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宗教の見方 の商品レビュー

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2016/05/26

宗教について学問するとは何か、を真摯に探求した良書。価値中立的ではありえない宗教を学問することの困難さを意識しながら、相対主義に堕しかねない議論を巧みに避ける論拠を提示している。そもそも宗教とは何か?について広い視野が得られるのが最大の収穫。 ・信じることと科学性との間に直接的...

宗教について学問するとは何か、を真摯に探求した良書。価値中立的ではありえない宗教を学問することの困難さを意識しながら、相対主義に堕しかねない議論を巧みに避ける論拠を提示している。そもそも宗教とは何か?について広い視野が得られるのが最大の収穫。 ・信じることと科学性との間に直接的な排他的関係はない。また、信じることと非科学性との間に直接的な親和関係はない。 ・宗教は異常なものの説明ではない。宗教は例外的、不正規のものによりも、むしろ規則的なものに関わる。 ・宗教と仏教という言葉はともに幕末期に定着する。ただし、異論あり。 ・ヒトラー:政治的信条は信仰へと高まらなければならない。さもないと人間存在の基礎がはなはだ動揺する。 ・統計上の大きな問題は、どの宗教教団にあっても、脱会者はまずもって考慮されない。 ・サブリミナル効果はデマ。 ・教義の論理的首尾一貫性と体系性とを突き詰めようとする宗教の理論的合理性は、執念としかいいようがない。並の理性使用ではない。 ・幸いな出来事の共有が人間同士を接近させるように、共通の不幸も、それを共同で嘆くことによって人々を接近させる。 ・一般的に言って、物事の本質は外形や素材に出はなく、むしろその使用目的のほうにある。 ・ヴェーバー:幸福の神議論と苦難の神議論 ・デュルケム:社会は宗教現象である。社会は理想によって構成されているから。 ・自殺に追い込まれる二方向:自己本位主義と集団本位主義。 ・不可避な限界状況を意味づけして入れる社会的装置の代表が、宗教である。 ・個人の逸脱傾向の度合いを宗教性との関係で見ることはまずできない。 ・宗教的信念の真偽を検証しようとする人はいない。 ・世俗化は宗教の外的形態の弱体化に過ぎず、人間の存在状況が人間にとって問題である限り、その意味づけとしての宗教は衰退し得ない。 ・社会の道徳的尊厳であれ、宗教のそれであれ、道徳的尊厳といわれうるものはすべて、社会にしか起因しない。言い換えると、世論こそが尊厳ないし権威の源泉である。

Posted byブクログ

2015/06/23

宗教とは、ヒトが人間として生きるための指針なのだろう。 そう考えると、狭義の宗教が今の時代一見すたれている理由が腑に落ちる。… それは、科学やら経済やらで説明されているつもりなのだから。数値で表せない「死後の世界」やら「幸福をつかむ」ことやらが宗教に課せらせた使命、という事か。 ...

宗教とは、ヒトが人間として生きるための指針なのだろう。 そう考えると、狭義の宗教が今の時代一見すたれている理由が腑に落ちる。… それは、科学やら経済やらで説明されているつもりなのだから。数値で表せない「死後の世界」やら「幸福をつかむ」ことやらが宗教に課せらせた使命、という事か。 著者は「常識を疑い、吟味する」ことから「宗教とは何か」を見つめ直しているため、全般に定説に対する批判的意見が立ち並ぶ。(その点では、独学でこの本が宗教入門一冊目、というのは大変です...。) しかし、ふんだんに盛り込まれた例え話が、日本人で「普通」に生活している(と思っている)私には分かりやすく、理解を助けてくれた。

Posted byブクログ

2013/06/18

「写真を示されると、人は批判的・懐疑的思考を停止する傾向がある」 「私は自分で見たものしか信じない」みたいな懐疑主義的立場を”素朴”に取っている人というのはなかなか危ういもので、そういう人こそ、割と神秘主義的なものにはまりやすいのではないかと思う。 例えば瞑想とか、あるいは典...

「写真を示されると、人は批判的・懐疑的思考を停止する傾向がある」 「私は自分で見たものしか信じない」みたいな懐疑主義的立場を”素朴”に取っている人というのはなかなか危ういもので、そういう人こそ、割と神秘主義的なものにはまりやすいのではないかと思う。 例えば瞑想とか、あるいは典型的には麻原の空中浮遊とかがその典型かなと思うんだけど、ああいう「自分の目で見たものは信じない」的なタイプの人は、いざ自分が体感してしまえばそのままそれに対して没入してしまう。僕の短い人生経験の中でもそういう人は何人も見てきたし、多分僕が知らないところでもそういう人はいっぱいいるのではないかと思う。 さて、こうやって神秘主義的な立場の人を冷静な目でみようとするのがいわゆる学問というものだが、しかし一方で学問的立場から発言しようとした者でも、割と色々なものに騙されたりする。引用においた「写真」はその代表例だし、あとはグラフとか数字とかそういったものにも弱い。いや、訓練をきちんと積んだ社会学者やら自然科学者においてはその限りではないだろうけど、少なくとも僕の属しているような人文学系の学生とかには割とその傾向があるのではないかと思う。 この、普段「ナイーブ」だと嘲笑っていた相手と同じような行動をうっかり自分も取っている、という図式は、この件にかぎらず割と散見されることではあるので、ナイーブな誰かを見たら自分も同じようなことをしているのだと自戒して(なにせ同じ人間だ)、自分を見直す機会に変換させようとするぐらいの態度が、健全な態度と言えそうかなと思う。

Posted byブクログ