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蔦屋重三郎 の商品レビュー

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2012/04/08

・鈴木俊幸「〔新版〕蔦屋重三郎」(平 凡社ライブラリー)は、「蔦重の関与した出版物を検討しながら彼の軌跡を追い、当時の文化の一 面を、その生成のからくりとともに捉えようとしたものである。」(13頁「はじめに」)これは評伝ではない。あくまで、蔦重の出版活動、 つまりはビジネスを研究...

・鈴木俊幸「〔新版〕蔦屋重三郎」(平 凡社ライブラリー)は、「蔦重の関与した出版物を検討しながら彼の軌跡を追い、当時の文化の一 面を、その生成のからくりとともに捉えようとしたものである。」(13頁「はじめに」)これは評伝ではない。あくまで、蔦重の出版活動、 つまりはビジネスを研究対象とした書である。蔦重、蔦屋重三郎といふのは、近世を通じて一般にもよく知られた出版人である。蔦重より大き な本屋は数多く存したであらうが、蔦重のやうには知られてゐまい。何しろ山東京伝とともに寛政の改革で処分されたのである。この一事で有 名になつた。これから知れる如く、蔦重は戯作には非常に強い本屋である。作者との結びつきがある。試みに黄表紙の翻刻等を見れば、その版 元の多くは蔦重になつてゐる。だから、寛政の改革で幕府の目の敵にされるのは当然のことであつた。本書でもこれに触れるが、処分そのもの にはあまり言及しない。あくまで、それによつて蔦重がどうなつたかを問題にする。それが本書である。 ・私におもしろかつたのは、言はば戯作以前と戯作以後とでも言ふべき時代の蔦重である。戯作以前は蔦重の出版活動初期である。蔦重はいき なり戯作で商売を始めたのではなかつた。蔦重は吉原の住人である。当然のこととして吉原と強いつながりがあつた。そこで、吉原案内本であ る吉原細見を出すことから商売を始めた。蔦重以前にも細見はあつた。しかし、吉原の外からのものであつた。ところが蔦重は「吉原で生まれ 育った」(29頁)。その「地縁・血縁に支えられ」(同前)た蔦重版細見は、それゆゑに「吉原という地域、この一蓮托生の共同体の意向が 強く反映されていたもの」(28頁)となつた。情報といふ点でも正確であつたらしい。しかし、それ以上に「吉原細見は広告媒体として優れ た出版物であ」(31頁)り、「蔦重店の広告塔のごとき機能を果たしていく。」(同前)かういふことはこれ以前にはなかつたらしい。蔦重 はさういふ商才を持つ人間であつた。馬琴の有名な評がある。「顧ふに件の蔦重は風流もなく文字もなけれと、世才人に捷れたりけれは 云々」。正確には馬琴自身ではなく世人の評である。それを馬琴が記したからには、馬琴もこれを認めてゐるのである。さういふ蔦重だからこ そ、時の権力に忌諱されるまでの出版活動を行ひえたのであらう。たぶんこれにも関連することである。蔦重には蔦唐丸といふ狂歌作者として の一面があつた。どのくらゐ本気で狂歌を作つてゐたのかははつきりしないらしいが、これを商売に生かしてゐたらしい。蔦重は狂歌の大家四 方赤良編の狂歌集を出してゐた。最初はうまくいく。そのうちに惰性に陥るといふべきか。狂歌壇自体にその熱が冷めてくる。さうなるとなか なか作れない。何とか作つても良いものはできない。そんな時に蔦重、蔦唐丸の出番である。自らが編集者となるのである。「狂歌人気は衰え を見せず、狂歌本の出版は蔦重の経営の一角を支えるものとなってしまっている。」(175頁)乗り出さざるをえない。本気で狂歌をやつて ゐたとしても、かうなればそれは商売である。そしてこれも商才である。吉原といひ、狂歌といひ、蔦重は己を商売とする。しかも、それは奢 侈につながる。この詳細は本書内で何度も言及される。それが却つて徒となつた。やがて、名古屋の永楽屋東四郎と組んで宣長本を出すに至 る。かくして、私が知つてゐた蔦重は戯作関連の、言はば真ん中だけであつた。本書で、本当はそれだけでないと知る。初めもあれば終はりも あるのである。出版人蔦重の全体像を知ることができた。本書の価値はここにある。正に蔦重啓蒙の書であつた。

Posted byブクログ