孤独な散歩者の夢想 の商品レビュー
ルソーたん!!!!私がいる!私がいるよーっ( ;∀;)!!!!と呼びかけてしまいたくなるほど冒頭から悲壮感漂う。栄光から一転、迫害を受けたルソーが自分の殻に閉じこもって書いた夢想の束。でも読み進めるにつれ、被害妄想の羅列と化していき、「わかった、わかった」と聞き流してしまいそうに...
ルソーたん!!!!私がいる!私がいるよーっ( ;∀;)!!!!と呼びかけてしまいたくなるほど冒頭から悲壮感漂う。栄光から一転、迫害を受けたルソーが自分の殻に閉じこもって書いた夢想の束。でも読み進めるにつれ、被害妄想の羅列と化していき、「わかった、わかった」と聞き流してしまいそうに(笑)けれど、ところどころにはっとさせられる言葉が散らばっており、「なぜ生きるかを知っている者は、どのように生きることにも耐える」というニーチェの言葉を思い出した。時代が彼に追いつくまでは、まだ少し時間が必要だった。次は『エミール』読もう。
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愛に破れ世間から敵視され隠遁したルソーが書いたエッセイ。逆境でもなお心にハリを保つために、いつか読み返す機会があれば。 ルソーは世間に敵視されているものと完全に決め込んでいるが(実際にそうだったかは分からない)、それに比べたらいまの自分は世間が優しいと信じられていることは分かった...
愛に破れ世間から敵視され隠遁したルソーが書いたエッセイ。逆境でもなお心にハリを保つために、いつか読み返す機会があれば。 ルソーは世間に敵視されているものと完全に決め込んでいるが(実際にそうだったかは分からない)、それに比べたらいまの自分は世間が優しいと信じられていることは分かった。あれだけの迫害でここまで心の自由を保っているのなら、いわんや自分は……。でも、自分一人で完結しているのだと何とか無理やり言い聞かせているという気もしないでもない。 これも買っておきたい。 p.116 第五の散歩 だが、確固たる基盤を得て、魂がすべてをゆだね、過去や未来に思いを馳せることなく存在のすべてを今ここだけに結集させることが可能になるような状態というのはあるのかもしれない。時間を感じさせない状態。ただ現在だけがあり、その持続性も継続性も感じさせず、欠落も充足も、喜びも苦しみも、欲望も不安も感じず、ただ感じるのは自分の存在だけ、しかもその存在感だけで自分が満たされる状態。もし、そんな状態が続くならば、それを幸福と呼んでもいいだろう。ここで言う幸福とは、日々の快楽にあるような不完全で脆弱な相対的な幸福ではなく、充足した幸福、完璧な幸福、魂の中に埋めるべき空白を残さない本当の幸福である。[...]こんな境地にあるとき、人は何を楽しんでいるのか。自分の外にあるものはまったく関係ない。自分の内なるもの、自分自身そのものだけで十分なのだ。この幸せな環境が続く限り、自分が自分であることだけで神のように満足できるのだ。あらゆる雑多な感情から自由になったとき、それだけで穏やかに満ち足りた崇高な気持ちになれる。 p.128 第六の散歩 つまり、自分のもって生まれた傾向に従うこと、気が向いたときだけ「良いこと」をし、満足感に浸るということは、徳とはいえない。本当の徳とは、義務によって命じられたときに、自身の性向に抗ってでも、なすべき善をなすことにある。 p.157 第七の散歩 個人に関するもの、肉体の苦痛や快楽に関するものに本気で心を奪われることはない。瞑想や夢想において最も甘美な体験は、自分を忘れるときにのみ訪れる。私が言葉にならないほどの恍惚と陶酔を感じるのは、生命の大きな体系に溶け込み、自然そのものと一体になるような気がする、まさにそのときなのだ。人間が皆、兄弟のように思えたころは、地上の幸福を求めていた。[...]個人の幸福に心を動かされたことはなかった。だが、私を貶めることこそ、自分たちの幸福だと思い込む彼らの姿を見て、私は変わった。彼らを憎まずにいるには、彼らから逃げるしかなかった。私は「万物の母」である自然に助けを求めた。 p.184 第八の散歩 無実の罪で迫害された者は、大したものでもない自分の高慢な心を、いや、これは正義に対する純粋な気持ちなのだといつまでも思いたがる。だが、不穏な気持ちの本当の源がどこにあるか分かれば、それをもとから断ち切ること、せめてもの流れの方向を変えさせることは簡単だ。自尊心は、誇り高き魂にとって最大の動機となる。利己愛は、さまざまな幻想をかきたて、ただ自分が可愛いのではなく自尊心の問題なのだと嘘をつき、信じ込ませようとする。だが、その幻想を見破り、ひとたび利己愛を自覚することができれば、もう心配はない。 p.193-194 渡しの場合、外からの刺激が一瞬ごとに更新されていかない限り、苦しみが長続きすることはない。ほんの一瞬でも間があけば、私は自分を取り戻すことができる。私の感覚が彼らの攻撃に反応している限り、私は彼らのなすがままになっている。[...]他人が何をしようと、私の平常の姿はそこにある。それによって、私はどんな不運に襲われようと、自分にふさわしい幸福を味わうことができているのだ。[...]今の私を動揺させるのは、彼らがこの先まだ何か仕掛けてくるのではと案じる気持ちぐらいのものである。だが、たとえ彼らが新たな攻撃を仕掛けてきても、それによって永続的に心が乱れることはないと確信しているので、私は彼らの邪な策略な笑い飛ばし、彼らのことは忘れてひとり楽しく暮らすのである。
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ルソーでさえ、こんなこと思うんならわたしなんてどうしたら良いんだろう。 うまく孤独にもなれなくて、自意識ばかりが肥大している他人を見て、「ねえ!?あなたは普通!普通なんだよ!!」って言いたくなる。それは自分自身に対しての言葉でもある。 とてつもなくいたくて辛い。 そんな惨めな思い...
ルソーでさえ、こんなこと思うんならわたしなんてどうしたら良いんだろう。 うまく孤独にもなれなくて、自意識ばかりが肥大している他人を見て、「ねえ!?あなたは普通!普通なんだよ!!」って言いたくなる。それは自分自身に対しての言葉でもある。 とてつもなくいたくて辛い。 そんな惨めな思い、誰だってするのだろう。ただ、こうやってルソーのように明確な言葉になんてとてもじゃ、ないけどできない。
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ルソーは、理性の時代を生きる人間としては、優しすぎた。直感的で、情け深い(そして妄想癖のある)ルソー。そんな「人間」ルソーの魅力を、本書が余すところなく伝えている。
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ここにいるのは人間ルソー。歴史上の偉大な人物ではなく、いや、でもありつつ等身大のルソーがいる。勘違いかもしれないけど、ここに書かれている感情、情動の多くは私でも体験したことがある。素晴らしい著作だなぁ。
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