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まともな日本語を教えない勘違いだらけの国語教育 の商品レビュー

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2017/07/13

著者は、戦争を題材として扱うことに否定的であったが、よい作品には何が題材であれ出会ってほしいと思う。 ブッククラブの方法はなるほどと思った。

Posted byブクログ

2014/04/06
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

前半は、国語教育、文部科学省、今の教員、とりわけ部活指導を学習指導より優先させる中学校、国語教科書、教科書会社、全国学力テスト、遅くまで非効率的にだらだら学校に残る教員などなど、児童生徒以外をすべてバサバサ切り捨てる痛快活劇に大爆笑してしまった。特に、教員が「仕事」にかまけて、本を読まない、すなわち学び成長しようとしない矛盾した存在であることをくり返し非難していること、そして、4時に帰るオーストラリアや海外の教員にこそ日本人教員がアシスタントとして学ぶべきだという指摘は、的を射てていると実感する。 文部科学省にも勤めた当事者として、ここまで「行政、指導要領、教員、差別的な物語文、被害者意識を刷り込む戦争教材、国語教育の全てを一掃せよ!」と言い切れる人は少ないだろう。敬意を感じずにはいられない。 その上で、では、実践としてどうあればいいのかに入ると、書いているように、教師がずっとしゃべり、児童や生徒がその話をずっときいている授業は「教師中心型」で❌、反対に教師は教えずに子どもに考え「させる」「子ども中心型」であるべきと言う。 しかし、自分の視点からは、著者は教授学習過程において教師中心をとことん批判しているのだが、結局は、その批判対象と同じ土俵に立ったままだといわざろうえない。「スキャッフォルディング」や「主題は複数ある」というような構成主義的、または、社会的構成主義的なものいいをするのだが、0か1の「正しい読み」がなされなければ、何も始まらないようにも断言している。 文章を読む時の「問い」の重要性を高らかに謳いながら、その問いは常に教員が子どもに与えるものとしてしか描かれない。これでは、プリントの代わりにどんな子どもでも導く質問であふれかえる、くもんのようだ。その大切な質問を、子どもが発するように支援していくことこそが、本当の読み手に育てる事になるのではないか。学び手になっていない教員を批判しながら、子どもと教員の間に、固定した役割という壁を打ち立てている。 残念ながら、「児童中心主義」の看板が濡れないように頭の上で掲げながら、教師中心主義の川に反して留まり、しかし、対岸にはあがらない旅人のようだと思った。 私自身、批判的に聞こえるかもしれないが、この本を読んで目覚めてほしい国語教員が身の回りにたくさんいる。

Posted byブクログ

2013/01/30

クリティカルリーディングとは?改めて考えさせられました。この本そのものも、読む私たちがクリティカルリーディングすればいいと思います。共感できるところ、そうでないところ。

Posted byブクログ