クォンタム・ファミリーズ の商品レビュー
なにが起こっているんだ、どうなっているんだ、と混乱とワクワクを抱えながら読み進められる作品で、大変良い読書体験だった。読了感はなんとも言えないものがあるが、読んで良かったなと思う気持ちは不動。
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量子回路ネットワークのゆらぎで計算処理の産物として、無数の重ね合わされた計算資源により反現実言語、情報世界が機械によって作り続けられ、平行世界が発現し拡散して現実世界を脅かす、人類が接触できているネットワーク領域は宇宙に浮かぶ小島にすぎない… この設定、言葉の繋がりだけで、ワクワ...
量子回路ネットワークのゆらぎで計算処理の産物として、無数の重ね合わされた計算資源により反現実言語、情報世界が機械によって作り続けられ、平行世界が発現し拡散して現実世界を脅かす、人類が接触できているネットワーク領域は宇宙に浮かぶ小島にすぎない… この設定、言葉の繋がりだけで、ワクワクした。増殖する情報世界の氾濫。炭素が年月の重みでダイヤモンドになったり、水が雨、川、水蒸気と循環する不思議な世界だもの、情報世界だって壮大で人知を超えた現象が起きてもいいよなぁと思いました。35歳問題、私たちは「選ばなかった選択肢」に潰されて生きている。 量子家族という架空のほのぼの家族生活なのかと思ったらずっとすれ違いを感じギスギスと冷たく、なんか悲しかった。それにしても平行世界の把握を諦めて読んでいるので、誰がどこの世界でどう交わっているのか理解できなかった。。。
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量子論を基にした、多元的宇宙世界(並行世界)を舞台の物語。筒井康隆が解説した通り、この小説では異なる時間軸の世界がいくつも登場し、折り重なりストーリーを形作っている。 印象深かったのが、仮定法過去の世界という、いわゆるifの世界を言語構造の比喩として記述している点。 この記述と異...
量子論を基にした、多元的宇宙世界(並行世界)を舞台の物語。筒井康隆が解説した通り、この小説では異なる時間軸の世界がいくつも登場し、折り重なりストーリーを形作っている。 印象深かったのが、仮定法過去の世界という、いわゆるifの世界を言語構造の比喩として記述している点。 この記述と異なる時間軸が折り重なる物語進行から、自分は世界の終わりとハードボイルドワンダーランドよりも、テッドチャン著のあなたの人生の物語を想起した。(クォンタム・ファミリーズの方が執筆されたのが早いためこれは個人的な想起だが) この物語には検索性同一障害という、並行世界での自分の記憶が無意識に流れ込んでくるという人物が出てくるが、この人物のように自分の現在の人生と異なるルートを進んだ自分の姿を見ることができるということは、果たして自分の人生にどのような影響を与えるのだろうか。 映画〈メッセージ〉の登場人物は規定された未来を受け入れ、未来へと過去から向かう覚悟を決めて行動するが果たして自分にはそれが出来るのだろうか。そしてそのような世界において、社会とはどのような変化を遂げているのだろうか。
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量子コンピューターが、「別の現実」に存在する電子を仮定して 計算に利用しているのだとしても それを即、並行世界の実在に結びつけてしまうのは 論理の飛躍というものだ しかしともかく理論に限定するならば この現実も、コンピューターの見た夢にすぎないと 断定しうるのだろう 「九十九十九...
