学ぶとはどういうことか の商品レビュー
"この本は、まず著者と同じ土俵にのぼることから始めたくなる。学ぶことを著者の切り口でトコトン突き詰めている。現代社会のありようから、古典「学問のすすめ」からと思考を深めていく。明治から現代にいたる時代背景的な洞察にも気を配ってほしかった面もあるが、まだ自分自身は著者とレ...
"この本は、まず著者と同じ土俵にのぼることから始めたくなる。学ぶことを著者の切り口でトコトン突き詰めている。現代社会のありようから、古典「学問のすすめ」からと思考を深めていく。明治から現代にいたる時代背景的な洞察にも気を配ってほしかった面もあるが、まだ自分自身は著者とレベル感があっていないと感じているので、恐れ多い発言だと理解している。 いづれ、読書経験を積み、著者の読んだ本を理解し得たら、また本書を読みなおしたい。"
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福沢諭吉の智徳論、アリストテレスの分類論、学びの4段階、と様々な切り口を提示したのはよかったが、その後のプラトンやらヘーゲルあたりから議論が発散しはじめて、論理実証主義批判へと展開していくものの、書籍全体としての論旨のつながりが悪く、思いつくままにアレコレ書いただけで、最後に得意...
福沢諭吉の智徳論、アリストテレスの分類論、学びの4段階、と様々な切り口を提示したのはよかったが、その後のプラトンやらヘーゲルあたりから議論が発散しはじめて、論理実証主義批判へと展開していくものの、書籍全体としての論旨のつながりが悪く、思いつくままにアレコレ書いただけで、最後に得意の政治論で強引に収束させたという印象。歴史に関しても教訓主義を肯定しているのか?否定しているのか?よくわからなかった。エッセイだから仕方ないのかもしれない。ただし、出来不出来にバラツキはあるものの個々の章毎にはそれなりにまとまっているので、章毎に別物として読めばそれなりの価値はあり、示唆に富む内容ではあるし、「学」に関して考えるキッカケにはなる。
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学校で学び、読書を通じて学び、失敗や様々な経験から学ぶ。人が生きていく上で、「学ぶ」ことは切り離せないものなのだということがまず理解できた。それから、学びには段階があるということ。知り、理解し、疑い、超えるという段階があるという。 印象的だったのは、「学ぶ」ことは、出来合いではなく、各人が手作りで形成していくものだといった意味の文章。どんな本を読むか、どんな経験をするか、どんな人とつきあうか等々、様々な要因が相互に織りなしてその人の学びは総合的に形成されていくのだなと思った次第であります。
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ここで大事なことは、「学ぶ」という行いには、「想定」の枠内での積み上げ的な「学び」だけを意味するわけではなく、その枠を超える「学び」の能力も含まれているということである。つまり、それまでの「想定」やその枠内での「学び」を外から眺め、突き放して観察するという知的な行為がそれである。これは自らがこれまで行ってきたことを乗り越える人間の能力といってよいが、これによってマンネリ化しがちな「学び」は「学び続ける」という能動的な知的な行為へと転換していく。(p.29) 「超える」=「学ぶ」という行為には、これまでの社会や人生のあり方に対する極めて激しい批判や断絶感が必ず含まれている。よく知られているように、イエス・キリストはユダヤ教徒からすれば単に新しい教説を唱えただけではなく、およそ理解不可能な形で救世主の概念を転換した。プラトンは「すべてのポリス」がどうしようもない状態にあるという認識を踏まえて、ソクラテスの哲学を基盤に置いた新たなポリスと人生を構想した。マキアヴェッリに見られたのは、これまでの支配者たちがいかにだらしなく、無能であるかについての激しい批判であり、「新しい君主」についての彼の構想はこの現状を打破するための構想であった。(p.99) それとともに、実践における目的をも問い直し、「適切さ」を執拗に求めて技能・技法を試し、洗練させるというもう一つの専門家イメージがここに出てくる。この後者を単なる専門家(スペシャリスト)と区別して、プロフェッショナルと呼ぶことにしたい。実践の世界はつねに変動要因に見舞われ、不断の目配りと新たな実践が求められる。そこでは解決は決して絶対的・究極的なものではない。それは人間の営みの然らしむるところであり、つねに「より適切な」解決を求める不断の活動が行われることを前提に、ある種の謙虚さを持ちながら、しかし「適切さ」のために闘い続けるのがプロフェッショナルの魂というべきものである。 それは、実践の社会的責任への問いとつながっている。それぞれの拠点から出発しつつ、どのような実践が社会的責任に応えたものになるのかが、実質的に問われることになる。プロフェッショナルは「天職」と訳されるが、それは経済的な打算を行動基準としないだけではなく、当然広い意味での公共性を視野に入れた発想を持つことを内包せざるを得ない。言い換えれば、自分の個人的利益になるかどうか、目の前の利害関係者などの役に立つかどうかといった狭い了見以上の視線を持つべきだということになる。こうした見地が社会的に共有されることによって、権力や利益に対する知の独立性と抵抗力が生まれる。(p.171) 政策の重点を人間に直接向けるという方針そのものが間違っていたわけではないが、それが未来に向けての人的資源の抜本的な再構築といった形で構想されることなく、「不均衡の是正」といった形での後ろ向きのメッセージに傾斜した点が問題であった。平たく言えば、これでは「困っている人を助ける」ことに政策の目線はどんどん限られてくることになろう。そしてこの世には「困っている人」は限りなく居ることは厳然たる事実である。(p.195)
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[購入] 元東大総長の著者による本質的な「学び」論。 エッセイというかたちで、歴史や社会にとっての「学び」の意味やより根源の人間にとっての「学び」の意味が綴られる。 哲学や歴史などの観点からの語り口は決して易しくなく、読み進めるのに時間がかかる。 先にあとがきを読んでから読み進...
