「上から目線」の時代 の商品レビュー
日本語の特性として元々ある非対称性、 話し手と聞き手、ボケツッコミのような関係性は完全に対等な関係では成立しない 人間は本来、対等であるべきなのだが日本語の会話は台頭ではうまく行かない。それは主導権の取り合いになって何も生まれない(平行線・論点のすり替えなど) まずはお互いが対等...
日本語の特性として元々ある非対称性、 話し手と聞き手、ボケツッコミのような関係性は完全に対等な関係では成立しない 人間は本来、対等であるべきなのだが日本語の会話は台頭ではうまく行かない。それは主導権の取り合いになって何も生まれない(平行線・論点のすり替えなど) まずはお互いが対等であると心の中で自覚した上で自ら一歩引いて相手の話を引き出す。そこから生まれる生産的な議論をしていくべき。 なるほど面白い…思っていたより読み応えのある本 少し古い本なので、もっと早めに出会いたかった…というか積読しておくのをやめとけばよかった。。
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【由来】 ・amazonでたまたま 【期待したもの】 ・自分は「上から目線」に敏感にイラッとくる性質なので。 【要約】 ・ 【ノート】 ・
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同僚の発言が上から目線だと感じるけど、では何をどうすればそうじゃなくなるのか分からなかったので、ヒントになればと。 彼は決して気持ちまで上からなのではないのは分かるんだけど、言葉の選び方が悪いのかなと思った。 だ、である調には助詞が必要だという部分は、なるほど!と腑に落ちた。
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上から目線について知りたくて読書。 相手が上から目線だと感じる現状はよく体験する。 どうして上からだと感じるのだろうか。 自分の立場や言動を守るための心理的な表れの1つだと思う。弱い自分を悟らせないための虚勢なのかもしれない。 相手を国籍や年齢、地位、経験などで見下すことで...
上から目線について知りたくて読書。 相手が上から目線だと感じる現状はよく体験する。 どうして上からだと感じるのだろうか。 自分の立場や言動を守るための心理的な表れの1つだと思う。弱い自分を悟らせないための虚勢なのかもしれない。 相手を国籍や年齢、地位、経験などで見下すことで自分を守っている。そんな風潮が強まっているのだろうか。 2003年からの大連出張で同僚の日本人トレーナーを観察しながらそんなことを考えたことを思い出す内容。 読書時間:約1時間10分
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日本社会を取りまく「困難」の空気。そして日本語に潜在的に潜む「上下」の関係。私自身が普段の人との関係の中で近頃感じていたことがこの本には書かれていました。 なるほどーという感じであっという間に読み終わりました。
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村上龍のJMMというメールマガジンで読んだ記事がすごく良くて、それ以降冷泉彰彦の著作を読むようになりました。 なぜ「上から目線」が敬遠されるのか、なぜ「目線」が気になるのかについて、日常的な会話や実際に起こった事例を引用しながら考察を深めていき、コミュニケーションのあり方につい...
村上龍のJMMというメールマガジンで読んだ記事がすごく良くて、それ以降冷泉彰彦の著作を読むようになりました。 なぜ「上から目線」が敬遠されるのか、なぜ「目線」が気になるのかについて、日常的な会話や実際に起こった事例を引用しながら考察を深めていき、コミュニケーションのあり方についての議論にたどり着きます。 コミュニケーションが困難になったことについて、「昔は良かった」的な論調ではなく、社会、経済、価値観の変化などから分析されていて、公平な印象を受けました。 似たようなトピックの本も見かけますが、一番信頼できるように感じます。
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上から目線の現代 「上からだな」。 そんなことを言われたことが何度かある。 私自身は誠実に対応していたつもりだったが、受け取った側にとってはそうではなかったようだ。 こらえつつも、そういうあんたの方が「上から」じゃないか、そう感じたものだ。 そんなやり取りの中、一体「私」と「あな...
