ぼくは書きたいのに、出てくるのは泡ばかり の商品レビュー
ボリビアという国があることも知らなかったし、日本人が移住していたことも知らなかった。 知っていようが知るまいが、水のように体にしみこむ詩だ。
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”わたしの夜明けは十二時で十三時には日暮れてしまう だからわたしが存在していることを思い、神がわたしを嫌っていると泣きながら知る時間はたった1時間しかない”‥・ ”わたしの儚い存在の核心に触れながら 暗いトンネルの中の一本の張りつめた綱のように わたしが生きているのは、わたしの...
”わたしの夜明けは十二時で十三時には日暮れてしまう だからわたしが存在していることを思い、神がわたしを嫌っていると泣きながら知る時間はたった1時間しかない”‥・ ”わたしの儚い存在の核心に触れながら 暗いトンネルの中の一本の張りつめた綱のように わたしが生きているのは、わたしのせいではない” 名前も知らなかった詩人。ボリビアという遠い国の詩人。図書館でほんとうに偶然手にとって、偶然ページをめくっただけ。でもページをめくった瞬間、もうぼくはそこを動けなかった。詩のなんてわからない、センテンスとセンテンスは断片的でつながらないーーでもことばが自然と胸に染み込んでくる。あたまの表層を流れるのでなく、体に吸い込まれていく。なんでなんだろう?たぶんこの詩は生きているんだ。生とことばが直結してる。人間への嫌悪と同時にどうしようもない愛着。存在自体が矛盾し、分裂し、そしてそのことに絶望し、しかしそれでも生きていく、いやいまこうして生きている。このどうしようもない苦悩―—。 ”わたしが生きているのはわたしのせいではない” でもだれのせいにもできない。そんな苦しくも愛おしい、にんげんであるということ。
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