十八代勘三郎 の商品レビュー
本書刊行にいたる経緯を時系列で書くと、 ・2005年3月、著者が十八代目中村勘三郎を襲名。 ・2005年5月、本書の基になった、『襲名 十八代 これは勘三郎からの恋文である』が刊行。 ・2012年12月、著者、逝去。 ・2013年3月、本書刊行。 で、著者、中村勘三郎さん、ど...
本書刊行にいたる経緯を時系列で書くと、 ・2005年3月、著者が十八代目中村勘三郎を襲名。 ・2005年5月、本書の基になった、『襲名 十八代 これは勘三郎からの恋文である』が刊行。 ・2012年12月、著者、逝去。 ・2013年3月、本書刊行。 で、著者、中村勘三郎さん、どのような方かというと、ウィキペディアには次のように書かれています。 十八代目 中村 勘三郎(なかむら かんざぶろう、1955年(昭和30年)5月30日 - 2012年(平成24年)12月5日)は、歌舞伎役者、俳優。本名は波野 哲明(なみの のりあき)。屋号は中村屋。定紋は角切銀杏、替紋は丸に舞鶴。舞踊名に藤間 勘暢(ふじま かんちょう)、猿若 勘三郎(さるわか かんざぶろう)がある。 57歳没とのことで、若くして亡くなられました。 本作の内容は、次のとおり。(コピペです) 急逝した十八代勘三郎の在りし日の姿を凝縮 「やっぱり、いい人たちは集まるのかな、僕も含めて。アハハハ」 急逝した稀代の名優が遺した「芸」「友」「愛しき女(ひと)」への熱き思い―― 故・森光子さん、長嶋茂雄、ビートたけし、明石家さんま、大竹しのぶ、野田秀樹ほかとの交友。これほど愛された父・勘三郎との思い出を、息子・勘九郎、七之助が語る。 「天真爛漫でした。でも、ものすごく繊細な人でした」(勘九郎) 「天賦の才能と言われますが、輪をかけて努力の人でした」(七之助) ※この本は『襲名 十八代 これは勘三郎からの恋文である』(2005年、小社刊)に加筆修正を加えた追悼版です。
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十八代中村勘三郎という人は人徳なのだろう、人脈がすごい。 いろんな有名人が出てくる。長嶋茂雄、江川卓という演劇や芸術とは関係ない分野から、ビートたけし、笑福亭鶴瓶など芸人さんたち、もちろん演劇関係の人たち。 でも、今回これを読んで一番観たい!と思ったのは歌舞伎役者さんたちの映画。...
十八代中村勘三郎という人は人徳なのだろう、人脈がすごい。 いろんな有名人が出てくる。長嶋茂雄、江川卓という演劇や芸術とは関係ない分野から、ビートたけし、笑福亭鶴瓶など芸人さんたち、もちろん演劇関係の人たち。 でも、今回これを読んで一番観たい!と思ったのは歌舞伎役者さんたちの映画。タイトル『奈落』サブタイトル『歌舞伎座の怪人』 坂東玉三郎さんが「奥役」(座元に直属して楽屋内を取り仕切る役) 口番(役者の履物を預かる人)を市川左團次 その他菊五郎、團十郎、染五郎、 仁左衛門は大阪浪花節大学のゼンザイ教授(白い巨塔) 孝太郎が佃煮医局長(白い巨塔の佃医局長) 三津五郎が怪人ドラキュラ 松本幸四郎が死体A(バンテリンを握りしめ動かない) だって。 もう、絶対観たい!という欲望がマックスに!(笑)
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何事も努力し、あきらめなければ夢は叶う。想像以上にものすごく努力された方なんだなあ思った。 私もエネルギッシュに生きたい。だから、人とのかかわりを怖がらないで自分を表現していきたい。 常に感謝の心をもち、慢心せずに自分の意思を貫きたい。 歌舞伎にもとても興味を持った。行ってみたい...
何事も努力し、あきらめなければ夢は叶う。想像以上にものすごく努力された方なんだなあ思った。 私もエネルギッシュに生きたい。だから、人とのかかわりを怖がらないで自分を表現していきたい。 常に感謝の心をもち、慢心せずに自分の意思を貫きたい。 歌舞伎にもとても興味を持った。行ってみたいなあ。
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