翻訳に遊ぶ の商品レビュー
木村栄一さんが翻訳したラテンアメリカ文学のあとがきの解説では、作者との交流やスペインやメキシコに行ったときの現地の様子とそれがどのようにラテンアメリカ文学に生きているのかということなどを書かれていて、あとがきもとても楽しみな翻訳家です。 こちらはそんなスペイン文学者で翻訳家の木...
木村栄一さんが翻訳したラテンアメリカ文学のあとがきの解説では、作者との交流やスペインやメキシコに行ったときの現地の様子とそれがどのようにラテンアメリカ文学に生きているのかということなどを書かれていて、あとがきもとても楽しみな翻訳家です。 こちらはそんなスペイン文学者で翻訳家の木村榮一さんの翻訳エッセイ。 神戸市外国語大学の元学長で、当時学校のHPで外部にも公開されていた「学長だより」みたいな読み物を何回か読んだことがあります。 まずは生い立ちと、本について。 最初から翻訳家、いやそもそも教員になるつもりなどなかった、ということですが、 中学生時代に「罪と罰」を貪るように読んだ(白い炎が見える感触)というのだから、本というのは学びではなく自然に傍にあったのですね。 本については、本には読みどきというものがあり(大人になって「罪と罰」を読み返したら残念ながら当初ほどの感動はなかったということ)、本や作者名はその当時の自分の情景と沿っているといいます。 そしてこのエッセイの表紙はある話をもとにした絵画なのですが、木村さんもその本が好きなのでこの絵を見たときに嬉しかったということです。 このように自分が好きな本が別の形で別の人が好きだと表現している場面に出会ったときの感動は本好きとして共感できることだと思います。 このように少年時代は貸本屋などで日本や海外文学に親しみ、就学では思いもかけず神戸市外国語大学イスパニア語科(現在はスペイン語科)に受かり、思いもかけず学校に残り教授になり…という、”ご縁”に満ちています。 またスペイン語翻訳者の鼓直さんが神戸外語大学にいた頃に教え子だったということで、古本屋巡りは鼓先生から教わったということでした。 教員として学校に残ることになってからも、物語が好きで個人的に出版されるあてもなく訳して溜めて、でもうまくかなくて…という葛藤時代。 しかも「翻訳物は苦手であまり読まないわ」という奥様に読んでもらったらダメ出しされまくりだったという。 これは「俺は翻訳したんだぞ」という木村さんと、「日本語の文章を読んでいる」という奥様との認識の差があるのだから当たり前だとは思いますが、翻訳とは辞書とは違って文面として意味をなさなければいけないという難しさを感じさせられますよね。 翻訳にあたっては、欧米人と日本人の感覚の違い、文法の違いなども含めなければいけないし、翻訳者があまり自己主張するものではないがそのまま訳すると身も蓋もなくなってしまうし…という一文一文の葛藤を感じます。 そのような葛藤から、日本人と欧米人の感性の違いを感じてみたり(日本人は聴覚、欧米人は嗅覚)、各言語の特徴(日本語は主語や人称を外す)を考えたり、作者一人ひとりの作品への向かい方(登場人物が勝手に動く開高健、登場人物を完全にコントロールしてこその作家だという三島由紀夫)話など興味深いです。 そしてそのような言語の違いからみたラテンアメリカ文学の原語でのかかれ方も、舞台裏を見せてもらったようです。 バルガス・リョサなどは「文体自体は平坦」らしいので、 バルガス・リョサの作品は時系列が入り混じったり、誰が誰かわからない書き方をしているけれど、小説として読みやすいのは文体自体が読みやすいからなのか!などと思ったりしました。 ここまで学んだり考えたり手探りで進んだり海外へ行ったり、大学学長まで勤めたというのに「自分は集中力がないし勉強も苦手なので、好きなことをやる隙間で勉強をすることにした」なんて言っていて、その余裕のある感じがこのエッセイや訳者あとがきにも現れているんだなと思います。 こちらのエッセイでは、木村さんが感銘を受けたり参考にした文筆家の文章が紹介されているので、それらも読みたくなり…こうして私の図書館リクエスト候補の本がまた増えてゆく…。
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翻訳家である著者が幼い頃に影響を受けた文学作品や学生時代の出来事、スペイン文学、ラテンアメリカ文学との出会い、翻訳の仕事をしようと思ったキッカケなどを語っている。後半では翻訳に対する自論も語っており、翻訳をする際のコツも紹介されているので翻訳家を目指している人にもオススメです。
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ラテン・アメリカ文学にはまっている。一昔前にもなろうか、ラテン・アメリカ文学のブームが起きた。何事によらず、ブームとか流行とかには縁がなく、ほとぼりが冷めて人々が熱気を失いはじめたころになって興味を覚える天邪鬼な性行があり、今頃になって絶版になった本を探し集めては読んでいる始末だ...
