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魚は痛みを感じるか? の商品レビュー

3.8

31件のお客様レビュー

  1. 5つ

    7

  2. 4つ

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  3. 3つ

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2023/07/20

犬や猫などに対しては当然のように意識している 「痛み」を、魚も持つかどうかを意識したことがなかったためとても新鮮な内容だった。

Posted byブクログ

2021/02/04

やはり魚だって痛いのだ。 当然、生物の生存本能にもとづけば痛みを感じ、自分が生き延びる努力が必要になる。 だからといって魚を食べるのを諦めるのはさみしいし、ヴィーガンになったところで、じゃあ、植物は痛みを感じないのかと言われるとそこも問題である。 たとえばタマネギを切ると目がしみ...

やはり魚だって痛いのだ。 当然、生物の生存本能にもとづけば痛みを感じ、自分が生き延びる努力が必要になる。 だからといって魚を食べるのを諦めるのはさみしいし、ヴィーガンになったところで、じゃあ、植物は痛みを感じないのかと言われるとそこも問題である。 たとえばタマネギを切ると目がしみるのはタマネギの抵抗と言う説もある。 所詮、他者をいただいて生きるのであれば 科学を持って福祉を考え、かんしゃをもって、たべさせていただきたい。 ネイティブ・アメリカンのすべてのものに精霊は宿るので、常に感謝して暮らす思想が正しい。 食べ物は粗末にしない。日本のいいつたえもおなじこと。 おごれる人類は、まだまだ学びが足りない。

Posted byブクログ

2020/11/15

魚が痛みを感じるのか及び魚の福祉について述べた本。 魚が痛みを感じる事に対し、3つのレベルで階層分けして、まず検証している。 また、魚が痛みを不快に思うか、つまり意識を持つのかどうかについても同様に3つの達成すべき項目を作ってレビューしている。 しかし、これらが達成されてな...

魚が痛みを感じるのか及び魚の福祉について述べた本。 魚が痛みを感じる事に対し、3つのレベルで階層分けして、まず検証している。 また、魚が痛みを不快に思うか、つまり意識を持つのかどうかについても同様に3つの達成すべき項目を作ってレビューしている。 しかし、これらが達成されてなぜ痛みを意識すると言えるのか、という説明がよく分からなかった。学会でもこのような基準が標準であるっぽいので間違ってはいないのだろうけど、噛み砕いた説明が欲しい。

Posted byブクログ

2019/03/16

犬や猫が痛みを感じないと思う人はいないだろう。 だが、例えばトカゲが尻尾を自切するとき、昆虫の手足が外れるとき。生物によって痛みの表現だけでなく、その感性にも差があるのではないかと考えるのは当然の疑問だ。 本書においてその探索は"表現"と"感性&q...

犬や猫が痛みを感じないと思う人はいないだろう。 だが、例えばトカゲが尻尾を自切するとき、昆虫の手足が外れるとき。生物によって痛みの表現だけでなく、その感性にも差があるのではないかと考えるのは当然の疑問だ。 本書においてその探索は"表現"と"感性"の両面からされるのだが、これがどうにもお粗末にすぎる。 例えば実験の一つとして、「刺激を与えた魚は未知の物体を恐れなくなる」ことを痛みによって注意をそらされたせいだと結論づけるが、逆に「刺激を与えた魚は未知の物質を恐れる」ような結果だったとしても、痛みの恐怖によって反応が過敏になったせいだと言えてしまうのではないだろうか。 さらに噴飯ものなのは、魚に意識がある証拠として、ウツボとハタが"複雑"で"効果的"な協業をすることのみを挙げているが、これではせいぜい言えるのが"魚"ではなく"ウツボ"と"ハタ"にのみ意識があるということだし、なんならミツバチと花、イソギンチャクとエビにだって痛みを感じられる意識が生じていることになる。 他には"四分の一"のヤドカリが電撃を加えられて殻を脱ぎ捨てたことをもって痛みの証拠としてみたり、挙句の果てには他者の本を引用して「魚に言及されることは一度もなかった」と記した部分を、訳者に「実際には、わずかながら言及がみられる」と訂正されるあまり。 こんなに材料が雑だと、その先に本当に考えるべき食の哲学について考えを及ばせることは出来ない。 筆者は至らない本を読まされた読者の痛みを感じないのだろうか? 結論ありきの地点から抜け出せない研究者は、他の人間とは"表現"にも"感性"にも違いがあるのかもしれない。

Posted byブクログ

2018/12/24

読もうか読むまいかずっと迷っていた。ぼくはフライフィッシャーで、釣った魚は基本的にそのまま逃がす(リリース)ことにしているが、それにしたって魚にとっては大迷惑に違いない。後ろめたい気持ちがないわけではないのだ。 「魚は痛みを感じるか?」という問いかけそのものはナンセンスだ。魚に...

