不義密通と近世の性民俗 の商品レビュー
「その人を恋し結ばれる自由が一切禁じられ、それを犯した場合、自らの死でその罪を裁かれた」近世の男女関係、すなわち不義密通をめぐる社会のありよう、また現代にもつながる往時の性民俗を追求し、混沌とした現代の性愛状況解読の鍵を探求する。 第一部 不義密通の世界 第一章 公刑と...
「その人を恋し結ばれる自由が一切禁じられ、それを犯した場合、自らの死でその罪を裁かれた」近世の男女関係、すなわち不義密通をめぐる社会のありよう、また現代にもつながる往時の性民俗を追求し、混沌とした現代の性愛状況解読の鍵を探求する。 第一部 不義密通の世界 第一章 公刑と密通仕置 第二章 妻敵討 第三章 相対死・強姦・老いらくの恋 第四章 さまざまな性の世界 第五章 性の自由化へ 第二部 近世の性民俗と思想 第六章 よばい・初夜権・乱婚 第七章 性愛と性器信仰 第八章 近代的恋愛のゆくえ なかなか硬くて読みにくい本であった。第一部では諸藩の史料を元にさまざまな事例を紹介しており、読むにつれ裁判資料のダイジェストにような感じがしてきた。そこには人間の業はあっても色気は無く、ある地点を過ぎると退屈である。 武家が不義密通を起した場合、家の存続にかかわる問題であった。家の名誉を回復するため、本夫は密夫を成敗する必要があったが、併せて、妻(娘)を成敗する必要があった。これは相殺主義(相当之儀)であり両者の平衡感覚を満たし、大きな紛争に発展することを未然に防ぐための政治的な措置であったという。折中の法が長じて喧嘩両成敗法に通じるという。 (やられた分だけやり返すのが、中世人の衡平感覚であり、折中の法は神の意志を超える究極の解決策としての役割を果たした) 本夫が妻を成敗しない場合は、改易されたという。 穏便にすませるために、不義密通を無かったことにしてしまうケースもあったという。本書では密夫を強盗にみせかけ成敗し、密婦は離縁し実家に返した事例が紹介されている。 庶民に対する刑罰としては、鼻を削がれたり、去勢され見せしめとされた。 本書を読むとうんざりするほど、強姦事件の事例が出てくるがその刑罰は驚くほど軽い(追放刑など)。現代においても性犯罪被害者が非難される傾向にあるというが、江戸時代からのつながりを感じる。 近親相姦については、義父と嫁、義父母と養子の事例を取り上げている。どちらも世を憚る話ではあると思うが、近親相姦に該当するとは思わなかった。 第二部では、近世の性民俗と思想がテーマとなっている。明治初年まで村内婚が圧倒的な閉鎖的な村落社会で、村内の娘と他村の男が関係を結べば、若者組により双方にさまざまな私刑が加えられたという。(あらかじめ若者組の了解を得る必要があった) 女性が初潮を迎え陰毛が生えそろうと一人前の女性として認められ十六歳がその指標であったという。二十を過ぎても男と接しなかった女性は「さねかずらが生える」ともいわれ、年頃の娘は、よばい人が来ることを期待しいたという。 赤松啓介によると「戦乱や飢饉、疾病、天災にさらされていた村で絵に描いたような一夫一妻式限定性民俗を維持できるはずがなく」、「よばいは、様々な不均等な性生活を生じていた村落共同体を維持する必須の手段、民俗であった」と評価しており、著者も説得力を感じているという。家系の存続に重きを置かれていた事を考えれば不思議なことではないかもしれない。 本書は広範囲なテーマを扱っているがゆえ、著者が言いたい結論が見えてこなかった。個人的には江戸時代を「おおらかな性」と称賛する事も「非人道的な男尊女卑の世界」と批判することも正しくはないと考えている。きっと「ミノタウロスの皿」のような現代人には実感できない文化があったに違いない。 それにしても「やらはた」なんて言葉を聞いてしまうと、江戸時代から変わらないのだなと思ってしまった。
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