漱石とカントの反転光学 の商品レビュー
『三四郎』のなかで与次郎が語る「カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか云つたな」ということばから考察をはじめて、漱石の文学のうちに「超越論的観念論にして経験的実在論」であるカントの批判哲学に通底するものをさぐる試みです。 著者は、カントの批判哲学における超越論的...
『三四郎』のなかで与次郎が語る「カントの超絶唯心論がバークレーの超絶実在論にどうだとか云つたな」ということばから考察をはじめて、漱石の文学のうちに「超越論的観念論にして経験的実在論」であるカントの批判哲学に通底するものをさぐる試みです。 著者は、カントの批判哲学における超越論的観念論と経験的実在論の関係を「反転光学」と呼びます。その一方で著者は、久米正雄と芥川龍之介にあてた手紙のなかで漱石が記した「明暗双々」ということばに注目します。「明暗双々」は禅語であり、「明」は差別の現象、「暗」は平等の理体を意味し、両者は「廻互的」な関係にあるとされており、ここにも「反転光学」の関係が成立すると考えられることになります。 さらに著者は、従来の漱石研究において重視されていたウィリアム・ジェイムズやその影響を受けた西田幾多郎の「純粋経験」の立場、あるいは井上哲次郎の「経験即実在」の立場が、形而上学的な実在論への傾向をもっていたのに対し、漱石の「反転光学」の立場は、どこまでも「経験という肥沃な地盤」に根を下ろした、「明朗快活なニヒリズム」と呼ばれるべき境位であることを明らかにするとともに、彼の文学的なテクストがそうした地盤からかたちづくられていると論じています。 従来の漱石研究がジェイムズからの影響関係を重視しており、カントとの関係を見落としているという著者の基本的な主張は納得がいくものでした。ただ、漱石のテクストを読み解くに際して、生硬な哲学概念がいくぶん過剰に用いられており、すこし強引な解釈になってしまっているような印象を受けてしまったことも事実です。
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