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ある老学徒の手記 の商品レビュー

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2024/09/29

岩波文庫 鳥居龍蔵 「 ある老学徒の手記 」 人類学者の自叙伝。調査研究が人生そのものな生き方。文書も読みやすく、近代の沖縄、アイヌ、台湾、朝鮮、中国、シベリアの調査の様子を追体験できる 面白さ。「千島アイヌ」「有史以前の日本」の復刊を望む 調査エピソードより凄いのは...

岩波文庫 鳥居龍蔵 「 ある老学徒の手記 」 人類学者の自叙伝。調査研究が人生そのものな生き方。文書も読みやすく、近代の沖縄、アイヌ、台湾、朝鮮、中国、シベリアの調査の様子を追体験できる 面白さ。「千島アイヌ」「有史以前の日本」の復刊を望む 調査エピソードより凄いのは、小学校を卒業していないのに 文学博士の学位を授与されたこと。戦争や家族の不幸のなか、調査研究をし続ける姿は 圧巻 「地下には古来何千年という時代の遺跡遺物が埋存した一世界がある〜人類学や考古学は、土中の日本を発掘し〜過去の民衆の生活や文化を見ようとするもの」 沖縄や台湾など南の島を調査しているイメージが強いが、実際は朝鮮、蒙古、シベリアなど大陸が多い 「与那国島は〜人類学上極めて興味あるパラダイスの島である」という言葉は、沖縄諸島の固有文化への興味を掻き立てられる

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2023/05/15

今、話題の牧野富太郎と並び称される天才・鳥居龍蔵の自伝です。二人とも小学校すら出ていないのに、独学自修により大きな業績を挙げたという点で共通しますが、鳥居龍蔵は、東京帝大で考古学・人類学の研究を行い、世界を股にかけてフィールドワークを行い国際的な業績を打ち立てていくのですが、その...

今、話題の牧野富太郎と並び称される天才・鳥居龍蔵の自伝です。二人とも小学校すら出ていないのに、独学自修により大きな業績を挙げたという点で共通しますが、鳥居龍蔵は、東京帝大で考古学・人類学の研究を行い、世界を股にかけてフィールドワークを行い国際的な業績を打ち立てていくのですが、その姿が実に気持ちいいです。「私は私自身を作り出したので、私一個人は私のみである」。この言葉を含む結語は静かな感動を生みます。  早くからアイヌ民族の人類学的考察をしているなど、新しい発見が色々とあって、非常に濃密な読書体験となりました。

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2014/12/31

文化人類学の創設者の鳥居龍蔵自らの手記。こんな日本人がいたことが誇らしい。牧野富太郎と同じように市井の学者が認めら得た良い時代だった。

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2013/10/03

 著者の鳥居龍蔵氏は明治期の考古学者・民族学者です。  小学校を中退し、その後独学で必要な語学や専門の人類学を学んだとのこと、そういった厳しい環境下においても国際的な業績をあげた在野の研究者の自伝です。  独立独歩の精神で自らの学びを貫徹していく鳥居氏は、1895年、初めての海外...

 著者の鳥居龍蔵氏は明治期の考古学者・民族学者です。  小学校を中退し、その後独学で必要な語学や専門の人類学を学んだとのこと、そういった厳しい環境下においても国際的な業績をあげた在野の研究者の自伝です。  独立独歩の精神で自らの学びを貫徹していく鳥居氏は、1895年、初めての海外フィールドワークとして遼東半島の調査を行いました。そして、その後、台湾・北千島・西南支那・満州・蒙古・シベリアと精力的に探索の足を伸ばし数々の功績を挙げていくのですが、その地道な学究活動の道は必ずしも光の当たるところばかりではありませんでした。

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2013/06/02
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※このレビューにはネタバレを含みます

鳥居龍蔵『ある老学徒の手記』岩波文庫、読了。本書は小学校中退で国際的に活躍した東京帝大助教授(人類学)の自伝、53年朝日新聞社刊の文庫収録。生涯の概要は(徳島県立鳥居龍蔵記念館)→ http://www.torii-museum.tokushima-ec.ed.jp/denki.htm 60年・400頁の記録は躍動的時代小説の如し。脇目もふらず一気に読んだ。 「私は学校卒業証書や肩書で生活しない。私は私自身を創り出したので、私一個人は私のみである」。鳥居は小学校を中退し独学自習の末、研究者へ。1875年に小学校全国設置の翌年の入学だが、学校嫌い=探究嫌いではない。「枠」が探究を塞ぐことを示す。 本書の前半は鳥居少年の軌跡、後半は、中国・蒙古、そして南島を東奔西走する調査冒険の記録。学校否定から始まった学問の探究は、学歴・肩書きとの対決(要はいじめ)の連続だ。無学歴で助教授まで登るも軋轢から辞職。しかし探究は倦むことを知らない。 しかし鳥居は歯牙にかけない。帝大を出なくとも数カ国語を操り、欧文で論文を書く。評価したのは先端の欧米だった。開国後、日本の国是は追いつけ・追い越せ。しかしその内実は、コピペと学界・学内政治。今も同じである。その軌跡は学ぶ意義と 鳥居龍蔵は確かに字義通り「学校嫌い」で、学校を出たという「権威」との闘いの連続だったが、「学校嫌い」イコール「探究」ぎらいではなかった点は留意すべき。そして探究(その補助としての知識の吸収を含め)に関して、学校という「枠」の用意したそれに準拠しなくても学ぶことはできる訳でもある。 鳥居龍蔵は語学の天才といってよい。自伝を読みつつ稀代の碩学・井筒俊彦を想起せざるを得なかった。昨今、グローバル教育(なんじゃそりゃ)でTOEICの点数稼ぎドリルに狂奔しているけれども、手段に過ぎない語学の修得に関しても、短期的「益」を超えた好奇心こそ、その習熟の因になるなあと。

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