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わたしの物語 の商品レビュー

3.6

11件のお客様レビュー

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2023/03/04

小説ってどこまで自由なんだ。読後、ヘンなもの読んじゃったなあとニヤニヤが消えない作品だ。 (わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」 という物語ですが〉 という書き出しを目にすれば、 「語り手が修道女になるまでの物語なんだな」 と思うわけだが、しかしっ!...

小説ってどこまで自由なんだ。読後、ヘンなもの読んじゃったなあとニヤニヤが消えない作品だ。 (わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」 という物語ですが〉 という書き出しを目にすれば、 「語り手が修道女になるまでの物語なんだな」 と思うわけだが、しかしっ! 予断をことごとく打ち砕かれて、 膝カックンな気分になる箇所多々。 笑いどころ満載の知的な冗談小説として愉しんでほしい。

Posted byブクログ

2022/10/22

最初から最後まで衝撃的・予想外な作品だった… なんというか、私などが感想を書くのは手に余る。そう思わされるような、新境地を見たというか、いい意味でやばい作品だ。 原題をそのまま訳すと「わたしがどのように修道女になったか」になるのだが、邦訳にあたりさらにシンプルに「わたしの物語」...

最初から最後まで衝撃的・予想外な作品だった… なんというか、私などが感想を書くのは手に余る。そう思わされるような、新境地を見たというか、いい意味でやばい作品だ。 原題をそのまま訳すと「わたしがどのように修道女になったか」になるのだが、邦訳にあたりさらにシンプルに「わたしの物語」と題を訳したとのこと(訳者あとがきより)。 主人公のわたしを、周りは小僧・息子などと読んでいることから少年だと思われるが、わたしはわたしのことを「少女」と思っている…という認識でOK?誤字じゃないよね?と、頭ん中???になりながら読み進めた。 物語は「わたし」ことセサル・アイラ(!)が六歳のころ、アルゼンチンのロサリオという町で、初めて父親にアイスクリームを食べさせてもらう話から始まる。 このアイスクリームの話単体でも、まさかの展開になり、心中でえええっ!?と叫びながら読み進めた。 アイスクリームのくだりが終わってからは、さらに意味不明な文章・展開となる。 物語全体的に、述懐しているかのような語り口なので、振り返って語っている「わたし」は現在一体何歳でどんな人物になっているのか気になりながら読んだのだが…… 意味不明と感じながら、でもどこかわかると思ってしまう、興味がそそられ読み進められたのはなぜだろうと思う。 この辺についてはもう、実際に本書を読んで実際にその感覚を味わっていただきたい。 さて、ラストはまさに衝撃なのだが、「わたしの物語、というのは、「わたしがどのように修道女になったか」という物語ですが、…」から始まるこの物語、最初に断っておくと「わたし」が「修道女」になることなく終わる(おそらく男の子だしね…)。 じゃあこの序文と原題はどういう意味を持つのか? 訳者があとがきで分析してくれているので、興味のある方は本文読了後、あとがきまで是非読まれたし。 というか読了後、私はこの作品をどう咀嚼すればいいのか分からず、縋るようにあとがきを読んだ…笑 訳者による「かたすかし」という本作への評は、なるほど確かにと思わされる。 でもなんだか癖になる作風なので、作者の他の書籍が邦訳されているのならぜひ読みたいところ。 というかこの本について他の方の感想も読みあさりたいところです。

Posted byブクログ

2021/07/25

 久しぶりにやばい本に出会った。私史上、川上未映子さんの「わたくし率 イン 歯ー、または世界」に次ぐ衝撃作。いや、「わたくし率〜」を読んだときに感じたのは、衝撃というより圧倒的な意味不明感だった。意味不明すぎて完全に迷子になって、最終的に何が起きたかといえば、作者の意図とか作品の...