読もうか読むまいかずっと迷っていた。ぼくはフライフィッシャーで、釣った魚は基本的にそのまま逃がす(リリース)ことにしているが、それにしたって魚にとっては大迷惑に違いない。後ろめたい気持ちがないわけではないのだ。 「魚は痛みを感じるか?」という問いかけそのものはナンセンスだ。魚に限らずすべての動物は、体へダメージを与える状況から逃れるための方策を持っているはずで、そうでなければ生き残れない。ミジンコや酵母菌が「痛み」という感覚を持っているかはまた別だが、曲がりなりにも脳を持っている魚が痛みを感じないとしたらそっちのほうが不思議だ。本書によると魚は痛みを感じないと主張するひとがいるらしいが、根拠を聞いてみたいものだ。昔、キリスト教世界では、「動物は魂を持っていないから感情も感覚もない」という主張があったと聞くが、その後遺症なのかな? で、もちろん魚は痛みを感じる。科学的に「痛みを感じる」と証明するための実験は興味深い。なるほどこういう調べ方をするのか。 その過程で示される魚の知的能力も面白い。シクリッドは仲間が喧嘩しているのを見ていて、AはBに勝った、BはCに勝った、ならばAとCではAのほうが強いだろう、という推論をするそうだ。サケ・マスは自分が生まれた川に戻ってくる。うちで飼っている熱帯魚だって、ぼくが水槽に近づくとご飯が降ってくると思って騒ぐ。痛みを感じるかどうかというレベルではなく、連中もいろいろと考えているのだ。当たり前だけど。 「痛みを感じる」と認めた上で、釣りをするか、魚を食べるかは、もう哲学のレベルだ。リリースするフライフィッシュングは偽善で魚に迷惑は変わらない、というのなら、釣った魚を食べるのなら問題ないのだろうか? 魚にとっては食われちゃったほうが迷惑だと思うけれど。釣りなんかしないほうがいいのだろうけれど、それは極論すればベジタリアンになるか、という選択肢に行き着く。まあそれはそれで、一つの安らかな選択ではあるとは思うのだが。

Posted byブクログ

2017/07/19
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

 痛みを引き起こす事象を神経系がどのように検出し、それにどう反応するのかについては多くが解明されているが、脳が痛みの情報をどのように処理し、損傷によって引き起こされた痛みや苦しみに結びつく情動反応を、脳のプロセスがいかに生み出すのかについては、それほど明らかになっていない。このような不確かさがあるために、動物の痛みの研究はきわめて困難になっている。(p.49)  ここでカギになる問いは、「その動物が、ヒトと同様、ダメージを受けた箇所が痛むと意識的に経験しているか?」である。この問いこそが問題の核心だといえよう。いいかえると、ここで問われるべきは「動物は痛いと気づいているのか?」、あるいは「動物は痛みに意識的に気づいているのか?」という問いだ。(p.58)  ハチの毒や酢で処理された魚について単純行動の変化を調査する実験では、魚の呼吸速度が上がり、食欲が減退した。さらに重要なことに、それとは別の実験で、注意や空間行動などの高次の認知プロセスが、刺激によってかなり変化することが示されている。しかしそれによって引き起こされた認知能力の低下は、鎮痛剤としてモルヒネが与えられると緩和した。つまり魚は刺激に対して、痛みの知覚の存在を示唆するような方法で反応したということだ。(p.105)  ハタとウツボの協力関係はきわめて興味深い。両者がともに、さまざまなできごとを関連づける方法を学習し、それらを結び付けられなければ、協調的な行動は発生し得ない。しかもこれらの魚は、最近までは意識などないロボットのような水生動物にすぎないと考えられていたのだ。(p.149)  痛みによって苦しむ動物と、そうでない動物を区分する線を引けるはずだとする感覚は、この「存在の大いなる連鎖」のようなコンセプトにその起源が求められるのかもしれない。しかし科学的にいうと、そのような区分が可能なのかどうかを決定するのに必要になる、十分な証拠はそろっていない。(p.164)  逆説的にも、釣り人の多くは、これら水中に住む動物に対して愛情を抱いているがゆえに釣りをする。もとより多くの釣り人は、魚が痛みを感じる可能性を考慮して、水の外で魚を扱う時間を最小限にとどめられるような釣り道具を使ったり、魚を素早く「安楽死」させたり、釣り針から返しの部分を取り除いて、魚のあごから迅速にかつきれいに針を外せるよう工夫したりしている。(p.196)  魚は苦痛を経験すると認めることで、魚に対する私たちの考え方は変わり、またさまざまな面で私たちの行動のあり方もやがては変わっていくだろう。(終章)

