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シェイクスピアの文化史 の商品レビュー

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2013/03/10

つい先日、平幹二朗演出、主演による『リア王』を見てきたばかりである。正直なところ、あまりおもしろいとは思えなかった。『リア王』はこんな芝居だったろうかという疑問が残ったくらいだ。面白く感じられないのは演出や役者の技量によるものもあろうが、一つは作品の伝えようとしているものをこちら...

つい先日、平幹二朗演出、主演による『リア王』を見てきたばかりである。正直なところ、あまりおもしろいとは思えなかった。『リア王』はこんな芝居だったろうかという疑問が残ったくらいだ。面白く感じられないのは演出や役者の技量によるものもあろうが、一つは作品の伝えようとしているものをこちらが理解できていないこともあろう。16世紀、グロ-ブ座の立ち見席の観客なら、きっと、頷いたり腹を抱えたり、涙を流したりしたはずなのだ。 『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』という美麗な本がある。時祷書というのは、カトリック教会公認の典礼書に対して、世俗のキリスト教徒のために作られた祈祷のための本である。この時代、貴族達は競って美しい時祷書を作らせたのだが、16世紀初期のオランダで刷られた<さかさま世界>版画にはその時祷書に描かれた絵柄を逆転させたものが数多く含まれている。16世紀は、時代を担う勢力に揺らぎが生じた時代である。<さかさま世界>版画はそうした価値観の転倒を物語っているのだが、実は『リア王』には、その図柄そっくりの場面が数多く登場するのである。 『リア王』は言うならば「さかさま世界」を劇化したものである。道化の語るのが真実で、王の言葉は狂人の戯言。庶子は讒言が効を奏し権力に上りつめ、本来後を継ぐべき嫡子は癲狂者に身を窶し裸形で荒野を彷徨い歩く。忠義の臣が放擲され、陰謀家ばかりが領内を席巻する。<さかさま世界>版画という視点を導入することで、このあまりにも図式的な反世界がひとつの定式に則っていることが明らかになる。少なくとも同時代の人々は、この倒立した世界をリアルな物として受けとめたであろうことはまちがいない。 同時代に流布した様々な図版や意匠を引きながら、イコノロジーの方法を駆使して著者はシェイクスピア劇を読み解いていく。今までのシェイクスピア劇についての論考では知り得なかった言葉や仕種、衣裳に隠された寓意が、著者の持ち出す貴族のエンブレムや民衆の版画、さらには城郭建築の間取りから明らかになる。テクストだけでは読むことができなかったあてこすりやほのめかしが、その時代特有のコンテクストを知ることによって、まるであぶり出しの技法で書かれた文字が火の上にかざされた時のように劇の前面に浮かび上がってくる。 それは、翻って、シェイクスピア劇から時代を読むことにつながっていく。プロテスタントとカソリックの確執、「囲い込み」によって土地を奪われた農民達の放浪。貴族階級に代わる産業資本主義を支える資本家層の台頭などを、シェイクスピアの芝居から読みとることができるのである。著者のとり上げたテーマは、「家父長制、セクシュアリティ、結婚、社会変動、商業資本主義、王権思想、宗教改革、個人主義の誕生」など多岐に渉る。また、すでに述べた<さかさま世界>ブロードシートをはじめとするカーニバルや魔女などの民衆文化についても深く切り込んでいる。 『ロミオとジュリエット』に代表されるシェイクスピア作品は映画や演劇において今日でも数多上映、上演される。たしかにすぐれた作劇術や人間心理の洞察力において、いつの時代にも通用するのがシェイクスピア劇である。しかし、一度読み誤れば通俗的な恋愛劇や復讐劇とのみ受けとめられる側面も持つ。現今の詰まらぬ芝居を見るくらいなら沙翁の劇を見る方が数層倍面白いのは保証するが、それだけではもったいない。初期近代イングランドというコンテクストの中に置いてみるとき、シェイクスピア劇の面白さは際立つ。図像学的知識を自家薬籠中の物として劇場に赴くとき、日本の地方の劇場はロンドンのグローブ座に変じることだろう。この本を読んでから『リア王』を観れば、感想もまた変わったかもしれないと悔やんでいるところである。

Posted byブクログ