上から目線の現代 「上からだな」。 そんなことを言われたことが何度かある。 私自身は誠実に対応していたつもりだったが、受け取った側にとってはそうではなかったようだ。 こらえつつも、そういうあんたの方が「上から」じゃないか、そう感じたものだ。 そんなやり取りの中、一体「私」と「あなた」の間には何が起きているのだろうか。 著者はその理由を、会話のテンプレートの消滅にあるとしている。 今まではとりあえずの無難な会話で、良くも悪くも「流す」事をしていた。 それが価値観の応酬になってしまい、真っ正面からぶつかり合うようになってしまったというわけだ。 なるほど、確かにそれはあるだろう。 どうやって会話を進めたらいいかわからない、でも相手の言っていることは自分とは相容れない、相手が主張するのだから自分だって主張していいはずだ..... それが互いに譲り合うことをしないものだから、双方何とも腹立たしい気分になる、というわけだ。 事はテンプレートの有無だけの単純な問題ではないだろうが、価値観を認め合う文化が創られる前に、多様な価値観だけが増大してしまったということだろうか。 著者が示す、何もかも対等であればいいというわけではない、この指摘は真っ当なものだ。 タテマエとしては、皆が平等で、誰も見下してはならないしその権利もない、ということになるのだろうが、それをやればやるほど人間関係がぎすぎすしたものになっていく。 私が私が!このやり過ぎはかえって不平等を生み出すのではないか? 「上から目線」に着目した点は斬新だ。 例示も多く読みやすい。 しかし、何もかも上から目線がもたらしたといってしまうのは、いささか乱暴な気がする。 多少同意できない点はあるものの、現代の人間関係を考察するものとしては面白い。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
社会学の中のコミュニケーション論という位置づけになるでしょうか。僕たちの会話の中から生まれる、「上から目線」や「見下された」という感覚。それらが感情的な紛糾を生むことを解き明かすような本です。最終章では、では、どうやってその「上から目線」によるコミュニケーションのうまくいかなさを解消するかという処方箋が出されています。 「上から目線」と言われれば、尊大な態度でものを言う人を思い浮かべるのではないかと思うのですが、もっとデリケートなところでも無意識的に上から目線を感じたりするようです。たとえば、本書で書かれているところでは、平和主義を唱える人が、その正しさを信じるがゆえに平和を強く訴えると、それを聴く人の中には平和主義者のその強い口調を上から目線だととらえて嫌悪し、平和主義自体も嫌悪するといった具合のプロセスがあるそうです。
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共通の空気の無い、困難な感覚。 世界観のぶつかり合い。 上下を設定しないと、会話が成り立たない日本語。 それぞれがなるほどと思わせるのだが、何故か全体を通して膝を叩く感じがしない。 ちょっとしっくりしない。
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「『会話のテンプレート』がなくなった」この現代の状況を筆者は嘆く。でも「会話のテンプレート」の影には「人生のテンプレート」があった訳で、ここから外れた人は世間から冷たい目で見られるという窮屈さがあった。これが昔。例えば「デキ婚」なんてのは一族郎党の恥とまで思われてた。逆にいい年し...
「『会話のテンプレート』がなくなった」この現代の状況を筆者は嘆く。でも「会話のテンプレート」の影には「人生のテンプレート」があった訳で、ここから外れた人は世間から冷たい目で見られるという窮屈さがあった。これが昔。例えば「デキ婚」なんてのは一族郎党の恥とまで思われてた。逆にいい年して結婚しないのも恥ずかしいことと思われていた。 実は皆が嫌がっていた旧来の価値観の押し付け。それを極力排除していって、なるべく個人のおかれた現実を尊重しましょうね、人の嫌がることに触れるのはやめましょうね、というのを推し進めた結果が今の社会な訳で(これをさらに推進した果てに「無縁社会」も生まれてしまった。これは負の結果)。 「会話のテンプレート」「人生のテンプレート」がなくなった分、生きやすくなった人も大勢いるのだし。テンプレートがなくなったことは必ずしも悪いことではないと思うのだけれど……。
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