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全訳 遠野物語 の商品レビュー

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4件のお客様レビュー

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2014/06/13

簡潔でありながらありのままを伝えてくれる 柳田國男の文章美を壊さずに、 現代の人に入り込みやすくしてくれた全訳版。 特に難解だった「獅子舞踊りの歌」も 丁寧に読解してくれているので、 なかなか読み解けない100年以上昔の 古文書だった歌もいきいきと躍動する。 遠野をより深く知...

簡潔でありながらありのままを伝えてくれる 柳田國男の文章美を壊さずに、 現代の人に入り込みやすくしてくれた全訳版。 特に難解だった「獅子舞踊りの歌」も 丁寧に読解してくれているので、 なかなか読み解けない100年以上昔の 古文書だった歌もいきいきと躍動する。 遠野をより深く知り、理解すると、 今に続く古くからの風土や祭りなどの慣習や、 妖怪や怪異の原点を感じることができて、 今までに読んだ本の一節も面白みが深まる。 近くて遠い日本の原風景が愛おしい。

Posted byブクログ

2013/05/10
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

名前だけはみんな知ってる遠野物語を、現代語訳した一冊。懇切丁寧な解説付き。お話は現代語訳と解説のセットで、獅子踊りの歌は原文と大意と解説のセットで収録。 「遠野物語」と「遠野の昔話」は違うイメージのものなんだな、というのが素直な感想。たとえば”遠野の昔話”といえばカッパをイメージするけど、”遠野物語”にはカッパはあんまり出ないし明らかに悪い役として出てくる。”遠野で語り継がれた昔話”と”遠野物語”と”いま遠野で語られている昔話(とそこから導かれるイメージ)”、これら3つの関係がどういうものなのか、という疑問を抱かせてくれた一冊だった。 また、津波について触れた99話が非常に興味深かった。まず取り上げられた話が、作品発表の十数年前に起こった明治三陸津波に関わる話であること。つまりこの津波の話は”昔話”ではなく、発表当時は割と最近の話であったこと。そして、作中唯一取り上げられる津波の話であるにも関わらず、決して美談ではないこと。99話の登場人物は決してかっこいい振る舞いはせずかえって女々しい、でもだからこそ悲哀が伝わる話を敢えて取り上げている。一般に悲劇は美談というオブラートで包まれがちですが、それを敢えてしていない編集をした柳田国男の心の内が知りたくなった話だった。 「古典本の現代語訳本」としても非常にわかりやすい部類。遠野物語を「古典だし取っつきづらい」と敬遠するにはもったいない、ってことを実感させてくれる一冊だった。

Posted byブクログ

2013/03/03

 原文を尊重した非常に丁寧なつくりで、訳者の遠野物語に対する思いが伝わってきた。また、「獅子踊りの歌」の訳と解説もあった。おそらくここまでしっかりとした訳注は初めてかもしれない。

Posted byブクログ

2012/09/30

・遠野物語を私が通して読ん だのは初めて読んだ時だけであらう。その後は必要があつたりすると部分的に読むなどといふことをしてはきたが、通して読むなどといふこと は決してしなかつた。ところが今回は読んだのである、石井徹訳注「全訳 遠野物語」(無 明舎出版)。原文でではなく、現代語訳で...

・遠野物語を私が通して読ん だのは初めて読んだ時だけであらう。その後は必要があつたりすると部分的に読むなどといふことをしてはきたが、通して読むなどといふこと は決してしなかつた。ところが今回は読んだのである、石井徹訳注「全訳 遠野物語」(無 明舎出版)。原文でではなく、現代語訳でである。柳田はついこの間まで(^_^;)生きてゐた 人だから、その文語文はそんなに難しいものではないと思ふ。それでも易しくはない。理解し難い部分はある。特に、地元の知識は私にはない し、最後の獅子踊りの詞章はそれがあつてもよく分からない。これまで、ここを読み直すなどといふことはなかつた。最初に読んだ時のままの 読みつぱなしであつた。つまりは、まともに理解できてゐなかつたといふことである。「この書は柳田国男の『遠野物語』のほぼ忠実な現代語 訳と注釈である。」(「はじめに」3頁)である。それは「この『物語』を『文学』として『正しく深く理解したいと』願った」所産であり、 かつ「その『いのち』とでもいうべき(原作が持つ)文章の味わいをそこなうことがないよう留意したということであ」(同前)る。そんなわ けで、今回、本書のおかげで、獅子踊りの詞章も含めて、遠野物語全体をかなりすつきりと読むことができた。訳文だけでなく注によるところ も大きい。ただし、本書本文に原文は載らない。何らかの形で本文も収めてほしかつたと思ふ。 ・獅子踊りの詞章は61章ある。私は東北の獅子踊りを知らない。一人立ちの獅子舞であるらしい。詞章が橋ほめに始まり、門ほめ、寺ほめと 続いていくからには、道行の後、寺に入つて一踊りといふ感じなのであらう。一つ一つは短いが、念仏踊りなどと共通する点がありさうであ る。実際、検索すると獅子踊りは盆行事であるといふ趣旨の論文もみつかる。該当地区には遠野市も入つてゐる。これもそれなのであらう。と 書いたところで、その詞章の意味が分かるわけではない。例へば1番の終はり「わだるがくかいざるもの」、この濁点のままで解釈するのは難 しい。訳はかうある、「渡ろうか、苦界を去るんだもの」(148頁)。これからすると濁点はあてにならないやうである。4番門ほめ、「門 の戸びらおすひらき見申せや、あらの御せだい」(150頁)、これも濁点に問題あり、しかも所謂東北弁が使はれてゐる。「おすひらき」は 押し開きである。この類は多い。東北の人だとかういふのにはすぐ気づくのかもしれないが、いささか離れた地方に住む人間はかういふのがす ぐ分からない。これなどは押す、開きと理解してもさう違ひはない。だからこそ、きちんとした注があれば役に立つのである。終はりの方では 59番、「この御酒はいかな御酒だと思し召す」、これは酒ほめである。花祭にも出てくる「この○○はいづくの○○か」の類であらう。その 下の句に「おどに聞こいし」とある。これにも濁点がある。訳は有名なである。つまり「音に聞こえし」の訛音であるらしい。東北弁だからオ トでなくオドとなりである。これらの詞章は実際に歌はれるままに記されてゐるらしい。注なしでこれを理解するのは難しい。分かる語を頼り に、何となく分かつた気になつてゐたに違ひない。こんなわけで、この全訳本遠野物語、私には最後の詞章が実におもしろかつた。東北の獅子 踊りもまた、かういふどこにでもありさうなものをきちんと持つてゐるといふことである。本文注にこんなのがある、「継母伝説の一つ。(中 略)日本にもシンデレラ型の継子話があることを示す貴重な記録」(142頁)。かういふこともきちんと指摘してあるのである。原文に挫折 しなくとも本書を読むのは楽しい。

Posted byブクログ