墓地の書 の商品レビュー
この物語の語り手であり作者はサムコ・ターレ…かと思いきや、実際はダニエラ・カピターニョヴァーという女性作家の手による架空の登場人物であり、本人が自負している知性や人々からの信頼は持ちあわせているようには思えない…。いわゆる「信頼できない語り手」による、初っ端から強烈な違和感が炸裂...
この物語の語り手であり作者はサムコ・ターレ…かと思いきや、実際はダニエラ・カピターニョヴァーという女性作家の手による架空の登場人物であり、本人が自負している知性や人々からの信頼は持ちあわせているようには思えない…。いわゆる「信頼できない語り手」による、初っ端から強烈な違和感が炸裂する怪書。 とにかく彼サムコ・ターレはある日、酔っ払いの占い師に「墓地の書」を書き上げると宣告され、運悪くいつも仕事で使う荷車を修理に出さなければいけなくなったので、作家になる事にしたのだ。彼の書では日々コマールノで出会う人々と、彼らについての感想が淡々と綴られる。ハンガリー人やジプシーは信用ならない、やはりスロバキア人が最良だ。ホモやレズを見つければ申告して刑務所送りにするべきだし、働かない奴は給付金を貰うべきではない。恐らくは周囲の人間の言葉をそのまま鵜呑みにしているのであって、彼が悪い訳でも、変わっている訳でもない。なのに本当に無知ゆえの猿真似なのか、実は彼自身の悪意が潜んでいるのか、途中から分からなくなってしまってゾッとしたのは自分だけだろうか。 こういう体の小説は大体子供の視点で語られる事が多い気がするのだけど、今回なぜ作者が44歳の知的障害の男にした理由が分かって唸った。サムコが捉える周囲の価値観は、スロバキアの共産主義から資本主義への体制の変化によって180度反転するからだ。ただ、差別やステレオタイプなど根強く変わらない価値観もあり。数十年の時を経て何が「当たり前」で何が「そうではない」のか、主人公の目を通して変わっていく様子が素晴らしかった。あと地味に核心を最後まで引っ張る演出が憎い笑 良著だ。そうだろう?そうだとも。
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出版時はサムコ・ターレ名義で「ドラマツルギー担当」がダニエラ・カピターニョヴァーとなっているのだが、実際は劇場でドラマツルギーを担当しているダニエラ・カピターニョヴァー自身が作者・・・知的障害を持ちダンボール拾いをしているサムコ・ターレが(作中でも実際にもこの本を出版している)コ...
出版時はサムコ・ターレ名義で「ドラマツルギー担当」がダニエラ・カピターニョヴァーとなっているのだが、実際は劇場でドラマツルギーを担当しているダニエラ・カピターニョヴァー自身が作者・・・知的障害を持ちダンボール拾いをしているサムコ・ターレが(作中でも実際にもこの本を出版している)コロマン・ケルテーシュ・バガラが立ち上げたLCAという出版社から出版したスロヴァキアの現代作品。東欧革命とチェコスロヴァキア解体という時代と、作者ダニエラ・カピターニョヴァーの出身地でもあるコマールノ(ドナウ川に面した街で元々はブタペストのような街であったのが第一次世界大戦後のトリアノン条約により街の主要部分がスロヴァキア側になり、その為スロヴァキアでのマイノリティとなったハンガリー人の割合が高い街)という場所とが関わってくる。「墓地の書」というタイトルからかなり重たい内容なのかと思いきや、正反対の飛び過ぎな内容。 たとえばアルフ・ネーヴェーリはこの本(「ピオネールの心」(スロヴァキアの児童文学。共産党と関わりあるみたい))を笑いものにしたりしなかった。たとえかれが変人だったにせよ。だって、かれはおかしなことにたいしてはちっとも笑わなかったけれど、全然おかしくないことにたいしてはいつも笑ったからだ。なぜだが分からないけれど、たぶんユーモアがなかったからだろう。ユーモアのないひとだっているのだ。 たとえば、ぼくにはとてもユーモアがある。 (p20) もうやめてくれ(笑)みたいな感じなのだが、二重にひねくれている曲面からアルフ・ネーヴェーリの屈折しているような人物像が浮かび上がってくる場面。