心と他者 の商品レビュー
2017.5.3 うーん。すごく面白い、面白いんだけどもやっぱり、納得はいかないなぁという感じである。 まず前半の「蛇と縄」における、見間違いからの主客分化、そこから虚実無記(虚実以前)の現象があるという現象主義の説明がどうもしっくりこない。 我々は見間違う、つまり、「Aを...
2017.5.3 うーん。すごく面白い、面白いんだけどもやっぱり、納得はいかないなぁという感じである。 まず前半の「蛇と縄」における、見間違いからの主客分化、そこから虚実無記(虚実以前)の現象があるという現象主義の説明がどうもしっくりこない。 我々は見間違う、つまり、「Aを見る→Bだと知る→Aだと思っていた時もBであった→自分が思っていること(A)の向こう側に真実(B)があるのではないか」、そして今見ているものは全てAであり、本当はBがあるのではないか、と思う。これが主客未分問題。私が見ているものの向こう側に本体を設定する。竹田さんでいうところの本体論。 野矢の現象学の説明は、このAとB以前の虚実無記Cがあって、Cがその時々によって構成されることでAやBになる、というものである。確かにこれはフッサールの、実的内在→構成的内在、ノエシス→ノエマという構造と一致はする。しかし実的内在は、虚実無記ではない。それはそれで一つの確実な妥当であり、つまり実ではないのか。野矢は現象学の批判として、虚実無記なんてものはなく、虚か実かしかない、つまり何かしらの意味づけ=アスペクトでしか我々は認識を行わないと述べるが、これは現象学への誤解から生じた批判でありながら結論としては双方ぶつからない形に落ちついたような形になっただけである。 他者の心の問題。心とは何か、それは異なる意味秩序、アスペクトのことである。私はこの結論にイマイチ賛同仕切ることはできなかった。論旨は面白い、説得力がある、しかし所々で、なんとも納得しがたいのである。それはおそらく私が現象学が好きで、対して野矢のこの作品はどこか合理主義的だからかもしれない。 アスペクト以外にも私と他者を決定的に分けるものもある。アスペクトを一つの価値観と考えるならば、例えば全く同じ家庭環境で育った双子はもしかしたら価値観は似ているのかもしれない。しかし、一つの状況において、どのような行動を取るかは全然違う。また私は私の身体を自由に動かすことができるが、私は他者を動かすことはできない。身体感覚が私というものの境界線を決定していると言ったのはメルロ=ポンティ?だろうか。自動車や自転車を考えればいい。私の身体を動かすかのごとくに動かすことができるもの/できないもの、それを私は、私/他と分ける。その上での他の中の他者、他者の心とは、という問題か。 私の行動原理、意志とは関係ない原理と原動力で動くならば、あらゆる有機物はそうである。その中で特に他者に心を認めるのはなぜか。ここあたりがどうもピンとこなかった。おそらくそもそもの話の持って行き方に納得していないのだろうか。 もうレジュメにまとめたのは二ヶ月前になる。二ヶ月も経てばこんなにも内容を忘れるもんなんだな。悲しい。読んでも忘れるならなんのための読書か。
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ウィトゲンシュタインに依拠して、言語哲学の基盤から他者論に進むための地ならしをしている。 筆者の主張に対して、そうかな…?という疑問がぬぐいきれない。後半がものすごくわかりにくい。
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大森荘蔵の哲学を、ウィトゲンシュタインのアスペクト論を武器に、徹底に再考することで「独我論」を乗り越え、「他者」をこの世界に位置づけようとした著者の思想的試み。 そんな風な本として読みました。 門外漢の私には、その内容はそもそも難しくってよく理解できませんでしたが、大森氏の自身...
大森荘蔵の哲学を、ウィトゲンシュタインのアスペクト論を武器に、徹底に再考することで「独我論」を乗り越え、「他者」をこの世界に位置づけようとした著者の思想的試み。 そんな風な本として読みました。 門外漢の私には、その内容はそもそも難しくってよく理解できませんでしたが、大森氏の自身の反論や感想などが併記された本書は、それだけで何か火花が散るようで、妙に刺激的で、なんかよく分からないのに惹きつけられてしまう魅力があります。 ある種の(それともすべての、なのかな)「意味」が成立するためには、「私」だけでなく、「私」とは異なる意味体系を持った者の存在=「他者」が必要になる。 とまあ、そんな感じなのかなとは思ったけれど、筆者の考えが理解できたとは思いません。 でも、学生時代に哲学で大事なのは、何かを理解することではなく、私自身が「哲学する」ことにあると言われたので、これはこれでいいんだと思う。 本書を通して「他者」とはなにか、という問題を、著者の思考をたどりながら、そして大森氏の反論に触発されながら、「哲学しよう」とできたこと。そして、何より本書が「哲学する」ための本になっているように感じられたこと。 それだけで、とても面白い本だったと感じられました。
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