あの日からの建築 の商品レビュー
建築家でもこんなことが考えている人がいるんだぞ、と社会一般に示しているかのような本で、好感を持った。 だいいち、現代の建築家が書く文章にありがちな、必要以上の小難しさや気取った感じがない。 またそれに、「建築家や建築の"在るべき姿"をまず説いたうえで、その&...
建築家でもこんなことが考えている人がいるんだぞ、と社会一般に示しているかのような本で、好感を持った。 だいいち、現代の建築家が書く文章にありがちな、必要以上の小難しさや気取った感じがない。 またそれに、「建築家や建築の"在るべき姿"をまず説いたうえで、その"在るべき姿"に沿っているのだという説明の仕方で自身の建築を紹介し、いかに素晴らしいかを説く」というのが、ありがちな現代の建築家の書き方に近いようでいて、実のところ本書では伊東の建築へのこれまでの向き合い方をも相対視されているというのが傑出しているところ。 とても正直な気持ちがつづられていると思う。 じっさい、伊東の建築スタイルも、せんだいメディアテークをきっかけに構造・素材だとか使われ方だとかに興味が向いてきたことや、東日本大震災をきっかけに地域社会への歩み寄りがなされるようになってきたこと等で、コミュニティ志向・地域志向が醸成されてきたというのが、端的な文章からもよく伝わってくる。 地域への歩み寄りと、その逆としての、(冒頭に語られた)東京への疎遠感というのも、正直な気持ちなのだろう。 また例えば、地域の入り方として、いわゆるヨソモノとして開き直るのではなく、いかにして地域に入り込むか(たとえばそのために、いかにその地域のことを知ろうとするか、あるいは演歌等も入り込むきっかけになるということ)も建築家が語っているというのも素敵なことだと感じた。
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建築家はコンセプトが抽象的であっても、そこを利用する人との会話によって建築が成立つことを忘れてはならない。と問い掛けてくれているように感じた。
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[ 内容 ] 東日本大震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅は、共同体を排除した「個」の風景そのものである。 著者は、岩手県釜石市の復興プロジェクトに携わるなかで、すべてを失った被災地にこそ、近代主義に因らない自然に溶け込む建築やまちを実現できる可能性があると考え、住民相互が心...
[ 内容 ] 東日本大震災後、被災地に大量に設営された仮設住宅は、共同体を排除した「個」の風景そのものである。 著者は、岩手県釜石市の復興プロジェクトに携わるなかで、すべてを失った被災地にこそ、近代主義に因らない自然に溶け込む建築やまちを実現できる可能性があると考え、住民相互が心を通わせ、集う場所「みんなの家」を各地で建設している。 本書では、国内外で活躍する建築家として、親自然的な減災方法や集合住宅のあり方など震災復興の具体的な提案を明示する。 [ 目次 ] 第1章 あの日からの「建築」 第2章 釜石復興プロジェクト 第3章 心のよりどころとしての「みんなの家」 第4章 「伊東建築塾」について 第5章 私の歩んできた道 第6章 これからの建築を考える [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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昔の会社の名前が出て嬉しい反面、建築家のあるべき姿は共感できないものもある。クライアントに合わせて設計するのも能力だと個人的にはおもう。
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今までにない伊東さんの正直な姿を感じた。安藤さんに仕事を譲ってもらったエピソードとか‥。最後の「個によって個を超える」意気込みに感動。
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近代を乗り越えると主張されているが、近代そのものをアクチュアルにとらえきれていないように感じた。 批判という言葉にも同じ様なものを感じる。批判がこの日本では正当な機能を果たしていないのは私も同感する。しかし、氏もそのスタンスに立っているはずが上滑りな批判を展開しているのも疑問。...