ラテン・アメリカ文学にはまっている。一昔前にもなろうか、ラテン・アメリカ文学のブームが起きた。何事によらず、ブームとか流行とかには縁がなく、ほとぼりが冷めて人々が熱気を失いはじめたころになって興味を覚える天邪鬼な性行があり、今頃になって絶版になった本を探し集めては読んでいる始末だ。 ボルヘスだけは、ブームと関係なしに読んでいたが、当時スペイン語で書かれた本の訳者は鼓直氏、土岐恒二氏といった面々だった。『百年の孤独』を読んで衝撃を受け、ラテン・アメリカ文学の面白さをあらためて認め、ガルシア=マルケス、バルガス=リョサ、フリオ・コルタサルと、集中して読むようになった。木村榮一という訳者の名前が目に留まるようになったのはその頃からだ。そのうち、訳者の名前に注目して、本を探すようになった。読み終えたばかりのサンティアーゴ・パハーレス(『螺旋』、『キャンバス』の著者)などという作家も木村氏の名がなければ、本を手に取ることもなかったと思う。 『翻訳に遊ぶ』という書名から、どんな余裕のある話かと期待して読みはじめたのだが、良い意味で期待を裏切られることになった。だって、そうではないか。ラテン・アメリカ文学といえば、今この人を抜きに語れない、飛ぶ鳥を落とす勢いの翻訳家が、日の目を見るかどうかも分からぬ翻訳をやっている姿を見て、奥方が「都はるみの歌にそんなのがあったわね」と話しかける。そんな歌があったか、とたずねる夫に「ほら、《出してもらえぬ翻訳を/涙こらえてやってます》というのがあったでしょう」とからかうのだ。 誰にも修業時代というのがある。有名翻訳家にだってそんな時代はあるのは当然だ。しかし、本を読んで思うのは、木村氏ほどの訳者にしてこんな時代があったのかという驚きである。神戸市外国語大学名誉教授ともあろう人が、どの大学も落ち、新設のイスパニア語学科にようやく引っかかって、指導教官に報告に行くと「ついていけるのか?」と真顔で心配されたというから尋常ではない。 この本、大きく二部に分けることができる。前半は、物語好きの少年が、どんないきさつで大学に入り、教員生活を始めたのかという、いわば著者の生い立ちを語る自叙伝風のエッセイ。後半は、ひとりの翻訳家として、翻訳についてのあれこれを、これから翻訳をはじめてみようかと考えている後輩に、その心構えや、知っておくべき方法論を、自分の体験をもとに具体的に教授してくれる翻訳指南の書である。 後半の翻訳論が、実際翻訳を手がけたいと思っている初学者にとって、滅多と得られない良質の指導書であるのはもちろんのことだが、実は、前半の裃脱いだざっくばらんな半生記があってはじめて翻訳実技の講義が読者の胸にすとんと落ちるのだ。いろんな学者やえらい大学の先生のお書きになった本も何冊も読んできたが、著者ほど、飾らぬ人柄をそのまま読者にさらしてみせる書き手を知らない。 一例をあげるなら、翻訳の文章ができず苦労していたある日、奥方に読んでもらい、問題点を指摘される。文章がよく分かるのは共訳者の書いた方ばかりで、自分の方は日本語になっていないといわれる。そのあげく、刊行された本の書評でほめられた訳文は、妻の手直しを受けてその通り書いた部分だったというオチまでつく。 こんな著者が名翻訳家になれたのは何故なのか。それは本を読んでのお楽しみとしておこう。少しでも文章が上手にかけるようにと、世に云う「文章読本」の類を何冊も読んだという打ち明け話も人柄をしのばせるエピソードだ。同じ本が何冊も評者の書棚にも並んでいる。三島の、丸谷の、谷崎のそれぞれの引用も、よく覚えているものばかりで、昔なじみに久しぶりに出会ったようで懐かしかった。同じ本を読み、同じところで感銘を受けているのに、著者の文章は達意の名文となり、当方のそれはいつまでたっても迷文でしかないのは、なるほどこういう訳だったか、と思い知った。昔からよく云われるとおり、「文は人なり」である。読みやすさは保障する。翻訳に興味がある人はもちろん、そうでない人も読んでみられるとよい。特に、これから人生を拓いてゆく若い人たちに手にとってもらいたい一冊である。著者の生き方に勇気づけられるにちがいない。
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ラテンアメリカ文学の翻訳者と聞いて、鼓直らに並びこの名前を挙げる人は多いと思う。この本は、作者が翻訳者になるまでの経緯とそれからの生活を中心とした自伝書に加え、翻訳に対する心情やその考えが記されている。内容は読みやすいためすらすらとページが進む進む。現代で言う本のレンタルショップ...