じゃ、サムコ・ターレはなんなのさ(笑) とても変テコな本。 (2016 05/15) マルギタとイワナ 今回読んだ中で印象的な場面は葬列にあるトラック運転手がキャンディーばらまくところ。葬式そっちのけでキャンディー拾う…拾わないのはカンオケだけ…っと、作者?サムコの長姉マルギタと次姉イワナの各夫婦が対照的になっている。前者は民族主義的、後者はそうではない…サムコ自身は前者に近いが、本物の作者はなんとなくイワナに現れているのかな。 (2016 05/17) サムコ・ターレ暴走中 …なんだけど、まずは違うところから。 あとから、自分はそれを言ったし、当たりだったと言った。 マルギタは、自分があらかじめ言ったということをとても自慢していた。 (p96) 「あの時ああ言ってたでしょ」って人は(実際には言ってなくても)言い繕うものだ… 続いてはサムコの「だって」節(笑)。次姉の夫が兵役を逃れる為に不正なやり方?(インチキキノコ?)で健康診断を受けた場面。グナール・カロル博士とは「上の人」で、密告者の取り纏めみたいなことを、どうやらしているみたい… ぼくはグナール・カロル博士にそれを知られることが怖かった。だって、上の人たちはなんでも知ってしまうし、そうなったら、知ってたのに言わなかったことでぼくが問題になってしまうから。それで、ぼくはグナール・カロル博士のもとへ出かけて言って、かれに告げた。だって、かれはぼくの友人だったから。 (p112) おいっ、なんで(笑)。 というわけで、サムコ・ターレなんて近くにいてほしくないヤツなんだけど、なんかこの作品の中では憎めないんだよなあ… あとはアメリカ人の英語教師との人種差別の議論あれこれ…のところもなんだかなあ…の話の持っていきよう(p120~121のところ)。 …えと、この本の帯の文章(HPの紹介文も同じ)だけ読むと、なんかとてつもなく重い内容かと思ってしまうなあ、たぶん(笑)… (2016 05/18) 原子爆弾の死の灰から身を守る方法 …は次のうち、どれ? 1、キノコ 2、からし … (しんきんぐたいむ) 答えは…「墓地の書」を読み終えました。今までいろんな街やところを舞台にした小説読んできたけど、この作品のコマールノほど行ってみたくなる街はないなあ(笑) フラバルの「英国人…」とか、別にキノコつながりじゃないけどトカルチュクの「昼の家…」とか他の中欧作品も連想させる。前者は饒舌な語りに、後者は身近な細かいものへの視線に。もっと遡ればハシェクなのかな。 このサムコ・ターレという知的障害を持つ語り手はこの小さな街での小さな密告者ではあったのだけど、逆の面から言えば共産党政権下ではそういう人達の場を確保・保護してきたとも言える。そのどちらがいいのか、作者(サムコじゃない方)はこの作品を空中に放り投げて読者に考えてもらいたいのかも。 そのほかにもいろいろ。 でも、なんで「墓地の書」なんだろう… (2016 05/20)
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※このレビューにはネタバレを含みます
[ 内容 ] いかがわしい占い師に「『墓地の書』を書きあげる」と告げられ、「雨が降ったから」作家になった語り手が、社会主義体制解体前後のスロヴァキア社会とそこに暮らす人々の姿を『墓地の書』という小説に描く。 [ 目次 ] [ 問題提起 ] [ 結論 ] [ コメント ] [ 読了した日 ]
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知的障害があるため、世間の変化や、他人の考えが読めない主人公。その考え方は公平ではなく、偏見に満ちているが、それを彼に教えた周囲の人間なとが浮かび上がる。読者は彼を利用し、偏見を吹き込んだ周囲の人間として、作品に巻き込まれる。なんて居心地が悪いんだー。
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