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環境考古学事始 日本列島2万年 の商品レビュー

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2018/10/31

著者は、地層の花粉分析によって過去の植生と気候の移り変わりを明らかにし、それと文明の盛衰や文化の移り変わりとの関係を解明する研究者。この本は、旧石器時代から古墳時代までの日本の気候と植生分布から日本人の生活様式の移り変わりや地域差を説明する内容。 晩氷期から縄文時代晩期までの気...

著者は、地層の花粉分析によって過去の植生と気候の移り変わりを明らかにし、それと文明の盛衰や文化の移り変わりとの関係を解明する研究者。この本は、旧石器時代から古墳時代までの日本の気候と植生分布から日本人の生活様式の移り変わりや地域差を説明する内容。 晩氷期から縄文時代晩期までの気候の移り変わりに基づいた日本列島の植生の予想分布図を示して、縄文文化が暖温帯落葉広葉樹林の分布とともに盛衰したとする説明は、とてもおもしろい。落葉広葉樹林のクリ、コナラは木の実の生産量が高いことに理由があるという。縄文時代中期を代表する勝坂式土器の分布とも一致する。4000年前以降の冷涼化によって、暖温帯落葉広葉樹林は縮小した。 一方、西日本に広がった照葉樹林のタブやクスノキの実は食べられない。そのため、照葉樹林帯では、遺跡は海岸部に多い。ヒョウタンと緑豆の栽培、漆の使用が特徴。 30年前の著作だが、内容は意欲的で情報量も多い。読んでよかったと素直に思う。 日本列島の森林帯 ・亜寒帯針葉樹林:エゾマツ、トドマツ ・針広混合林 ・冷温帯落葉広葉樹林:ブナ、ミズナラ、トチノキ、クルミ ・暖温帯落葉広葉樹林:モミ、ツガ、コナラ、クリ、イヌブナ、アカシデ ・照葉樹林:シイ、カシ、クスノキ、タブ 旧石器時代 ・ナイフ型石器文化:3万年前の関東平野で出現。2万〜1万5000年前に増加(立川ローム第IV層)。寒冷気候の文化。 ・前半  - 亜寒帯針葉樹林地帯:縦剥ぎの石刃技法の文化圏(北海道、東北、中部)  - 落葉広葉樹林地帯:横剥ぎの瀬戸内技法の文化圏(西日本) ・後半  - 細石刃と荒屋型彫刻刀セットの文化圏  - 半円錐型石核と細石刃セットの文化圏 縄文時代 ・1万3000年前から寒冷な気候が緩み始めた。 ・ヨーロッパの花粉分析による時代区分  - ベーリング期(1万2400〜1万2000年前):温暖期  - 古ドリアス期(1万2000〜1万1800年前):寒冷期  - アレレード期(1万1800〜1万1000年前):温暖期。大型哺乳動物の多くが絶滅した。  - 新ドリアス期(1万1000〜1万200年前):寒冷期。ヤンガードリアス。更新世の終わり。 ・隆線文土器:1万2700年前。福井洞穴遺跡 ・爪型文土器:1万2400年前。福井洞穴遺跡 ・有舌尖頭器:石槍に使用した石器。四国、本州の亜寒帯針葉樹林地帯。 ・石鏃(せきぞく、矢尻):弓矢に使用。落葉広葉樹林が進出した西日本が中心地。 ・新ドリアス期の終了後、日本海に対馬暖流が流入し、日本海側の積雪量が増加した。縄文時代早期に日本海側の遺跡数が減少する。 ・撚糸文系土器の時代に、貝塚が出現、骨角器が多様化、土偶が出現。 ・縄文文化は暖温帯落葉広葉樹林の成立・拡大・縮小とともに成立・発展・衰退した。落葉広葉樹林のクリ、コナラは木の実の生産量が高い。佐々木高明は「ナラ林型文化」を提唱。 ・勝坂式土器:縄文時代中期を代表する。中部地方から関東地方の一部。暖温帯落葉広葉樹林の分布域と重なる。 ・4000年前以降の冷涼化によって、暖温帯落葉広葉樹林は縮小した。 ・照葉樹林のタブやクスノキの実は食べられない。照葉樹林帯では、遺跡は海岸部に多い。 ・照葉樹林文化:縄文時代前期(6500年前〜)。ヒョウタンと緑豆の栽培、漆の使用。 ・鳥浜貝塚(福井県若狭町)では、森の時代の変遷に対応するように土器の形式が変化した。  - ブナ林の時代:多縄文系の底部が隅丸方形の土器  - ナラ林の時代:とんがり型の押型文土器  - 照葉樹林の時代:羽島下層II式併行土器  - スギ林の時代:北白川下層I・II式土器 弥生時代 ・朝鮮半島の稲作の開始は南部で早く、北部ほど遅い。九州では北部より南部の方が遅い。 ・板付遺跡で、14C年代2880年前にイネの花粉が急増した。 ・弥生時代の遺跡は海岸部の沖積平野に集中している。 古墳時代 ・稲作は夏季の最高気温が30度以上になる日が多く、日照時間が長い地域に伝搬した。日照時間が長い地域は降水量が少ないため、溜池を必要とした。溜池は、7世紀以降の条里型地割の施行によって本格的に整備された。溜池による灌漑は部族国家を必要とした。

Posted byブクログ