Posted byブクログ

2017/05/27

本の8割は、おそらく魚は痛みを感じている、という証明。非常に科学者らしい書き振り。魚は痛いとか言うわけじゃないし、人間から見ると痛そうにしている行動も痛いわけではないのかもしれない。簡単に思えることも証明しようとすると難しい。痛みを数ステップにわけ、証明を試みている。

Posted byブクログ

2015/05/02

魚は情動を経験する認知能力を備えている。刺激性の化学物質により活性化する侵害受容体持ち、それが刺激されるとストレス反応を示す。例えば、酢を皮下注射されたマスは、水槽内に置かれた未知の物体(この場合、レゴブロックのタワー)のかなり近くまで泳いでいく。マスは警戒心の強い魚で、食塩水を...

魚は情動を経験する認知能力を備えている。刺激性の化学物質により活性化する侵害受容体持ち、それが刺激されるとストレス反応を示す。例えば、酢を皮下注射されたマスは、水槽内に置かれた未知の物体(この場合、レゴブロックのタワー)のかなり近くまで泳いでいく。マスは警戒心の強い魚で、食塩水を注射された個体はレゴブロックのタワーを避ける。これはマスの行動が酢により、「注意の欠如」状態になっていることを示唆する。 魚はアクセス意識を持つ。実験的にメンタルマッピングの能力があることが示唆されている。さらに、個体間の順位関係も理解できる。 また、魚は現象意識も持つ。感覚力を持てる程度に複雑な、辺縁系にあたる部分を持つ。上記のマスのレゴブロック回避行動の実験は、マスが現象意識の変化に応じて行動を変えているということを示唆する。 さらに、自己意識を持つことを示唆する事項も知られている: ハタとウツボは協業して狩りをする。ハタは早いスピードで泳ぎ、獲物を追いかける。だが、獲物がサンゴ礁の小さな穴の中に入ってしまうと、ハタはその中には入っていけない。そうなると、ハタはウツボを探しに行く。ウツボを見つけるとハタは激しく頭部を振りながらウツボに合図する。それを見たウツボは、大抵は穴から出てきて、ハタの先導で獲物がいる穴の付近に泳いでいく。到着するとウツボは辺りを探索するが、ときにハタが進入すべき穴に口先を突っ込み、知らせることもある。ウツボは穴に進入し、2回に1回の割合でサンゴ礁から獲物を追い出す(さもなければ自分で獲物を食べる。これはおそらく文化遺伝によって説明されると著者はいう。ハタがウツボの存在と獲物も追い出しを学習するのは容易であろうし、加えてウツボに合図を送る手段を発達させたのだろう。そしてそれがハタとウツボの集団に広まったと考えればよい。確かに、ウツボとハタの行動は固定的動作パターンのように厳密に決まりきったものではないようなので、生得的なものというよりは文化的なものなのかもしれない)。 カケスは自身の経験に基づいて、他のカケスの意図を理解することができる。カケスはエサを様々な場所に隠し、貯蔵する。他のカケスのエサを盗むことを覚えたカケスは、自分のエサを隠すときに慎重になる。そのようなカケスは、エサを隠す際に他のカケスがいると、あとで他の個体がいなくなってから、隠し直したりする。エサを盗むことを学習していないカケスはそのようなことはしない。 支配的な地位にあるマスに痛みの刺激を与えると、痛みの兆候を見せずに攻撃的な行動を取り続けて、自らの地位を保とうとする。 釣りを禁止しても魚の福祉は改善されない。水質保全プロジェクトなどの多くは釣り人によってサポートされているからだ。