[購入] 元東大総長の著者による本質的な「学び」論。 エッセイというかたちで、歴史や社会にとっての「学び」の意味やより根源の人間にとっての「学び」の意味が綴られる。 哲学や歴史などの観点からの語り口は決して易しくなく、読み進めるのに時間がかかる。 先にあとがきを読んでから読み進めた方が理解が促進されるかもしれない。
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http://www.bookclub.kodansha.co.jp/bc2_bc/search_view.jsp?b=2821206
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レポートのために。 ちょっと私には難しかった。わからない言葉も多々出てきたので、辞書片手に時間がかかった。 政治のことも少し勉強してみようかなと考えさせられた。
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佐々木毅著『学ぶとはどいうこと』。元東大総長で、政治思想史の重鎮が、いかなる学ぶ意義を、いま説くか。興味があって、購入の手順。 アリストテレス、福沢諭吉と古典が引用されて、果たしてそのオチはと読みすすんだが。どうもその帰結は、政治家の「学ばない政治の災禍」( 180p)とい...
佐々木毅著『学ぶとはどいうこと』。元東大総長で、政治思想史の重鎮が、いかなる学ぶ意義を、いま説くか。興味があって、購入の手順。 アリストテレス、福沢諭吉と古典が引用されて、果たしてそのオチはと読みすすんだが。どうもその帰結は、政治家の「学ばない政治の災禍」( 180p)という点に主張点は、あるようだ。 「精神的エネルギーの枯渇」(196p)。二本の学習スタイルが学校時代の学びに収斂し、なにを学んだかよりも「どこで誰について学んだか」出7処遇が路線化されている、学歴主義。 学閥のネットで情報をわけあい、予算をうごかしていく仕組みが、政権交代があってもかわらず、3.11東日本大震災を経てもかわったとは、言えないようだに、エリートの保身があるのかも知れない。 読み終えたところで衆議院は解散。与党も野党も、国民の支持をとりつけているようには見えてこない。政治家と官僚は、本書を一読、政策のねりなおしが必要なのかも。 どこかで著者は東大曾朝時代に、東大出身者の官僚や政治家に問題ありといわれても、それが東京大学の教育の問題といわれてもと、当惑したことがあったと、記憶する。 総長を任期満了。肩の荷がおりたところで、すすめられるままに「筋をとおされた」か。(講談社 2012年)。、
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福沢諭吉の著書からの引用が多く見られた.彼が,その当時「学ぶ」ということを適確に捉えていることに著者は評価しているが,そのような普遍的な知識を習得し,著作に表すことは凄い.
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震災での想定外な出来事を契機に、学ぶことの本当の意味を見直す。「学問のすすめ」が書かれた、歴史的な意味合いを作者なりに解釈しながら、学びについての、深い洞察が続く。作者の専門分野である、政治の世界での学びなど、学ぶことが即実践されるべき世界での、ていたらくは、嘆くしかない。高校生...
震災での想定外な出来事を契機に、学ぶことの本当の意味を見直す。「学問のすすめ」が書かれた、歴史的な意味合いを作者なりに解釈しながら、学びについての、深い洞察が続く。作者の専門分野である、政治の世界での学びなど、学ぶことが即実践されるべき世界での、ていたらくは、嘆くしかない。高校生、大学生くらいが読むといいが、社会人とて、生涯学びは必要。人生の中弛み、諦めも始まるであろう、40代の人こそ、読むべきかもしれない。
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