量子コンピューターが、「別の現実」に存在する電子を仮定して 計算に利用しているのだとしても それを即、並行世界の実在に結びつけてしまうのは 論理の飛躍というものだ しかしともかく理論に限定するならば この現実も、コンピューターの見た夢にすぎないと 断定しうるのだろう 「九十九十九」というよりは「ディスコ探偵水曜日」だな・・・ そういう世界に暮らす中年男の現実逃避願望が 未来に生じるあらゆる責任を、子供たちの 甘えの感情にすり替えてゆくわけだが しまいには 「もしも妻がもっと優しい女だったら・・・」という話になって そこまで来られると少し泣けてしまうのだった ドスト、春樹、大江、ラカン、あとひょっとしたら河野多恵子 パロディ小説として楽しむことはできる しかしこれはラスコーリニコフというよりも マルメラードフだろう
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パラレルワールドを題材にしたSFとし、十分に面白かった。 年表を参照しながら読み直したい。 http://d.hatena.ne.jp/superficial-ch/20100217
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解説で筒井康隆がいうように、「現代思想としての多元宇宙SF」 という今までなかったような読了感。村上春樹が引用されており、村上春樹はファンタジー、東浩紀はSFという感じか。 この現実ではない「もうひとつの現実」の存在、言いかえれば「あったかもしれない現実」「これからあるかもしれ...
解説で筒井康隆がいうように、「現代思想としての多元宇宙SF」 という今までなかったような読了感。村上春樹が引用されており、村上春樹はファンタジー、東浩紀はSFという感じか。 この現実ではない「もうひとつの現実」の存在、言いかえれば「あったかもしれない現実」「これからあるかもしれない現実」。この複数の現実=多元宇宙が、人類を滅ぼし、家族が救われる物語。 「わたしたちの世界のすぐ隣には、無数の平行世界が開け、そしてわたしたちはネットを通じてそれらの世界と繋がっている。」 ネットで実際に目にしない事象を知ることができるようになり、様々な可能性が自分にインプットされる。例えば、SNSをみていれば友人の成功談や幸福な写真に出会うだろう。それは自分にとっても「あったかもしれない現実」だと考えられる。量子力学、数学の世界ではその可能性は示唆されるし、むしろそれは自分の「現実であるかもしれない」。このことが、現実の自分の境界をぼやかしていく。 何のために生きるのか、そんなことはどうでもいい。なぜなら、そう考える自分でさえ量子演算されるパラメータ数値やその塊でしかない。計算結果でしかないのだ。 そういえば、最近、上司と30を越えてからのキャリアの話をした。村上春樹の「35歳問題」のような可能性の話だ。 「やりたきゃやればいい」そう言われた。 自分もそう思った。 この本を読み終わって、「やりたきゃやればいい」と強く思い、「自分が現存すると感じているなら」「自分の可能性を信じてもいい」と思えた。
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舞城みたいな疾走感で、並行世界ものSFとして普通に面白いんだけど、小説以外の言説ときれいに繋がって見えるところがすごい。
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インターネット&検索が並行世界の扉を開くだとか、検索性同一性障害だとかのアイデアは、SF的にもっと評価されていい。哲学/批評用語も頻出するし、先行する作家や作品への言及も繰り返されるけど、読者は足をとめる必要はない。SFといっても作中の世界観は日常と地続きだし、クセのない文体が可...
インターネット&検索が並行世界の扉を開くだとか、検索性同一性障害だとかのアイデアは、SF的にもっと評価されていい。哲学/批評用語も頻出するし、先行する作家や作品への言及も繰り返されるけど、読者は足をとめる必要はない。SFといっても作中の世界観は日常と地続きだし、クセのない文体が可読性が損なわれることを許さない。 にもかかわらず、この作品にはどうしてもとても狭い場所に押し込められているという印象がある。特定の「ある文脈」に沿ってのみしか語られないというか。 著者は単独での小説執筆はこれが第一作なのだが、それ以前から批評家/哲学者として第一線で活躍していた人物で、そのことが却って足枷になっている印象。非常にもったいない。 出版社も書店ももっとフツーに売って、読者ももっとフツーに読めばいいんだって。 個人的には、作中で提唱される35歳問題というものに、何というか、非常に身につまされる想いがあった。
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東浩紀の本で最初から最後までちゃんと読み通したのは、この本が初めてな気がする。根底にある思想やSF的世界観、文学への愛が伝わってくる良書(っていうか読み物として単純に面白い)で、予想していたよりも楽しめた。SFにあまり免疫がないので、筒井康隆の解説もありがたく拝聴。この1冊を読む...
