎて紛糾し、フ...

結構良かった。重要な外交交渉からヨーロッパ史の流れを紐解こうというものだけあって、ただその場だけでない趣がある。 武田信玄の「戦いは五分の勝ちをもって上となし、七分を中とし、十を下とす。」を思い出す。 ナポレオンを破った列強はウィーン会議でそれぞれの利益にこだわり過ぎて紛糾し、フランスのタレーランに有利な状況を作ってしまう。その経験を警戒したパリ講和条約では負けたドイツを封じ込めすぎて過剰な賠償金を課し、それがヒトラーの台頭に繋がるのだ。 さらっと “最初の問題はポーランドをどうするかだった。18世紀末、ポーランドは強大な隣国プロイセン、オーストリア、ロシアに絶え間なく国土をむしり取られており、1796年にはついに完全に消滅した。” と書かれているところで、ふと日本を思い出した。余りにアメリカ寄りの政策をしているように感じるけれど、近隣の中露に近づけばいつかポーランドと同じ憂き目をみるだろう、と。 ・フランスはアメリカ独立戦争支援に10億ルーブル(フランスの国家予算の3倍に相当する)以上費やし、国家財政は深刻な赤字となった。国民に重い税負担を強いることになり、これが1789年のフランス革命を引き起こし、ルイ16世は1793年に断頭台の露と消えた。 ・ナポレオンは閣僚たちにアメリカ側と早急に交渉を開始するよう命じた。売却の対象はアメリカから求められているニューオーリンズだけでなくルイジアナ全域だった。とはいえ安値では売るなと一言注意を与えた。安値で売るくらいなら「必死になって、このすばらしい地域を維持する」方がよいと考えていた。「ミシシッピ川流域を握った国が ゆくゆくは世界一の強国になる」と的確に見通していたのだ。 ・より深い観点から見れば、この問題は分化の相違に由来するものであった。アジアの外交交渉では賠償金の支払いは広く行われており、前世紀に東アジアで行われた大規模な戦争では例外なく敗戦国が戦勝国に賠償金を支払っていることを日本側はよく知っていた。これまでの闘いの経過と既成事実から、賠償要求は戦争の慣例に従った権利と日本側は考えていた。日本の立場を考えれば、日本が勝利を収めているにもかかわらず賠償金の支払いを拒むロシアの姿勢はひどい侮辱だった。ロシアは異なる見方をしていた 。近年のシベリア横断鉄道建設までロシアは西側志向できており、ヨーロッパから知識を得ていた。ヨーロッパでは賠償金の支払いはめったになく、国土を蹂躙され首都を占領された場合にのみ発生した。ロシア側は、本国から遠く離れた僻地の戦場で何度か敗北しただけで、戦争に敗れたとは考えていなかった。ロシアは日本以上にばくだいな金をこの戦争に注ぎ込んでおり、ここでなぜ日本の戦費まで払わねばならないのか理由がわからなかった。

Posted byブクログ

2013/09/07

レイキャビク会合でレーガン大統領とゴルバチョフ書記官が別れたところでうるっときた(´°̥̥̥̥̥̥̥̥ω°̥̥̥̥̥̥̥̥`)

Posted byブクログ