正義という名の洗脳 の商品レビュー
苫米地英人の本。題名からもそうだが、いかにも苫米地英人ここにありといった結構過激的な表情のところもある。 まずは正義ということ自体の説明から、いかにそれが相対的なもので、権力と結びついて存在しているかが分かりやすく説明されている。 後半は、もはや正義の話しというより、正義から派生...
苫米地英人の本。題名からもそうだが、いかにも苫米地英人ここにありといった結構過激的な表情のところもある。 まずは正義ということ自体の説明から、いかにそれが相対的なもので、権力と結びついて存在しているかが分かりやすく説明されている。 後半は、もはや正義の話しというより、正義から派生した利権の話しで、ここらへんが何より力が込められているような気もしないでもない(笑) まあそれほど声高に言わなければならないほどに、あらゆるところに利権の病床が蔓延っているということなのかもしれない。 それにしてもこの本を含めて、本を鵜呑みにすることなく、いかに問いかけ、疑問に思い、あと自身で調べるということがやはり大切なのであることを、また確かめらた。
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2020.3.24 27 民衆が正義となったときのメディア。 情報にはバイアスがかかることを意識せよ。テレビを見るな。 アメリカは金が正義。
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この世の中に絶対的な正義はないということを、それこそ「洗脳」のごとく徹底的に解説した本。著者独特の考え方や言葉遣いの癖が多いような気もするけど、言いたいことは分かる。しかし、著者の頭が良すぎるせいもあるのか、今いち全てに対して共感することはできない。 そして上述のとおり、「洗脳」...
この世の中に絶対的な正義はないということを、それこそ「洗脳」のごとく徹底的に解説した本。著者独特の考え方や言葉遣いの癖が多いような気もするけど、言いたいことは分かる。しかし、著者の頭が良すぎるせいもあるのか、今いち全てに対して共感することはできない。 そして上述のとおり、「洗脳」ということを徹底的に述べているせいか、この本自体も「洗脳」的な臭いがぷんぷんして、ちょっと気持ち悪さを感じた。 でも、参考にならない本ではない。一読する価値はある。
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目を引くタイトルだ。 「正義」という言葉が世の中に氾濫したことでその定義が曖昧になっている昨今。 そもそも昔から「正義」は正しく行使されてきたのか疑問であるが、昔から争いごとの両端にはそれぞれの「正義」が存在するし、「正義」の正体が曖昧にされたまま、未だに「勝った方...
目を引くタイトルだ。 「正義」という言葉が世の中に氾濫したことでその定義が曖昧になっている昨今。 そもそも昔から「正義」は正しく行使されてきたのか疑問であるが、昔から争いごとの両端にはそれぞれの「正義」が存在するし、「正義」の正体が曖昧にされたまま、未だに「勝った方が正義である」という考え方は根強いようである。 正義のためなら命さえ捨てるという人も世の中には少なくない。それ程にまでに人を洗脳し、行動に駆り立てる「正義」の本当の姿とは何か「天才」苫米地英人が解説する。 序章では、私たちが日ごろ無意識に考え、感じている「正義、常識、マナー」の違いから、その成り立つメカニズムを解説し、法律、利権、教育、メディアに分けて「正義」を論じ、私たちの「正義」に対する知識を再構築させる。 大変刺激的な内容ではあったが、どうしても腑に落ちない点があった。 学校において生徒が掃除をしなければならない理由について述べた箇所であるが、その理由につき著者は「それは単にお金の問題に他ならない」と主張する。 「学校はサービス業であるが故、掃除をするための労働力を雇うコストを削減するため、誰かが掃除をしなければならない上手い論理を付けて生徒にさせているだけである。なぜなら、生徒の労働が無料だからである」 「もし掃除が嫌ならば、親が『ウチの子の労働はお金が掛かります』と言えばいい、自分で『タダで労働するのは嫌です』と言えばいい」 「自分で汚したものは自分で綺麗にするべき、という自己責任は理解できるが、自己責任であれば「汚れたままでいい」という選択肢も用意しておかねばならない」 「掃除に教育的価値があると主張する教師は軍国主義者の可能性がある」 「もし掃除に教育的価値があるならば、毎日掃除をしている清掃員が社長より金持ちだということになる」 とのことである。 私は、そこには賛成できない。 確かに学校における掃除は労働に分類されるものではあるが、集団生活をする上で「掃除」というものは、自分だけでなく他人も使うもの、自分の後にそこを学び舎として訪れる者のために学校とその備品を大事に使うことを意識させる重要な教育的な意味がそこにあるのではないか。 