近現代日本史と歴史学 の商品レビュー
タイトルでは何の本かわからなかったが、成田さんの本は好感をもっていたので購入。 日本の近現代史が、様々な歴史かからどのように批判され、今、どの位置にあるか、という過程を分析した本。 歴史学発展過程論のようなもの。都市計画の世界で『都市計画の理論と系譜』という大著があるが...
タイトルでは何の本かわからなかったが、成田さんの本は好感をもっていたので購入。 日本の近現代史が、様々な歴史かからどのように批判され、今、どの位置にあるか、という過程を分析した本。 歴史学発展過程論のようなもの。都市計画の世界で『都市計画の理論と系譜』という大著があるが、その歴史学版。 雑学のようなもんだが、なるほどと思った点。 (1)戦後は、マルクス主義にベースをおいた遠山茂樹先生の考え方が、随分、日本史の教科書にも反映されていること。 (2)鈴木裕子氏に対して、上野千鶴子氏が「戦後の位相から女性リーダーの言動を批判している」と批判していること。(p224) 上野さんもたまにはいいこというな。 あとは参考文献ジョン・サワー『容赦なき戦争』、成田龍一『近代都市の文化経験』。
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いささか扇情的な副題(書き替えられてきた過去)と帯の惹句(歴史は書き替えられるー)にも拘わらず、内容は至極まっとうな「史学史」。近現代日本史の叙述が時の政治・社会状況の影響を強く受けてこなかったと考える方がナイーブに過ぎるのであって、その意味では「当たり前」のお話しである。 し...
いささか扇情的な副題(書き替えられてきた過去)と帯の惹句(歴史は書き替えられるー)にも拘わらず、内容は至極まっとうな「史学史」。近現代日本史の叙述が時の政治・社会状況の影響を強く受けてこなかったと考える方がナイーブに過ぎるのであって、その意味では「当たり前」のお話しである。 しかし、そのことを整理し、わかりやすく叙述することは難しい。言うまでもなく、史学史自体が時の政治・社会状況の影響を、また強く受けざるを得ないからだ。その点、本書はマルクス主義の影響が強かった社会経済史、民衆史、社会史といった視角を軸に各時代の歴史叙述がどう変遷してきたかを手堅く描き出している。 もっとも、経済史の立場からはたしてこの歴史叙述の変遷を素直に受け入れられるかどうかは別問題。たとえば、本書で9期に区分されている「近現代日本史」という視角自体、問われなければならない問題であろう。ウォラーステインの近代世界システム論やA・G・フランクの従属論、ホブズボームの「長い19世紀」論、などなど日本の歴史学界にも大きな影響を与えているはずの議論はまったく触れられていない。ないものねだりなのかもしれないが……。
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教科書を使って普段授業をしているが、扱っている歴史像も「絶対」ではなく、相対的に捉える必要がある。その認識を踏まえたうえで、では、どのように歴史像が書き換えられたり、注目される歴史事象が変化してきたのかという点に関して、従来の研究史やさまざまな私たちが読む歴史出版物を整理し、状況分析を行った著作。著者の関心は特に近現代ということで、日本近現代がどのように描かれてきたかを述べている。 私たちが自明のように語ったり、「利用している」歴史の色々な人物イメージ・評価や事件のそれも実は絶対的なものではなく、社会情勢や政治情勢の影響を受けイメージ・評価が上下するものである。そのことを強く認識するきっかけになるし、またそのイメージがどのように形成されるかの回路を知ることで、自己で取捨選択した歴史像の構築が重要であると認識することができる。教育現場に還元するか否かは別として、1度「高校日本史」などを学習したあとであるならば、自分の歴史像を相対化するよいテキストになると感じた。
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歴史とは多くの史実の集積であるが、歴史学というのは、それらの中からなにがその後の歴史を動かす力になったか、なにとなにがつながりあっているのかを選びだし、価値づけする作業である。(こんなことを学生時代に議論したことがあったのを思い出した)成田さんは、「近現代日本史学史」のような授業...
歴史とは多くの史実の集積であるが、歴史学というのは、それらの中からなにがその後の歴史を動かす力になったか、なにとなにがつながりあっているのかを選びだし、価値づけする作業である。(こんなことを学生時代に議論したことがあったのを思い出した)成田さんは、「近現代日本史学史」のような授業でこのテーマを論じたのであろう。歴史学はつねに書き換えられる。成田さんは、それを三つの期に分ける。第一期は、戦後から1960年頃までのいわゆる社会経済史をベースにしたもの。そう言うと、古くは戦前の羽仁五郎や野呂栄太郎の講座派や大塚史学を思い来させる。マルクス主義の唯物史観の観点からの歴史分析である。ここでは人民ということばがよく使われた。第二期は、1960年頃から強くなった民衆史観。第三期は、1970年頃から盛んになった、国境と学問の境界を越えた歴史学である。そして、その時々によって、著者たちが面していた歴史事件との関係で、過去の一つ一つの史実の評価が変わってくるのである。成田さんは、それを多くの著書を中心に語る。一つの一つの本の紹介は少ないものだと1行、多いものだと数行にわたるが、歴史家というのは、資料をいじるだけでなく、こうした史実をとらえる論についても通暁していないといけないのだと改めて思った。もちろん、ここでとりあげられていない著書もある。論文はあまり引かないというが、それでも、それなりに言及している。面白いのは、東京大学准教授だった○○は…のような記述が頻繁に出てくることである。もう少し行けば、小谷野敦が好きな人脈にいくのだろうが、成田さんはそんな下品なことはしない。(小谷野敦は最近『新明解国語辞典』について「まともな辞書でないことに気づくまで」を書いているが、内容にはまったく触れず、辞書をつくればもうかるとか、編者の山田の一族が学者一家でとか、金田一一族の話など下世話でお茶をにごしているだけである。こういう原稿をよく載せるものだ)本書の中で、一つ印象に残ったのは、「大正デモクラシー」という、当然のような名前が今は必ずしも使われていない、つまり、このことばの有効性が疑われているということ、また、デモクラシーの中からファシズムが生まれてくるという点である。本書のような史学史は記述がすくないだけに理解は容易でないが、一つの事実をどう見るかという複数の視点と著書が紹介されていることで、一つ一つの事件についてもっと知りたくなる。ぼくは歴史の畑に少しいたことがあるから、60年代のことは多少知っていることもあったが、こんな研究もあるのかととても興味深く読んだ。
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近現代の「日本」をどう捉まえるか、ということは時代や思想的立ち位置などによっても変わるだろうが、戦後の歴史学会の基本的な潮流をおさえた好著だと言える。 巻末にあげられている参考文献の数々は、とりもなおさず、これから近現代日本史を学ぼうとする人の基礎基本的な書籍のリファレンスとなっ...
近現代の「日本」をどう捉まえるか、ということは時代や思想的立ち位置などによっても変わるだろうが、戦後の歴史学会の基本的な潮流をおさえた好著だと言える。 巻末にあげられている参考文献の数々は、とりもなおさず、これから近現代日本史を学ぼうとする人の基礎基本的な書籍のリファレンスとなっている。
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