 久しぶりにやばい本に出会った。私史上、川上未映子さんの「わたくし率 イン 歯ー、または世界」に次ぐ衝撃作。いや、「わたくし率〜」を読んだときに感じたのは、衝撃というより圧倒的な意味不明感だった。意味不明すぎて完全に迷子になって、最終的に何が起きたかといえば、作者の意図とか作品のテーマとかいったものを理解する努力をまるっきり放棄してしまった。一方でこちらは、物語の進んでいく先がポンポンと方向転換するものだから、作者の思惑にまんまと振り回された。でも、後述するけれど、理解する手立てはあるから、目を白黒させながらもなんとか読了できた。一回読んだくらいでは、とてもじゃないが吸収し切れない。しばらく経ったらまた手に取ってしまいそう。なんだろう、この奔放な作風はちょっと癖になるのだ。  前半の掛け合いは「コントか?」と思い、中盤ではどんどん加速する支離滅裂さにオロオロしながら主人公の人格やジェンダーの不確定さに推理力を働かせ、そしてラストはもう唖然。目が点。とにかくタイトルと内容との無関連感が尋常ではない。解説で訳者の方が「かたすかし」という単語を用いてこの作品を表現していたけれど、まさにその通り。原作のタイトルは ”Cómo me hice monja” で、英訳版のタイトルはほぼ直訳で “How I Became A Nun” 。日本語版のこの本も、「わたしの物語、というのは、『わたしどのように修道女になったか』という物語ですが」という書き出しで始まる。なのに主人公はいつまで経っても修道女にはならない。なる気配すらない。そもそもなれないのだ。じゃあなぜこのタイトル。謎でしかない。  中盤、びっくりして思わず二度見してしまった箇所をちょっと抜粋。 --- 「それでも、その年、わたしには友だちがひとりできました。男の子です。隣の子です。わたしはその子とよくいっしょに遊びました。ありきたりの意味での友達です……もっとです。何しろわたしもありきたりな意味(「ありきたり」という言葉のありきたりな意味)でのありきたりな少女になっていったのですから。いいえ。そこまでではありません。わたしがアルトゥーロ・カレーラと友だちになったお話は、他に例を見ないようなものだったのですから。」 (p.115) ---  いやいやどっちやねんという。散々熱弁しておいて突然「そこまではありません」とは。この突き放し感である。  作品を通して、数々のナンセンスが堂々とまかり通ってしまう理由について考えを巡らせると、ひとつの結論に至った。主人公の年齢は六歳。腐ったアイスクリームを食わされたせいで入院を余儀なくされ、その結果小学校入学が三ヶ月遅れ(新入生にとっての三ヶ月は致命的だだ!)、友達もいなければ読み書きもままならない。腐ったアイスクリームを無理矢理食わせた張本人であるオワコンな父親と、メンヘラでモンスターペアレントな母親。少女の存在を無視することをクラス全員に強要する担任教師、低俗な言葉を連呼する同級生たち(とはいえ小学一年生とはえてしてそういう言葉を連呼したがる生き物なのだろうから、罪はない)。そういう人々に囲まれた六歳の少女の目には、世界はこんなふうに混沌としたものとして映らざるを得なかったたと考えれば、合点はいく。そしてその前提にいったんいきついてしまえば、それ以降はそもそもナンセンスだともあまり感じなくなる。  いろいろ衝撃だったけれど、たくさん本を読み過ぎてちょっとマンネリしてきたなあと感じている人にとっては、最高のウェイクアップコールになるに違いない作品だと感じた。最後に、頭のおかしい担任教師と生徒たちの狂気が顕著な一部分を抜粋して終わる。お疲れ様でした。 --- 「『はい、先生』と言いましょう』」 「はい、先生!」 「もっと大きな声で!」 「はあああい、せーんせーいいいい!」 「『せい、はんはああい』と言いましょう」 「しい、せんはあい!」 「もっと大声で!」 「いいいいんはああせええええええん!」 「もおおっとおおおおおおごえで!」 「せええええはあああああんんんんんんいいいいいい!」 「よおおくできました。よおおおおおおくうううできました。(以下略)」 (p.73-74) ---