東浩紀の本で最初から最後までちゃんと読み通したのは、この本が初めてな気がする。根底にある思想やSF的世界観、文学への愛が伝わってくる良書(っていうか読み物として単純に面白い)で、予想していたよりも楽しめた。SFにあまり免疫がないので、筒井康隆の解説もありがたく拝聴。この1冊を読む事によって、他のSF作品にも触れてみたいと思わされる、SFへの入り口になってくれるような作品だった。構成や章立ても面白い。こんなに小説も上手に書ける人なのかと感心してしまった。 P36 ぼくは考えた。ひとの生は、なしとげたこと、これからなしとげられるであろうことだけではなく、決してなしとげなかったが、しかしなしとげられる《かもしれなかった》ことにも満たされている。生きるとは、なしとげられるはずのことの一部をなしとげたことに変え、残りをすべてなしとげられる《かもしれなかった》ことに押し込める、そんな作業の連続だ。ある職業を選べば別の職業は選べないし、あるひとと結婚すれば別のひととは結婚できない。直接法過去と直接未来の総和は確実に減少し、仮定法過去の総和がそのぶん増えていく。 P268 もし、ぼくが引き継いだセーブデータにおいて、すでにこの救いのないバッドエンドのフラグが立っていたとするのなら、ぼくはそのデータをハックしよう。幸せは運命の鎖からの解放を意味する。だとすればそれは必ずしも並行世界への逃避だけを意味するのではない。ハッキングこそが幸せの条件のはずだ。 ぼくは運命を変える。 そして幸せになる。 P326 わたしたちはひとを愛するとき、その世界のそのひとだけを愛するのだろうか。わたしたちは家族を作るとき、その世界のそのひとだけと家族を作るのだろうか。わたしたちは死ぬとき、その世界で愛したひとだけに囲まれて死ぬのだろうか。わたしはおそらくは数年を経ずして死ぬだろう。並行世界の重みがわたしの狂気を押し潰すだろう。世界もまた滅びるだろう。そのときわたしのそばにいるべきひとはだれだろうか。わたしには力がある。ほかの世界のわたしにはできないことができる。いまのわたしならば、量子的に拡散してしまった家族を再縫合することができる。 P408 ぼくはさまざまな人生を生きる。あるときは幸福なあるときは不幸な人生を生きる。それは驚くほど豊かだけれど、また驚くほど貧しい世界で、順列の種類は信じがたいぐらいに限られている。運命を受け入れるとは、過程を受け入れることでも結末を受け入れることでもなく、おそらくはその数字的な限界を受け入れるということなのだ。人間は数学には抵抗できない。そして抵抗しても意味がない。二かける二は断固四であり、それはドストエフスキーの時代もいまも変わらない。ぼくは、どの人生を選んだとしても、渚と友梨花と風子と理樹が作り出す四角形から決して逃れることができない。 そしてそれでいい。 ぼくはなにも引き受けなくていい。 父の役割も夫の義務も強姦者の容疑もなにも引き受けなくていい。 ぼくはただ愛するものだけを愛せばいい。
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最初の「物語外」とされるところを読んだ時には、なんだか生焼けの肉を食べるようなことになるのかな、とうっすらと危惧を感じたものですが、物語にはいると、その文章力の水準の高さによって信頼して(そして勉強にもなって)読み進めることになりました。とはいえ、量子論からくる未来の科学云々の記...
最初の「物語外」とされるところを読んだ時には、なんだか生焼けの肉を食べるようなことになるのかな、とうっすらと危惧を感じたものですが、物語にはいると、その文章力の水準の高さによって信頼して(そして勉強にもなって)読み進めることになりました。とはいえ、量子論からくる未来の科学云々の記述は難しく、その専門性と虚構とでの構築ぶりには拍手を贈る気分になりながらも、「わかりにくい」「わからない」という部分を含めて、やっと話についていけました。
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