フクシマの後で の商品レビュー
ジャン=リュック・ナンシーが2011.3.11の福島原発事故について書いた!ということで注目されるが、実は原子力発電の可否を云々しているのではない。反原発陣営も、その反対の陣営も、あるいはこの本を読んではぐらかされたように感じるかも知れない。 3つの論考がこの本には収められていて...
ジャン=リュック・ナンシーが2011.3.11の福島原発事故について書いた!ということで注目されるが、実は原子力発電の可否を云々しているのではない。反原発陣営も、その反対の陣営も、あるいはこの本を読んではぐらかされたように感じるかも知れない。 3つの論考がこの本には収められていて、その最初の一編「破局の等価性」がフクシマについて書いている。あとの2編は少しずつ思考が重なっている部分があり、ナンシーが何を言わんとしているか読解する助けになる。 「破局の等価性」は2011年12月の講演会に用意された原稿をベースに改訂し、2012年2月に刊行されたもの。ということだ。 ナンシーは独特の視座をもつ哲学者として、純粋に哲学的なスタンスで、フクシマを語っている。 エネルギー問題、反核等々が問題なのではなく、しかしそれでいて、「人類は今、全般的な破局へと向かっている。あるいは少なくともそういうことが可能な状態にいる。」(P27)とナンシーは言う。 彼によると、現在の文明は技術、社会、経済、政治等々が錯綜し、極度の複雑性を呈しているため、ひとつの災害が巨大な、あるいは致命的な破局をもたらしうる。 「相互依存の全体」が差異を消滅させる等価性として顕在化し、「この等価性が破局的なのだ」。 「一般的等価性という体制が、いまや潜在的に、貨幣や金融の領域をはるかに超えて、しかしこの領域のおかげで、またその領域をめざして、人間たちの存在領域、さらには存在するものすべての領域の全体を吸収している」(P28)。 こうした文明の各領域は、合目的性を基準として発展してきたわけだが、ナンシーはこの「合目的性」を批判する。未来への志向、投企、投影から抜け出さなければ、「目的と手段の終わりなき等価性から抜け出すことはないだろう」(P63)。 最後の方でナンシーは「現在において思考すること」を対抗策として提案する。この現在とは、どうやら共に-在ること、共存在の次元であるらしい。 なるほど、このようにしてナンシーは自己の哲学の内に、フクシマを引き受けたのだった。 反原発あるいは原発推進どちらのポジションにたつ人にとっても、この本は興味をひかれないかもしれないが、ナンシー哲学の壮大な視野をとらえることのできる、純度の高い本である。ただし、これだけスケールの大きなことを語り尽くすには、この小論ではさすがに足りないだろう。
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