近代を乗り越えると主張されているが、近代そのものをアクチュアルにとらえきれていないように感じた。 批判という言葉にも同じ様なものを感じる。批判がこの日本では正当な機能を果たしていないのは私も同感する。しかし、氏もそのスタンスに立っているはずが上滑りな批判を展開しているのも疑問。 みんなの家のことをもっと深く取り上げて欲しかった。所詮、作ったらそれまで、というのが現代建築家の否定できない側面なのだろうか。 震災後の建築のあり方に関する提言もアイデアに過ぎず、実証性に乏しい。
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※このレビューにはネタバレを含みます
・・・象徴物に力を求める資本主義と、建築技術の飛躍的向上により、フランクゲーリーやザハハディドの巨大彫刻のような建築が世界的ブームになっているが、 伊東やSANAAは外部空間と建築と人間の壁を無くす日本的な空間建築で風穴をあけている。 「みんなの家」 あの日から、個としてのオリジナルな表現も都会的要素も無い場を地域の人々と心をひとつにしてつくることができた。 近代主義は私と他者、内と外など物事を切り分ける思想だった。 しかし日本では、日本語や伝統建築空間、あいまいな人間関係によって豊かさが保たれていた。 機能と言う概念は人間の多彩で複雑な行動を単純に区分して抽象化したに過ぎない。 だから利用者から見れば楽しくない。 「せんだいメディアテーク」 自然の快適さをモデルにした新しい空間の秩序が快適さにつながる。 「TOD’S表参道ビル」 建物の中にいても外部的な空間に変化する、木の枝のように枝分かれしたコンクリートの構造壁。 「台中メトロポリタンオペラハウス」 二組のチューブの連続体。内部のような外部のような構造体。 自然の中にいるような自由な気持ちでいられる。 「個を超えた個へ」 現代建築での建築家は資本主義を目に見える空虚な形のアート作品にする道具になっている。 建築の原初の姿は、共同で何かを作り上げ、集団として崇め、作ることが喜びであるという共同性のあらわれ。
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読後に静かな余韻が残るお薦めの新書。謙虚に、愚直に、建築の社会的意味を追求されている建築家・伊藤豊雄さんの姿勢にとても共感。建築は、建築家のエゴの表現ではなく、何か社会と共有できる原理を持つ存在でなければいけないと。例えば仙台メディアパークのような、「目的はないけれども何か安心出...
読後に静かな余韻が残るお薦めの新書。謙虚に、愚直に、建築の社会的意味を追求されている建築家・伊藤豊雄さんの姿勢にとても共感。建築は、建築家のエゴの表現ではなく、何か社会と共有できる原理を持つ存在でなければいけないと。例えば仙台メディアパークのような、「目的はないけれども何か安心出来る場所」、つまり社会にとって必要とされる場所。そういう、建築の内と外の関係性に注目すると、建築を見る目がガラッと変わってきますね。外見は豪華そうな建築が妙に薄っぺらく見えてくる。この本一冊を読むだけで、あらゆる建築物との接し方・向き合い方が見えてくるように思います。
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ありのままの自然との関係を取り戻す。そのためにはもっと建築家が社会の内側に入ってポジティブな建築をつくらなければならない。建築は身体で考えるものであり、リアリティのない中で美しい図面を描いても豊かな空間にはならない。建築家として3.11以前から考えてこられたことを3.11をきっか...
ありのままの自然との関係を取り戻す。そのためにはもっと建築家が社会の内側に入ってポジティブな建築をつくらなければならない。建築は身体で考えるものであり、リアリティのない中で美しい図面を描いても豊かな空間にはならない。建築家として3.11以前から考えてこられたことを3.11をきっかけに静かに力強く訴えているように感じる。ハードよりもソフトから、土木よりも設計からを考える社会が求められている。
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3.11の震災後、著名な建築家がどのような想いでいるのか、ベネチアビエンナーレ金獅子賞の「みんなのいえ」ができる過程などが気になり、読んだ一冊。 建築に携わるいろいろな人の講演で、震災後、建築家が求められていないことの虚しさともどかしさから活動を始めたという話を聴く機会があった...
3.11の震災後、著名な建築家がどのような想いでいるのか、ベネチアビエンナーレ金獅子賞の「みんなのいえ」ができる過程などが気になり、読んだ一冊。 建築に携わるいろいろな人の講演で、震災後、建築家が求められていないことの虚しさともどかしさから活動を始めたという話を聴く機会があった。 本著では、社会的背景や歴史などを踏まえて、なぜ建築家が求められていないのかという、著者の見解が語られている。 なぜ海外で評価されている建築家が、日本で評価されていないのかなど、納得。 読みやすい文章で、建築の知識がさほどなくても、理解できる。本著に登場するひとつひとつの建物について、詳細を知りたくなった。
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