百年の手紙 の商品レビュー
同じ著者による「世紀のラブレター」というご本が 大変感動的だったので、このご本も手に取りたく、読みました。 率直な心のこもった手紙は、なんと美しいのでしょう。 このアンソロジーを読んで感動したなら、 出典の方も是非読みたいところです。 この本の良い点は、出典の手紙を執筆した人物...
同じ著者による「世紀のラブレター」というご本が 大変感動的だったので、このご本も手に取りたく、読みました。 率直な心のこもった手紙は、なんと美しいのでしょう。 このアンソロジーを読んで感動したなら、 出典の方も是非読みたいところです。 この本の良い点は、出典の手紙を執筆した人物の背景を 有名無名に関わらず同じように精密に調べ、 簡潔にまとめた上で、情を尽くし寄り添うように書いている点。 描写に人によっての軽重が無いので、誠実なのと どんな人の人生にもドラマがあって、 真情は人の心を動かすことを伝えている点。 だからこそ、ここを入り口に、いろんな人生の扉を開けて もっと深く知ることで、私たちも豊かになる気がするのです。 書簡集は、大人になって読むと、真に滋味深い記録であり 文学作品だと思います。
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宮本賢治が妻百合子に書いた情熱的な短歌には驚き、2首紹介。「道の辺の草深百合の花咲に咲まししからに妻と云うべしや」「筑波嶺のさ百合の花のゆ床にも愛しけ妹ぞ昼もかなしけ」仲みどり(原爆症第1号の女優)が終戦の年6月に広島から母へ書いた手紙も新発見。「広島に着きました。こちらは静で映画も芝居も満員」。米軍は広島の空襲をずっと行っていなかったのだ。終戦の15日後に香淳皇后が平成天皇に書いた『日本が滅びずによかった』という生の声、その他歴史の裏幕を感じさせる手紙が実に楽しい。それらは歴史の裏幕の証言であり、愛する者への隠すことのない愛情表現である。究極の人間の姿がそこに示されている。1975年にサハラ砂漠で亡くなった上温湯〓という22歳の青年の支援者への手紙の言葉はその後の「自己責任」という用語の氾濫を予見している。「もし万一、不幸にして小生の身に最悪の事態が起こったとしても・・・、あまりガタガタ騒ぐと日本人はここぞとばかり非難をするだけです。」また死刑囚・島秋人(実名千葉覚)の「この澄めるこころ在るとは識らず来て刑死の明日に迫る夜温し」という辞世の歌と、「私は短歌を知って人生を暖かく生きることを得、確定後五年間の生かされてきた生命を感謝し安らかに明日に迫った処刑をお受けしたい心です」との文章が心にしみる。
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戦時中のものが多いので、どうしても切ないものが多く、特に前途を断たれた若者たちの手紙は、胸に迫る。こんなことは二度とイヤだ!としみじみ思う。 個人個人の手紙も、こうして集積すると時代を表す 。最も印象的だったのは、原敬夫人・浅から長男・貢への電報だ。 「父昨夜、東京駅にて暗殺...
戦時中のものが多いので、どうしても切ないものが多く、特に前途を断たれた若者たちの手紙は、胸に迫る。こんなことは二度とイヤだ!としみじみ思う。 個人個人の手紙も、こうして集積すると時代を表す 。最も印象的だったのは、原敬夫人・浅から長男・貢への電報だ。 「父昨夜、東京駅にて暗殺さる。帰るにおよばず、まっすぐ英国へ行って勉強なさい。浅」。 この毅然、この覚悟。
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これまでいったい何通の手紙が書かれたことだろう。 この百年だけでも1億人が3世代。日本人ひとりが一生の間に書く手紙を平均50通として、150億通。 それらをぜんぶ紡いでいったとき、そこに現れる歴史というのは、教科書で習うような上っ面だけの歴史とはまったく別のものであるに違いない。...
これまでいったい何通の手紙が書かれたことだろう。 この百年だけでも1億人が3世代。日本人ひとりが一生の間に書く手紙を平均50通として、150億通。 それらをぜんぶ紡いでいったとき、そこに現れる歴史というのは、教科書で習うような上っ面だけの歴史とはまったく別のものであるに違いない。 http://daily-roku.hatenablog.com/entry/2013/05/12/015351
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手紙は書き手の想いが詰まっている。陳情書、戦争で離れ離れになった人たち、そして命の灯がまさに消えかかった人の想い、恋愛感情、そんな手紙、書物の言葉を多数収めている。心が揺さぶられる1冊です。
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1901年の田中正造の直訴状から平成の弔辞まで、百通の手紙からの引用を紹介するエッセイ。 政治犯も戦犯も普通の人殺しもいれば、文化人やその家族もいるし、事件や事故や戦争に巻き込まれただけの一般人もいる。 手紙はプライベートなものであるけれど、個人は社会の中にいるのだから並べてみる...
