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現代語訳 吾妻鏡(11) の商品レビュー

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2023/10/30

1238年~1244年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第三十二 暦仁元年(1238)正月~12月 但し、11月までは嘉禎四年。11月に暦仁元年に改元。 ・吾妻鏡 第三十三 延応元年(1239)正月~12月 但し、4月までは暦仁二年。2月に延応元年に改元。    ...

1238年~1244年の『吾妻鏡』の記述。 ・本巻の政治情勢 ・吾妻鏡 第三十二 暦仁元年(1238)正月~12月 但し、11月までは嘉禎四年。11月に暦仁元年に改元。 ・吾妻鏡 第三十三 延応元年(1239)正月~12月 但し、4月までは暦仁二年。2月に延応元年に改元。          仁治元年(1240)正月~12月 但し、7月までは延応二年。7月に仁治元年に改元。 ・吾妻鏡 第三十四 仁治二年(1241)正月~12月 仁治三年は欠本。 ・吾妻鏡 第三十五 寛元元年(1243)正月~12月 但し、2月までは仁治四年。2月に寛元元年に改元。          寛元二年(1244)正月~12月 注、有り。付録は、時刻表/方位。大倉御所概念図。 鎌倉時代の鎌倉、若宮大路周辺図。 天皇家系図、鎌倉将軍家系図、北条氏系図。 北条泰時や時房ら幕府の中枢を従えての、 将軍・藤原頼経の初上洛。正に鎌倉幕府の大移動。 頼経は親族や朝廷の有力者と会い、参内も果たす。 幕府と朝廷の間で法の整備の整合が成される。 また、幕府自体でも様々な条々が決議され、基盤を強める。 幼い四条天皇の崩御からの幕府主導による後嵯峨天皇の即位。 そして宿老や要人の死。二階堂行村や小山朝政、 三浦氏の重鎮である義村、北条家では連署を務めた時房、 執権の泰時までも亡くなってしまう。そうそう、後鳥羽上皇も。 孫で19歳の経時が執権と成り、訴訟関係の整備を進めた。 幼かった頼経は20歳を越える年齢と成り、 後継の頼嗣が6歳で元服し、征夷大将軍の宣旨を受ける。 彗星、月食、地震、旱魃、大洪水、多くの火災がある中、 幕府の法整備が進行し、存在感が確かなものとなってきます。 そのためか、相論や訴訟の記録があちこちに見られますが、 大きな騒動は起こっていません。但し、注を読んでると、 宝治合戦での死亡フラグが立ってる人物が・・・次巻ですなぁ。 因みに、鎌倉大仏の記録はほんの少しでした。

Posted byブクログ