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2015/02/06

金魚釣りに誘った知人から「金魚は痛みを感じないのか?」と尋ねられたので、これに応えてやろうと思って手に取った一冊。面白かった。 誰もが理解できるこの身近な課題に対し、 ①緻密で的確な実験と考察、 ②幅広い先行研究等の正確なレビューとそれを踏まえた論考(つまり、"巨人の...

金魚釣りに誘った知人から「金魚は痛みを感じないのか?」と尋ねられたので、これに応えてやろうと思って手に取った一冊。面白かった。 誰もが理解できるこの身近な課題に対し、 ①緻密で的確な実験と考察、 ②幅広い先行研究等の正確なレビューとそれを踏まえた論考(つまり、"巨人の肩に立っている"こと)、 ③あわせて、倫理面の考察、 を、きちんと、わかりやすく示しているのが魅力的。科学(動物学)研究の面白さをよく伝える一冊。 個人的には、当該「金魚釣り」に向けて投げかけられた論点に応えられそうなので嬉しいのに加えて、キャッチ&リリースとか(そもそも釣り自体も)の是非や、「どこに線が引ける?」への論考の材料にもなって有意義だった。

Posted byブクログ

2014/02/23

著者の住むイギリスでは畜産や動物実験というものに対し「五つの自由」という形で動物の福祉についての配慮が求められるらしい。そのひとつとして無用の痛みに対する配慮もあるらしい。 そもそも痛みとはなにか 痛みは個人的な体験である、私たちは他人もこの感覚を体験しているはずと確信し、互い...

著者の住むイギリスでは畜産や動物実験というものに対し「五つの自由」という形で動物の福祉についての配慮が求められるらしい。そのひとつとして無用の痛みに対する配慮もあるらしい。 そもそも痛みとはなにか 痛みは個人的な体験である、私たちは他人もこの感覚を体験しているはずと確信し、互いに話し合うことで痛みについて対処や緩和の方法について共有できる。しかしながら動物とは話ができないので、同じ感覚を共有しているかどうか判らない。 私たちは痛みを感じることで行動を変える。このことが進化上有利なので機能として残ったと推測されるので、著者はこの機能もしくは類似した機能が広く生物に備わっていないことの方が不自然だとする。 イソギンチャクのようなものでも持っていることが生態観察で確認できるらしい。多くの生物が同様に痛みを伴うような現象に何らかの回避行動を起こす。 しかし痛みに対する反応があるから痛みを感じているとはいえない。痛みを意識しているかどうかが問題になる。 そもそも魚に意識があるのか、 著者は意識の様相を呈する行動要素を見いだすために3つのカテゴリーを引用する。 1.アクセス意識 情報の断片を結びつけイメージや心的表象に結びつけ自らの行動と決定に結びつける能力。たとえば記憶の中から頭の中に地図を思い浮かべルートを決めると言ったこと 2.現象意識 自分の周りの出来事を感じ取る能力 3.モニタリングと自己意識 自分の行動について考え起こりうるシナリオを考慮する能力 著者はこういった意識レベルを魚がもつと言えるかどうかを実験や生態観察、解剖による機能の確認等を通して検証する。 迷路での実験、縄張り争いの観察等々 マスが電撃を受けることを受容しても仲間の元へ行こうとする行動、ハタが獲物を捕るのにウツボに協力を求めに行く行動等々 種々の考察を通し、著者はどうやら魚を痛みを感じているらしいとする。 こういった考察は当然に倫理上の問題を提議することになる。魚の福祉問題である。これを言い始めるとキリがないのであるが、それに対してもスポーツとしての釣り、漁法の問題さらには病院などでのセラピーとしての魚の展示と言ったことまで言及。 それはそれで面白い議論ではあるが、私的には魚が痛みを意識しているかどうかを検証する過程の方がやはり面白いのである。

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