「清掃業者を雇うとお金が掛かるが、掃除の教育的価値を教えるには生徒に学校の清掃をさせることで二つの目的を達成することができるから、生徒に掃除をさせましょう」と活字に興すと少々経済的な面に気を取られなくはないが、だからといって教育的価値を否定する理由にはならないと思うし、「もし掃除に教育的価値があるならば、毎日掃除をしている清掃員が社長より金持ちだということになる」という考えも少々強引だ。 そもそも生徒が行う学校の掃除と生業としての掃除はモノが違うのだから。 私は綺麗ごとを好むわけではないが、この件に関しては「学校で行われる掃除には教育的な意味と価値がある」とする考え方に賛同するし、これを一方的な正義だとも美辞麗句だとも思わない。 寧ろ著者の主張する内容にこそ詭弁的なものを感じるのは私だけだろうか。 著者のその考え方に同調した者が本当に「うちの子の労働にはお金が掛かるので掃除はさせないでほしい」と声を上げた時、またそのような考えを有する者がマイノリティではなくなった時、著者は「子供たちとその親たちは洗脳から解放された」ことになるのだろうか。 「学校において生徒に掃除をさせる理由には教育的な面とお金の問題がある」とすれば受け入れることもできるが、「単にお金の問題に過ぎない」という考えはあまりに極端に思う。 しかし、今まで考えたことのない視点で身近な正義を語る本書は、色んな意味で刺激的で面白かった。 帯に明記されているとおり、「ひとつの価値があるということを信じない」ことで各分野におけるリテラシーの向上が望めるのではないかと思う。
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曖昧なものを曖昧だよ と単純に教えてくれる 作られるのに慣れている人は作られている実感を得た方がイイだろう
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正義はトップダウンで決められ、 常識はボトルアップで決まる もったいないは経済の論理 頭の中で反論しながら、本を読む この本もそれに含めながら
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
正義に名を借りた二つの洗脳 ・「正義という絶対的な価値が存在する」という洗脳 ・「何が正義か」という洗脳 絶対的に正しいという価値は存在しない 正義と常識は全く違う 正義の裏には、必ず権力者がいる 自分で選択して、自分で責任を持つ。 絶対的な正義は存在しない! ※頭の中で反論しながら本を読むこと!
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日本語における「正義」の意味は曖昧で、本来、「justice=正義」ではなく、「公平」、「公正」、「平等」というような意味合いだということを起点に、「法のもとでの平等」が民主主義における正義であって、つまり正義は法律にほぼ等しいということでした。 しかしその正義であるはずの法律...
日本語における「正義」の意味は曖昧で、本来、「justice=正義」ではなく、「公平」、「公正」、「平等」というような意味合いだということを起点に、「法のもとでの平等」が民主主義における正義であって、つまり正義は法律にほぼ等しいということでした。 しかしその正義であるはずの法律も場所や時代により大きく形を変え、その裏には必ず利権が絡んでいるということでした。 また道徳教育における正義やメディアによるコントロールなど、独特な厳しい考え方もありますが、ぼく的には、苫米地氏の思考では改革的なものが強すぎて日本が崩壊すると感じました。 確かにアメリカと比べると、日本のシステムは無駄が多く、国民は洗脳されているのかもしれませんが、アメリカ的思考も絶対的なものではないとすれば、結局は現状を維持し、日本型のレベルアップを模索していくしかないのではないかと感じました。
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過激な発言と偉そうな書き方は評価できる。 ただ、正義=法律を前提で話しているからどうなんだろうと疑問が残る。 最近、プラトンの『国家』を少しずつ読んでいる。そこでトラシュマコスは、「正義とは、強いものの利益にほかならない」と主張する。どこか筆者の主張に似ている。 「洗脳!洗脳!...
過激な発言と偉そうな書き方は評価できる。 ただ、正義=法律を前提で話しているからどうなんだろうと疑問が残る。 最近、プラトンの『国家』を少しずつ読んでいる。そこでトラシュマコスは、「正義とは、強いものの利益にほかならない」と主張する。どこか筆者の主張に似ている。 「洗脳!洗脳!」というけれど、そういうふうに言う人また、洗脳されているのではないだろうか。 (まっちー)
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正義とは何か 利権、権力などなど とても斬新な視点だらけで読んでいて目から鱗だった! もったいないの話や学校の掃除の話が印象的だった。 見方を変えるだけでこんなにも見える視界がかわるとは! 刺激を求めている人 毎日ぼんやりしている人は読んでみるとさまざま頭の中が動き出すかも!
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