トリュフォーの手紙 の商品レビュー
「毎日ぼくはきみに五通の手紙を書く。きみも手紙を書いてくれ、手紙を!手紙を!」(本の帯より) エピストリエ(手紙魔)であったいうフランソワ・トリュフォー監督の手紙を基に綴ったトリュフォーの半生。 そのドラマチックな展開はとても面白かった! 私生児として生まれ、不良少年として少...
「毎日ぼくはきみに五通の手紙を書く。きみも手紙を書いてくれ、手紙を!手紙を!」(本の帯より) エピストリエ(手紙魔)であったいうフランソワ・トリュフォー監督の手紙を基に綴ったトリュフォーの半生。 そのドラマチックな展開はとても面白かった! 私生児として生まれ、不良少年として少年鑑別所で過ごし、兵役を志願するも脱走し軍刑務所に送られた悲惨な日々。そして、恋愛と友情。トリュフォーを変えたのは映画との出会いであった。彼をを支えたのは『カイエ・デュ・シネマ』誌のアンドレ・バザン編集長であり、そこに集った映画評論仲間たちであった! 『大人は判ってくれない』の成功とヌーヴェルバーグの旗手としての活躍。 ここまでの経緯はどん底にもかかわらず、映画という糧を得て、前向きに這い上がってくる青年トリュフォーの躍動感が伝わってくるかのようである。 ヌーヴェルバーグとは何かと訊かれ、そこに集った仲間たちとの連帯であるというような答えを出しているのも面白い。まさに、ヌーヴェルバーグとは、究極的には、ただひたすらに仲間の映画を支持するという友情と連帯の「時代」のことであったといえるのだろう。 そして訪れた1968年の5月革命とカンヌ映画祭粉砕事件。『カイエ・デュ・シネマ』誌との決別と盟友ジュン=リュック・ゴダールとの争い。本書の白眉は何といってもこのゴダールとの喧嘩状だといえる。 映画評論家時代は「フランス映画の墓掘り人」と蔑まれ、また映画作家としてヌーヴェルバーグという新たな潮流の旗手として活躍したトリュフォーであったが、さすがに自らが先頭に立ったカンヌ映画祭粉砕事件は自分自身の存在意義を失わせるものと気がついたのではないだろうか。映画としての面白さを追求していこうとするトリュフォーに対し、ゴダールは商業映画との決別を宣言し、さかんにトリュフォーを攻撃する。2人の「父親」の板挟みとなり苦しむジャン=ピエール・レオ。その頂点として交わされた2人の喧嘩状には骨肉の争いのような凄みが見出されぞくぞくするような面白さがある。 ゴダールの罵詈雑言も酷いものであるが、子供じみた言説と結局はお金を引き出したいという根性も透けて見えて、ある意味微笑ましいのであるが(笑)、ジャン=ピエール・レオへの無心に加えて、もしかすると主演女優をモノにしてきたというトリュフォーへの批判が図星だったためもあるのか(笑)、トリュフォーの反論はこれまで蓄積してきたゴダールへの鬱憤を全て吐き出すような文面でこれもまたとても面白かった。 お互いに最後にはその気になったら直接連絡を、といって文章を終えているのも最終的な決別に踏み切れないお互いの心情が見て取れて興味深い。 そして、トリュフォーの死。葬儀には出席しなかったというゴダールだが、その後わだかまりを解消したのか、トリュフォーへの想いを吐露するかのような演出やジャン=ピエール・レオへの思いやりの言葉などはとても泣けてくるエピソードであった。 悲惨な少年時代を過ごしたせいか、5月革命を経て(?)大人になったトリュフォーは、ただただ映画に対してひたむきに取り組んできた。かつて助けてくれた友人を気遣い、いまは落ちぶれた映画人を救済し、いろいろな人が楽しめるようにとバラエティーな作品に挑み続けたトリュフォー。 最終章では、トリュフォーの友人でもあった本書の著者・山田宏一との心温まる交流が累々と記されていてとても感動的である。様々な人たちへの感謝の気持ちと細やかな配慮、それに映画愛。映画を通して辿りついたトリュフォーの人柄が偲ばれる。 本書を読了した上は、早速、トリュフォー作品を観ずばなるまい。
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トリュフォーのできるだけ多くの映画を作りたいという情熱。 いろいろな友人たちのためにいろいろな映画を作りたいというバランス哲学。 52年の生涯に書かれたたくさんの手紙。 映画と友人を心から愛した人生。 私のために撮られた映画はどれだろう。
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