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平家と六波羅幕府 の商品レビュー

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2013/09/29

昨年の大河ドラマ『平清盛』で時代考証を担当しておられた氏の学術論文集・・・といいたいところだが、氏の一般読者向け著作である『清盛以前』や『平清盛 福原の夢』の続編といった感が強く、その辺りの平家関連論文や報告、コラム?を集めて一冊にしたという趣き。 表題作に関する一連の論文では、...

昨年の大河ドラマ『平清盛』で時代考証を担当しておられた氏の学術論文集・・・といいたいところだが、氏の一般読者向け著作である『清盛以前』や『平清盛 福原の夢』の続編といった感が強く、その辺りの平家関連論文や報告、コラム?を集めて一冊にしたという趣き。 表題作に関する一連の論文では、平家政権の政治推移をいくつかの画期に分割した上で、平家政権の評価見直しに力を入れている氏らしく、「六波羅幕府」「平氏系新王朝」などと評価しているが、それぞれの部分部分の論理には首肯できるものの全体の評価部分では違和感が残るものが多かった。 もとより「幕府」という呼び名は明治時代に歴史評価として「室町幕府」「鎌倉幕府」といった名称が与えられたもので、もともと将軍や大将の外征中の帳幕の意であり、転じて外征地域の軍政機関のことだが、「鎌倉幕府」のような歴史学用語の連続として「六波羅幕府」のような語を用いるには、「幕府」用語の規定が必要となる。ここで氏は大番役の勤仕から「権門体制論」にいう国家軍事警察権を担当しているとして「幕府」としての性質を評価するとともに、さらに、一定地域の支配と遠方からの朝廷コントロールという「鎌倉幕府」との類似性を見出している。しかし、この姿は「鎌倉幕府」初期の姿と重なるものに過ぎず、個人的には、軍事警察権に限定され少なくとも相対的に独立した国家行政権(!)を行使し得ない組織体をいわゆる「幕府」と評することには躊躇を感じる。そもそも「鎌倉幕府」もその後期の「到達形」(?)があってこその一連としての「鎌倉幕府」であると思われ、平家政権に「鎌倉幕府」初期の姿との類似により「幕府」原型を見出すことには異論はないが、ミニマム「幕府」をそこに規定するなら「幕府」概念はもう少し多様な権力に適用されることになってしまうだろう(例えば、木曽義仲政権(?)など)。さらにいえば、氏は明治における「幕府」としての「認定」の上に権門体制論の一翼を担う存在という議論を積み重ねて、だから「幕府」と呼んでいいではないかと言っているのだが、自分にしてみれば逆にそうであるからこそ「幕府」概念という根本に立ち戻っての「認定」やり直しからはじめる必要があるし、むしろ濫用を避けるべきなのではないかと考えてしまう。(つまりそういうことなら、鎌倉「幕府」と江戸「幕府」は同じ「幕府」カテゴリーで括って良いのかという根本的な問題があるのではないかということ。鎌倉「幕府」のみとの類似で六波羅「幕府」と呼ぶのはあまりにも短絡的過ぎる。) また、治承三年の平家クーデター以後、高倉-安徳系の「平氏系新王朝」樹立とそれを象徴する福原そして和田京遷都構想論には異論はないが、後白河協調の「六波羅幕府」→クーデター後の「平氏系新王朝」→遷都挫折による「六波羅幕府」体制への後退という論理は、その目まぐるしさも相まって、歴史学用語の安易な拡大解釈適用と思わざるを得ない。 あと余計な話だが、高橋説を批判した上横手雅敬への反批判論文は初見時のものに手を入れ本書掲載のために体裁が整えられすぎたためか、歴史状況の再確認とあまり意味がないと思われる中国・朝鮮事例の提示など(同じ名称を使用しているからといって、それがどうだというのだ)、反批判としてはどこまで的を得ているのか疑問な状態になってしまっていて、むしろ上横手反批判論文としてそのまま掲載した方が面白かったのではないか。 平家権力の内部を記した平家の館論や平家家人論、重衡と惟盛軍が平家軍の2大勢力であった話や頼盛が平家序列模式図としての楕円形のもう一方の点とする話などは面白かった。また、宋銭を巡る沽価法の議論や延暦寺強訴の経緯、『平家物語』の虚像を巡る話などは勉強になった。しかし全体としてはそれら各論は途中感があり、次回は平家論体系の中に組み入れたトータル的なより深化した叙述がほしいところである。

Posted byブクログ