ニッポンの小説 の商品レビュー
高橋さんは『言葉』について、詩、散文、小説について、ずっと考えている。 「小説(の文章)というものは、その小説が生きている世界(社会)に深く影響される。 小説を読みさえすれば、いま、世界がどんな変化のただなかにあるかを知ることさえできる。 それこそが小説というものの優れた性質だ...
高橋さんは『言葉』について、詩、散文、小説について、ずっと考えている。 「小説(の文章)というものは、その小説が生きている世界(社会)に深く影響される。 小説を読みさえすれば、いま、世界がどんな変化のただなかにあるかを知ることさえできる。 それこそが小説というものの優れた性質だと考える。」 高橋さんの思索は現代から遡り、読み終わると 日本近代文学史の講義(ラスコーの壁画見学ツアー含む)をマンツーマンで受けた気になる特典付き。
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小説家という言語を扱う現場での職業をナリワイとする作者。現場の言葉にはとても重みがあります。最近の私の読書「ユーザーイリュージョン」「奇跡の脳」「意識は傍観者である」「カイエ・ソバージュ」などと絶妙のシンクロニシティ具合を示している。この時期、これらの本を読んだ直後にこの本が読め...
小説家という言語を扱う現場での職業をナリワイとする作者。現場の言葉にはとても重みがあります。最近の私の読書「ユーザーイリュージョン」「奇跡の脳」「意識は傍観者である」「カイエ・ソバージュ」などと絶妙のシンクロニシティ具合を示している。この時期、これらの本を読んだ直後にこの本が読めたのはよかった。 普通は、芸術は右脳で、ビジネスは左脳みたいな非常に鈍感な一時的な切り分けがされるのだが、小説は、その成果物が左脳のツールとなる。 芸術のふりして実は資本主義の手先、みたいな極端な言い方は言い過ぎかもしれないけど。作者は、書く題材や文体ですら、ソサイエティと離れてはありえないということもほのめかす。 社会を構成するためのツールを作り出すということが使命だったから、明治から戦後にかけて文学というものが芸術の主流だった。なぜなら、社会の構成が激動していたから。で、今小説読んでてつまらないのばっかりなのはなんで?ってのも社会の構成があまり変わりそうにないからかも。 面白いものを書いている人たちは、例えば村上春樹のように翻訳に非常に意識的であったり、ナムリーとかジュンパ・ラヒリとか英語の文で書くインドやベトナムの人である、とかについていろいろとヒントを得られたように思う。
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