1901年の田中正造の直訴状から平成の弔辞まで、百通の手紙からの引用を紹介するエッセイ。 政治犯も戦犯も普通の人殺しもいれば、文化人やその家族もいるし、事件や事故や戦争に巻き込まれただけの一般人もいる。 手紙はプライベートなものであるけれど、個人は社会の中にいるのだから並べてみると時代が見える。ということらしい。 とはいえ人の選び方にも言葉の切りとり方にも語り方にも著者の考えが現れるわけで、その偏りに無自覚らしいのがイマイチ。 元は新聞の連載とのことなので文字に限りがある中で題材を掘り下げられないのは仕方ない。 それにしたってあんまり短絡的すぎる。 たとえば田中正造が足尾鉱毒を救えないなら似たようなことはまた起こると書き遺したことに関連して、「予言」通りのことが福島で起こっている、と結ぶ。 いや足尾と福島の間には公害が縷々横たわっていますけど。 幸徳秋水らの大逆事件を「冤罪の元祖」とするなど万事この調子で「昔は」「今は」と簡単にいいすぎる。 選び方の基準がわからないのももやもやした感じを助長している。 一部は著者も書いている通り東日本大震災に浮き足立っちゃった風なのは仕方ないけれど、「教訓」に限ったわけではないし「名言集」というわけでもない。 「時代」や「分野ごとの人」を選んだにしては偏りがある。(兵士や文化人多め、科学者やスポーツ選手はないか少ない) 興味に沿って選んだならそれはそれでよいのだけれど、「良いもの」として選んだのか「反面教師」として選んだのかわからないところがある。 とりあえず親子ネタは怖いのが混じっている。 「私の苦労」を押し付けてのしかかる母だの、息子の人格を全否定したうえで借金だけは払ってあげる父だの、これが「親の愛」として描かれるのは気持ち悪いよ。 ただ題材自体は面白いので、ブックガイド的な使い方をするにはいいかな。 この人やこの出来事を知りたいと思う部分はたくさんあった。 面白かったのは太宰治の「芥川賞(金)がほしいです」というお願い。 必死すぎて必死に見えない。必死ごっこをしているようでなんだか笑ってしまう。 『ろまん燈籠』http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4101006172にあった、 「古い知り合いを尋ねたら昔無心した時の手紙を添削付きで出された」という話はなんか関係あるのかな。 おんなじような無心でも宮沢賢治のは卑しい感じがする。 近衛文麿のエピソードは、なんか見たことあると思ったら 安倍晋三の総理辞任のときのコメントに似てるんだ。 あれが悪いこれが悪いぼくはがんばったのにりかいりょくのないせけんはわかってくれない、と。 すごい被害者意識。いやまあ見た目と若さと家柄でこの人を持ちあげといてあっさり手のひら返す世間への批判は外れてはいないけれどもお前が言うなと。 近衛は「アメリカ人には貴族の気持ちなんかわからないんだ、イギリス人ならわかってくれるかもしれないけど」とも言ったらしい、すごいなあ。育て方が悪かったんだろうな。 愛新覚羅溥傑と浩の娘、慧生は「現在、中国と日本は国交が断絶したままです。しかし、中国人の父と日本人の母によって築かれた私たち一家が、真の中日友好を願う気持ちはだれも押しとどめることはできません。」と書く。 残留孤児を育てた親たちを描いたノンフィクション、『異国の父母』 http://booklog.jp/users/melancholidea/archives/1/4000221531の中にも、同じ心のセリフがあった。 この人が入ってるのに「日本人が」ときっぱり言い切っちゃうタイトルは嫌だな。 戦後の日本人はマッカーサーにたくさんの手紙を出した。 新聞への投書ノリのぼくがかんがえるこれからのにほん、みたいのもあれば、大好き愛してる統治して!みたいなもの、戦犯の夫に子の誕生を知らせたいという切実な願いもあれば揉め事の仲裁みたいな間違ったお願い事まである。 現人神が人間になっちゃったあと、無宗教国家の民はマッカーサーを代用神にしたということか。
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私信というものに惹かれたんでしょうね。 私信こそ、人の本当の姿、本当の気持ちを垣間見させてくれることを知りました。 ホントは、そんなに強い人やなかったんやぁ・・・とか。 ホントは、こんなに思いやりのある人やったんやぁ・・・とか。 参照されている本も読んでみたい気がした。 それにし...
私信というものに惹かれたんでしょうね。 私信こそ、人の本当の姿、本当の気持ちを垣間見させてくれることを知りました。 ホントは、そんなに強い人やなかったんやぁ・・・とか。 ホントは、こんなに思いやりのある人やったんやぁ・・・とか。 参照されている本も読んでみたい気がした。 それにしても、著者の読書量も半端やない。
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