日本人は災害からどう復興したか の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
この災害本は科学的な発掘をベースに江戸時代の災害を観るのではなく、主に農民の記録をまとめたもdので、中には非常に臨場感のある記述もある。 災害後に救済を行なった庄屋の友山が善行を行なったのい人から疎まれ、「なすべきことをなし、してはならないことをしないのを、義という。仁とは、人のなすべきことである。、、、、身を殺して仁をなす、ということである。」という言葉が門外不出で残されている。
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江戸時代に起きた災害(津波・洪水・飢饉・噴火・地震)について、災害記録から、当時の人々はどのようにそれらに対処したかについて、渡辺氏が纏めています。 私が記憶にある日本の災害を振り返ってみると、最近の東日本大震災をはじめ、洪水・大雨などがあります。経済大国のおかげで、天候不順が...
江戸時代に起きた災害(津波・洪水・飢饉・噴火・地震)について、災害記録から、当時の人々はどのようにそれらに対処したかについて、渡辺氏が纏めています。 私が記憶にある日本の災害を振り返ってみると、最近の東日本大震災をはじめ、洪水・大雨などがあります。経済大国のおかげで、天候不順が続いても、食物が輸入できるので「飢饉」だけは無いようですが。 どの時代も「災害は忘れたころにやってくる」ようで、それに対して常に準備をして「身の丈にあった生活」をすることが大事だということが、この本のポイントの1つだったと思いました。 以下は気になったポイントです。 ・江戸時代における村の数は、元禄10(1697)に「63,276」であったので、現在の全国市町村数(約1800)を考慮すると、単純平均で1つの市町村に35程度の江戸時代の村が含まれることになる(p10) ・石高は容積単位で表されて、1石=10斗=100升=1000合=10000勺(しゃく)=100000才であった、米1石=150キロ、米俵1俵には、三斗五升から四斗のコメが詰められた(p12) ・太陰太陽暦では1年=354日なので、太陽暦との調整のために19年に7回の閏月を置いた、閏月のある年は1年が13か月あった(p16) ・江戸時代の貨幣価値を現在の日本人の主食のコメの値段を基準にすると、金1両=5.5万円、銀1匁=660円、銭1文=9円程度になる、賃金水準で考えると、1両=30万円、銀1匁=4000円、1文=48円となる(p26) ・伝馬騒動(1764-65)に大規模な百姓一揆が起きたが、多くの有力百姓の家が一揆で打ち壊されたが、寛保2年の水害の恩人である「奥貫家」のみは打ちこわしを受けなかった(p68) ・江戸では3回の飢饉があった、享保・天明・天保、天明6年の大飢饉以降は豊年が続いたので、人々の暮らしは食物から衣類までどんどん良くなり、飢饉の辛さを忘れた(p69,104) ・天保6年は春になっても「コブシ」の花が咲かず、凶作の前兆だと思われた(p115) ・5か月続けて月初めの一日が「壬」「葵」という「水」を表す日となると、雨が続いて飢饉に、「丙」「丁」という「火」を表す日が続くと日照りになる(p118) ・田沼意次は、財政再建をするために、株仲間という同業者団体をつくらせて、独占を認める代わりに営業税を徴収した(p131) 2013年3月30日作成
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