新しい時代をひらく 教養と社会 の商品レビュー
教育学の文脈から「教養教育」や「教養」を考えるのではなく、宗教、芸術、精神科学、政治学から「教養」について検討したのが本書である。個人的にはこうした作業の結果から、再び教育学ないし高等教育論の範囲の中で、分析する視点を得るために本書を手にとった。以下に引用した点はそのいくつだ。 ...
教育学の文脈から「教養教育」や「教養」を考えるのではなく、宗教、芸術、精神科学、政治学から「教養」について検討したのが本書である。個人的にはこうした作業の結果から、再び教育学ないし高等教育論の範囲の中で、分析する視点を得るために本書を手にとった。以下に引用した点はそのいくつだ。 他者から「オタク的な生き方」(p.42)をといわれないために、普遍的な人文学の知識を得るスタンスが身につけさせれれば、高等教育機関の役割は少なからずあるといえる、という仮説も持つこともできた。コミュニケーションのための作法や共有すべき前提条件が教養ともいえそうだ。論理学、文法、レトリックといってしまえばそれまでなのだが。 芸術と教養の関係について書かれた石黒義昭による第7章を読むことは、これまでの疑問点が消化されるよい機会となった。芸術を経験する理由は、日常から一旦脱し、生物として生存に直接結びつかない経験をして、自己を省みるためという。これを経て日常の意義を再考することができる。
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修養とはすぐれた知性や品性を身に着け、より高い人格を形成していくこと。特に体の鍛錬も。 教養は文化的な装いを持って博学な知識へと変わった。 ヘーゲルによれば、人間とはその本来あるべき損じあに自然になっているわけではない。それゆえ人間は教養を必要として、普遍性へと上昇していかねばな...
修養とはすぐれた知性や品性を身に着け、より高い人格を形成していくこと。特に体の鍛錬も。 教養は文化的な装いを持って博学な知識へと変わった。 ヘーゲルによれば、人間とはその本来あるべき損じあに自然になっているわけではない。それゆえ人間は教養を必要として、普遍性へと上昇していかねばならない。 教養とは自己形成。
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