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2020/07/12

どこまでが現実でどこからが虚構(妄想)なのかわからない気配。「わたし」が尼僧になるまでに物語と冒頭で言い切っているからこそ生まれてくる違和感がじわじわ。 原文や英語だとこの物語の一人称はどんな風に表現されているのかな?と興味が広がる。

Posted byブクログ

2019/04/30

ジュンク堂書店大阪本店の『酉島伝法の書棚』で購入。 一見するとあの独特の世界観とはまるで違うような印象だが、現実感の無さという一点が共通している。 それにしても、フェア開催初期に行きたかったなぁ……(無理)。

Posted byブクログ

2018/11/13

いちごアイスが不味かった話から予測不能な悲劇へと至るという超展開。そもそも語り手の語ることが何一つ信用できない。冒頭「わたしがどのように修道女になったか」という物語と語られるが、最後まで読んでも一切そちらに話がいかないし、語り手は周囲から6歳の少年として扱われているが、自身は6歳...

いちごアイスが不味かった話から予測不能な悲劇へと至るという超展開。そもそも語り手の語ることが何一つ信用できない。冒頭「わたしがどのように修道女になったか」という物語と語られるが、最後まで読んでも一切そちらに話がいかないし、語り手は周囲から6歳の少年として扱われているが、自身は6歳の少女として認識している。しかも名前は著者と同一。最初と最後の章だけ読めば、それなりに意味やロジックを備えた起承転結のある物語だが、その間の話が暴走しすぎていて読みにくい。そもそもこれは小説というものの読みを解体しようとする小説なのではないか?小説が何か意味を内包したものであるという先入観をあざ笑うかのように、期待と予測はことごとく裏切られ、読者はミスリードさえされることもなく置き去りにされてしまう。そこに意味を強引に見出すことも可能かもしれないが、次の展開になるとそれも無効化されてしまう。語り手の思いと行為のズレが世界認識のズレと呼応するようにひたすら不気味な世界が立ち現れてくる。あるいはこの鮮やかな世界に隠蔽された醜悪な本当の姿というものが、この世界の流儀から外れることによってこの少年あるいは少女の前に現出したということだろうか。ラテンアメリカ版アリスインワンダーランドともいうべきこの悪夢、しかしあの作品がポエジーに支えれていたのに対して、この作品の根底にあるのは知性だ。だからこそこの巧妙な騙り手の物語は、どこにも導かないのだろう。何度読んでもこの作品は読者を跳ね除ける。手強い小説。

Posted byブクログ

2017/03/03

現代スペインで五指に入る存在と言われる作家で、トリックや肩すかしにあふれ、フィクションの面白さを極限まで活用した作品、らしいが、よく分からない。

Posted byブクログ

2019/06/02

[関連リンク] Twitter / dempow: サセル・アイラ『わたしの物語』が面白すぎる。「ま、……まずい ...: https://twitter.com/dempow/status/472727733407977473

Posted byブクログ

2013/11/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

◆認識?の物語? ◆世界の認識の仕方が風変りな6歳児?の世界が閉じるまでの物語。太宰治「道化の華」三島由紀夫「仮面の告白」を思い出させる、6歳自称女児アイラちゃん(♂)の、告白による韜晦かつ韜晦による告白(笑)。この物語、ぜひ桜庭一樹にリライトしてもらいたいな。もっと本質が浮き彫りになるのでは。◆読了してみると、装丁がこれ以上ないものに思われる。カバーデザイン:安藤 紫野 ◆記録しておきたいたくさんの文章があったので、ブクログの「引用」に保存。刺激的な読書でした。

Posted byブクログ

2014/06/23
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

父親に買ってもらったイチゴのアイスクリームを起点に、わたしの物語が進んでいく。 わたしの日常が妄想のように描かれていたが、最後の最後にきて思わず「ぎゃー!」と声を上げてしまった。 冒頭のやり取りはコントみたいで、くすりと笑えただけに、余計にそのおぞましさが光っていた。 でも、イチゴのアイスクリームは食べたくなりました(笑)

Posted byブクログ