ラテンアメリカ文学の翻訳者と聞いて、鼓直らに並びこの名前を挙げる人は多いと思う。この本は、作者が翻訳者になるまでの経緯とそれからの生活を中心とした自伝書に加え、翻訳に対する心情やその考えが記されている。内容は読みやすいためすらすらとページが進む進む。現代で言う本のレンタルショップに当たる話しや高校時代英語の先生にこっぴどく叱られた話しなどのエピソードから、あとがきまで興味深い内容が凝縮しているため、翻訳者に興味がある人にとっては特別な一冊。
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スペイン語文学といえばまず出てくる訳者の名前は木村氏ではなかろうか。その先生が書いた翻訳の指南書であれば、さぞや、と思いきや、とても軽く読めるエッセイで、翻訳や外国語と関係のない読者でもじゅうぶんに楽しめると思う。 だがしかし、翻訳に関する章はやはり殊の外面白かった。文学世界に入...
スペイン語文学といえばまず出てくる訳者の名前は木村氏ではなかろうか。その先生が書いた翻訳の指南書であれば、さぞや、と思いきや、とても軽く読めるエッセイで、翻訳や外国語と関係のない読者でもじゅうぶんに楽しめると思う。 だがしかし、翻訳に関する章はやはり殊の外面白かった。文学世界に入り込むと、人物たちがいきいきと動き始めるように感じる。そうすると、訳語・訳文はおのずと向こうからやってくる…。 若干高価な本なのでまずは図書館で借りてみたが、購入することとする。
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ラテン文学といったら著者。 スペイン語の翻訳ものは著者の訳でしか読んだことがない(たぶん…う~ん、違うかも…汗)が、とても読みやすく気に入っていて安心して手に取ることが出来る(のは確か)。 リャマサーレスしかり、パハーレスしかり。 ということで、全幅の信頼をおく木村氏のエッセイと...
ラテン文学といったら著者。 スペイン語の翻訳ものは著者の訳でしか読んだことがない(たぶん…う~ん、違うかも…汗)が、とても読みやすく気に入っていて安心して手に取ることが出来る(のは確か)。 リャマサーレスしかり、パハーレスしかり。 ということで、全幅の信頼をおく木村氏のエッセイということで、これもまた迷うことなく手にしてみた。 翻訳の道に進むまでや作業の苦労話、翻訳を生業とする者の心構えまで、彼の訳書同様、抑えた筆致でしずしずと(?)語られている。 彼の父親や奥様、恩師とのやり取りは、こういっては失礼だが微笑ましく、著者の素直で実直な人柄がしのばれる。 また、そのお父様の一言一言がなかなかに核心を突いていて興味深く、このような導きに素直に従える著者だからこその、あの読みやすい翻訳なのかも、などと思ったりもした。 後半になり、翻訳そのものについての著者の矜持が語られだすと、そこはまさにプロフェッショナルの世界。様々な作家、文学評論家、翻訳家の著作からの引用も多数あり、文学論はもとより、言語学や心理学、文化人類学的要素まで含んだ議論にまで話が及び、まるで自分も翻訳を学ぶ学生のように著者の講義を拝聴した気分だ。 作家であれ翻訳家であれ(私のように、読んだらちょいと感想でも記録しておくか、という娯楽読書に生きる人々も、自分が満足できる程度には)いい文章を書こうと思うなら、名文をたくさん読むことだという。あの谷崎潤一郎も三島由紀夫も丸谷才一も、みんなみんな、作文はそれに尽きると言っていると。やっぱそうよね…。言葉を選び出そうとしたら、自分の抽斗にしまってあるところからしか取り出せない。私のような小さい抽斗に、申し訳程度に言葉がしまってあるだけでは、ただの感想文でさえロクなのは書けないってことよね。がっくし。 第十章「人称代名詞」と第十三章「”翻訳不能”な要素」がことに興味深かった。ついこの前、文化人類学的見地から捉えられた言語学についての本「ピダハン」を読んだばかりだったので、なおさら心に残った。 翻訳のみならず、文章を書くこと(ただの感想文でも)、読むこと、すべてひっくるめた本を楽しむことの極意が満載の素晴らしい作品です。 手元に置いておきたいが、高いなぁ~。
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現在日本で翻訳されているラテンアメリカ文学の半数は彼の手によるもの。なんてことはさすがにないだろうが、とにかく活躍中の木村榮一の自伝めいた翻訳についてのエッセイ。 一種の親近感ともいうべきか。著者の翻訳における失敗談が自分にも当てはまっているような気がして、そうそうと思いながらペ...
現在日本で翻訳されているラテンアメリカ文学の半数は彼の手によるもの。なんてことはさすがにないだろうが、とにかく活躍中の木村榮一の自伝めいた翻訳についてのエッセイ。 一種の親近感ともいうべきか。著者の翻訳における失敗談が自分にも当てはまっているような気がして、そうそうと思いながらページをめくっていた。専門家ではないが日本語についての夫人の当を得たアドバイス、父親の人生訓など著者が周りに支えられながら、現在の高みにまで至ったこと、そして、その感謝の気持ちが伝わってきた。翻訳への心構えなど、学ぶべき点も多し。
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