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帝国日本と台湾・南方 滄 の商品レビュー

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2014/12/07

大鹿卓著『野蛮人』で、台湾原住民の一部の部族には首狩りの風習があったことを知りました。中村地平著『霧の蕃社』で、霧社事件という台湾原住民の日本帝国主義に対するゲリラ闘争を知りました。森三千代著『国違い』は東南アジアの亜熱帯の雰囲気が十分に伝わってきました。金子光晴氏の影響がたぶん...

大鹿卓著『野蛮人』で、台湾原住民の一部の部族には首狩りの風習があったことを知りました。中村地平著『霧の蕃社』で、霧社事件という台湾原住民の日本帝国主義に対するゲリラ闘争を知りました。森三千代著『国違い』は東南アジアの亜熱帯の雰囲気が十分に伝わってきました。金子光晴氏の影響がたぶんにあるように感じられました。

Posted byブクログ

2014/01/26

ちょっとずつ読んでいる「戦争×文学」シリーズ。この巻は、植民地台湾、プラス、もっと後に日本が支配下においた東南アジアや南洋諸島を舞台にした日本語文学作品をおさめる。 この構成自体どうなのかとも思うのだが、この巻はとくに、シリーズの限界が、かなりはっきり見える感じ。つまり、どれだけ...

ちょっとずつ読んでいる「戦争×文学」シリーズ。この巻は、植民地台湾、プラス、もっと後に日本が支配下においた東南アジアや南洋諸島を舞台にした日本語文学作品をおさめる。 この構成自体どうなのかとも思うのだが、この巻はとくに、シリーズの限界が、かなりはっきり見える感じ。つまり、どれだけ批判的なものが含まれていても、日本語を共通言語とするコミュニティの外のまなざしは、この中には存在しないのだ。 植民地台湾をあつかった第1章では、総督府と日本企業による土地収奪を告発した伊藤永之助のプロレタリア文学が異色を放つ以外には、植民地支配に批判的まなざしをむけた日本人作家の作品はほぼ皆無。日本語教育を受けた台湾人作家による質の低い戦意高揚文学が3つも収められていて痛々しい。邱永漢の「密入国者の手記」だけが、「光複」したはずの祖国を離れねばならなかった台湾人知識人の複雑な苦悩を伝えている。 先住民族と日本支配の衝突をあつかった第2章も、収録作品から欠如しているものの方が気になるが、大鹿卓の「野蛮人」、坂口れい子の「蕃婦ロポウの話」は、それぞれ、「蕃人」を「野蛮」とすることで自らを「文明」の側に位置づけた日本人の立ち位置が、彼らとの直の接触を通してゆるがされる過程が、ジェンダーでくっきりと異なっていて面白かった。大鹿卓の年若い警官は、「野蛮な」女への欲望を自覚することから、霧社事件の制圧を通して首狩りという男性化された野蛮の様式にひかれていく。一方、坂口れい子自身を思わせる「内地人」の主人公は、ハツエという日本名をもつ大酒飲みで傍若無人な先住民の老婆を前に、合理性にとらわれている自分の浅はかさを見透かされたように落ち着かない。霧社事件について、内地人の女と先住民の女が、蜂起で死んだ夫と日本人巡査に引き裂かれて自死した女のメロドラマとして語る。その語りの場を通じてうかびあがってくる複雑な力のかけひき。作家のしなやかな姿勢を感じさせる。 南方・南洋をあつかった第3部はまとまりに欠けるが、高見順「諸民族」は長く諸民族が共生してきた地で「支配民族」という自意識をもてあます自己の内面をみつめて、海音寺潮五郎とは雲泥の差。森三千代の「国違い」も、日本の侵攻がもたらした民族的優越意識が現地人と性的関係をもつ女に対する/自身の視線の変化をもたらすさまが興味深い。 とはいえ、異民族支配の経験をあくまで日本語文学の内部から見ることの制約は、読み手もまた同じコミュニティに所属しているがゆえに、意識するのが難しい。それを補うために解説はもっと充実させるべき。たとえば台湾その他支配された側の文学研究者などの解説をつけるといった工夫も考えられてよかったのではないか。

Posted byブクログ