山城国一揆と戦国社会 の商品レビュー
教科書では地方の国人の下剋上のひとつと説明 される山城国人一揆は南山城国人が畠山同士の 戦争で疲弊する地域社会を維持するために畠山 排除運動であり、主体となる国人は百姓・馬借 や細川政元の力を頼みにした構造だと理解した 国一揆と土一揆が結合した惣国一揆論は学者の 机上の空論であり...
教科書では地方の国人の下剋上のひとつと説明 される山城国人一揆は南山城国人が畠山同士の 戦争で疲弊する地域社会を維持するために畠山 排除運動であり、主体となる国人は百姓・馬借 や細川政元の力を頼みにした構造だと理解した 国一揆と土一揆が結合した惣国一揆論は学者の 机上の空論であり農民闘争云々のマルクス史観 に囚われた残照だ(主体は山城国衆三十六人衆) 国人中に細川政元被官が多く幕府の山科御領国 化の狙いとか興福寺等寺社本所が畠山排除に協 力的という地域情勢が重なり、8年間も国人が 月行事(機構)を使い国成敗権の自立化できた 事件として覚えておく(´・ω・`)
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