「一九〇五年」の彼ら の商品レビュー
日本の国民国家としての頂点は1905年5月27日である。 という文章で、この本は始まる。 この日は、日露戦争のヤマ場の戦い、日本海軍連合艦隊とロシア海軍バルチック艦隊の海戦の日である。日本人はこの戦いに固唾をのんだが、この国民的一体感の共有こそ、国民国家完成の瞬間である、と筆者は...
日本の国民国家としての頂点は1905年5月27日である。 という文章で、この本は始まる。 この日は、日露戦争のヤマ場の戦い、日本海軍連合艦隊とロシア海軍バルチック艦隊の海戦の日である。日本人はこの戦いに固唾をのんだが、この国民的一体感の共有こそ、国民国家完成の瞬間である、と筆者は解釈している。また、この年を筆者は「現代」の始まった年と考えている。そして、この1905年に青春期または人生の最盛期にあった人々が現代人の原形をなす、と考え、それらのモデルを12人の作家に求めた。それは、森鴎外・夏目漱石・島崎藤村・高村光太郎・石川啄木、といった人たちだ。 12人の作家を通じて、「現代人の原形」を描写し得ているかどうか、はよく判断がつかないのであるが、少なくとも12人の個々の作家の1905年の姿の描写は興味深く読めるし、なかなか面白い。
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現代の出発点としての1905年--表現を「生業」とする文人たちの足跡と交流から、現代の祖型をスケッチ ----- 日露戦争に勝利した一九〇五年(明治三十八)、日本は国民国家としてのピークを迎えていた。そんな時代を生きた著名文学者十二人の「当時」とその「晩年」には、近代的自我の萌芽や拝金主義の発現、海外文化の流入と受容、「表現という生業」の誕生といった現代日本と日本人の「発端」が存在した――。いまを生きる私たちと同じ悩みを持ち、同じ欲望を抱えていた「彼ら」に現代人の祖型を探る、意欲的な試み。 --本書、帯。 ----- 帯に書かれたずいぶんながいコピーだが、本書の概要を端的に示しているから冒頭に掲げた。そう、本書は1905年に注目し、そこに現代の基礎を見出す一冊である。 1905年とは何か。 「大衆が政治的実力を持つ時代、成長する中間層を核に大衆文化が花咲く時代、しかし衆愚政治の危険と背中合わせの時代」のはじまりである。そして同時にそれは、「大正・昭和の発端した年」、「現代のはじまった年」。 維新後の近代化がひとまずの完成をむかえたとき、創業期の黄昏が訪れる。そしてそれが現代の出発点になっていく。その敬意を文人たちの足跡や交流から明らかにする。 本書で取り上げる文人とは、森鴎外、津田梅子、幸田露伴、夏目漱石、島崎藤村、国木田独歩、髙村光太郎、与謝野晶子、永井荷風、野上弥生子、平塚らいてう、石川啄木の十二人。十二編でそれぞれの消息を積み重ねている。 個人的には、関川ファンを自認する一人であるが、文人の足跡を描かせると氏の右に出るものはいない。実際に対面で話をうかがうような筆致にこぼれる笑みを隠せない。
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