浅草芸人 の商品レビュー
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東京スカイツリーの開業を間近に控えて、周辺の東京下町関連の ムックや書籍が多く出版されるようになった。新刊書店にも特設 コーナーが設けられている。 荷風散人を真似して墨東歩きをしていた身としては見逃せない コーナーで見つけたのが本書である。 東京一の繁華街として名を馳せた浅草...
東京スカイツリーの開業を間近に控えて、周辺の東京下町関連の ムックや書籍が多く出版されるようになった。新刊書店にも特設 コーナーが設けられている。 荷風散人を真似して墨東歩きをしていた身としては見逃せない コーナーで見つけたのが本書である。 東京一の繁華街として名を馳せた浅草も寂れて久しい。今では 外国人観光客の定番スポットという地位を保ってはいるが、かつて の輝きは失った。 そんな浅草は芸能の街であり、あまたの喜劇人・芸人を世に送り 出した。本書が取り上げるのが芸能の街・浅草で才能を開花させ た芸人たちの群像だ。 なのだが…いかんせん、対象が広すぎる。「浅草芸人」と言うより、 「日本の芸能150年ダイジェスト」になってしまっている。 著者のお笑いや芸人に対する思い入れは分かるのだが、的が 絞れていない。不勉強で著者の経歴をよく知らぬのだが、プロの 物書きにしては言葉の使い方がおかしい個所もいくつかあるのも 気になる。 芸人たちの栄枯盛衰は参考になるのだが、そこからは「浅草」と いう街の姿が一向に見えて来ないのが残念だ。 それぞれに個性の強い人々なので、こうしてにわか作り(失礼)の 新書にまとめてしまうのはもったいない。 「浅草」の文字に惹かれて読んだので期待外れだったのかもしれ ない。これから芸人や芸能ことを知ろうと思った人にはいいかも。 それでも小林信彦『日本の喜劇人』と比べてしまうのは、小林氏の 著者の方が心に強く残ったからだろうな。
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設定だけ考える 萩本は、坂上に何かの行動を強制する。坂上は素直にやってみせる。萩本はその行動にいちゃもんをつけ、何度も何度も同じことをやらせる。本来、理は坂上の方にあり、萩本が口にしているのは言いがかりに過ぎないのだが、その偏執狂的なしつこさが爆笑を生んだ。坂上は観客から「ノロマ...
設定だけ考える 萩本は、坂上に何かの行動を強制する。坂上は素直にやってみせる。萩本はその行動にいちゃもんをつけ、何度も何度も同じことをやらせる。本来、理は坂上の方にあり、萩本が口にしているのは言いがかりに過ぎないのだが、その偏執狂的なしつこさが爆笑を生んだ。坂上は観客から「ノロマなダメ男」として見られ、萩本は「坂上よりも絶対的優位に立つ男」となることでコントが成立していた
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浅草演芸の150年をコンパクトにまとめた1冊。 浅草芸人の流れがわかります。 エノケン、ロッパの浅草演芸全盛期、深見千三郎とビートたけしの師弟関係。面白かったです。
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私は浅草というところへ行ったことがない。テレビで見たことがあるくらい。 でも、話は聞いたことがある。あの萩本欽一や北野武が出てきた場所。昔からある芸人の街。 そういう浅草の歴史を、芸能という側面から語っているのが本書である。 浅草という街の歴史は、江戸時代の門前町であったとこ...
私は浅草というところへ行ったことがない。テレビで見たことがあるくらい。 でも、話は聞いたことがある。あの萩本欽一や北野武が出てきた場所。昔からある芸人の街。 そういう浅草の歴史を、芸能という側面から語っているのが本書である。 浅草という街の歴史は、江戸時代の門前町であったところから始まっているそうだ。 門前町であるから常に人が集まる。人が集まるところには商売が発生する。 その商売の中には、「芸能」の分野もあったのだ。 どんな時代でも、人は刺激を求めるものであり、人に刺激を与えたいと望む者が存在するものなのだ。 曲芸や、細工物、あるいは見世物、そういったものを他人に見せたいという願望はどこから生じてくるのだろう。芝居にしても踊りにしても、必ず「人に見せたい」と熱望する性質を持った人間が生まれてくるのだ。ことに、「人を笑わせたい」という欲望は非常に奇妙なものだと思う。 禁じられても、けなされても、人生を棒に振ってでも、「人を笑わせたい」と思うのは、なぜなのだろう。縷縷語られる芸人たちの歴史を読みながら、「業」ということを思った。 江戸時代から明治、大正と時代が下るにつれて、次々と新しい芸能の形が現れる。そこで描かれる人々はひどく猥雑でエネルギッシュで元気一杯である。 女義太夫に熱中した「どうする連」なんて、今のアキバのオタクたちとなんら変わらない。きっとその当時も顰蹙を買っていただろうなあと思うとおかしい。人のやることなんて、そうそう変わらないんだなとも思う。 大正時代には関東大震災があって、昭和初期には戦争があって、何度も浅草は潰れそうになる。でもいつのまにか誰かしらが出てきて、また息を吹き返す。 テレビ時代になるまでの内容は、歴史の教科書を読んでいるような感じがしたが(なにせまったく知らないことばかりだから)、しかしそういう過去があるからこそ今があるのだ、ということが実によくわかる。すべてがつながっているのだ。 テレビの時代になると、ちらほらと知った名前が出てくる。ああ、あの人が、そうかこの人がと思い当たることが増えて読むのが楽しくなってくる。 歴史を俯瞰して見てみると、なんとも人は代わり映えのしないものなのだなあと思う。 最近のお笑いや歌手、タレントについて、レベルが低いだの、児戯に等しいだのと嘆く向きもあるが、いつだって、最新のものはそんなふうに見えるんじゃないだろうか。 いや、いいものもよくないものも、常に入り交じって存在しているものなのだ。 昔だって、つまらないもの、受けないもの、批判されるものはあった。でもその解釈が唯一絶対のものではないのだ。時代の雰囲気というあやふやなもので、いくらでも評価は変わる。 変わるものだということを歴史が教えてくれるのだ。 私は本書のメインターゲット層にいる。狙い通りいろいろなことを考えることができて本当に面白かった。 それにしても、昔の芸人はほんとに破天荒な人が多かったんだなあ。もちろんそうでない人だっているけど。芸能を目指す人間の指向については常々考えているのだが、本当に不思議なものだと改めて思った。
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教科書的すぎて・・・非常な労作であるのは認めるが、年表的に浅草六区であったことを並べているだけなので、浅草六区によっぽど興味がないと読み進められない。芸人が好き、というだけでは読めるシロモノではない。
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