見えないチカラ の商品レビュー
「あなたがやりたいことをやりなさい。」 障害のある無しは関係ないですね。 言い訳や逃げ道を見つけず、やりたいこと、やっていきたいなと思いました。
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たぶん本屋で見つけても普段は手にしない一冊だったでしょう。 突然、ボルダリングがしてみたくなり、たまたま行った近くのジムが著者のNPO法人が運営していて、たまたま著者にお会いできることがあって、二年くらい経つが(ほとんど月イチくらいしかやってませんが)、まだ続いてけてる。そんなご...
たぶん本屋で見つけても普段は手にしない一冊だったでしょう。 突然、ボルダリングがしてみたくなり、たまたま行った近くのジムが著者のNPO法人が運営していて、たまたま著者にお会いできることがあって、二年くらい経つが(ほとんど月イチくらいしかやってませんが)、まだ続いてけてる。そんなご縁で読んでみました。(書店で運命的出会いをした著者の逆ですね) ほんと著者はあってみると小さく華奢な、(失礼ですが)お猿のような、とても気さくな方で本の内容のような大きな人とは思えない感じです。 でもこの本を読んでとても、自分がいい出会いをしたのだと感じました。 「クライミング」「視覚障害」「突然の告知」「失意の底」なんかのキーワードになにか感じる方は読んでみ欲しいですね。 なにか悶々としてる方々、こういう時はとにかく動きだす。動き出せば、途中で新しい誰かやものに出会い、新しい発見があり、将来につながる何かを見つけることができるかもしれません。それが一冊の本でも。
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「あなたがやりたいことをやりなさい。やりたいことをやれば、私たちや、社会や、仕組みがあなたを支えてくれるはず」 http://www.amazon.co.jp/見えないチカラ-視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望-小林-幸一郎/dp/475722012X/ref=s...
「あなたがやりたいことをやりなさい。やりたいことをやれば、私たちや、社会や、仕組みがあなたを支えてくれるはず」 http://www.amazon.co.jp/見えないチカラ-視覚障害のフリークライマーが見つけた明日への希望-小林-幸一郎/dp/475722012X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1361159012&sr=8-1 友人で「日本おせっかい学会」http://www.facebook.com/groups/278833962188061/ の会員でもある 小梶さん(Satomi Kokaji) がサワンナケートまで、一通の手紙とともに届けてくれた、NPO法人モンキーマジック代表理事・小林幸一朗さん著「見えないチカラ」。お店の買い出しに行くバスのなかで読了したんですが、冒頭の文はその本の中で出会った文章です。 この本、読んでいてなんだか壮快だったのは、ことあるごとに括弧書きで書いてある、小林さんの心の声。それらはとても正直で、御涙頂戴的な誰かや何かになびく訳でもない強さが感じられました。自分の軸というのでしょうか、そのタフさ。そしてどこまでも楽観的で、チャレンジングな心。 あ、いま思い出しました。「タフなことは続かない、タフな人は生き続ける。」誰の言葉だったか、大学時代の友人が贈ってくれた言葉です。ほんとにそう。 自他ともに認める言葉フェチの私。そして、何度も無謀と言われた(笑)人生の選択をして、サワンナケートでカフェのオーナーになった私にとって、また、ラオスという国&ラオスの方々は、日本を含めた先進国といわれる国の人たちにとって、様々な学びを与えてくれると信じている私にとって、珠玉の言葉が溢れていました。 「星空、紅葉の鮮やかさ、新芽のやさしさ、青葉のまぶしさなどの自然の色彩が人の心を豊かにしてくれると信じ、それをたくさんの人たちに気づいてほしいと思ってきた。でも、自分がその色に気づかない視力になってしまった。」 「「自分の手で。」これが本当に大切なこと。でも、この感覚を日常の生活の中で得ることは容易ではない。」 「みずみずしい人でいたい」 総じて、人との出会いは本当に面白いなあと。そして時に、その人やその人がまっすぐに自分を見て発してくれた言葉が、誰かの人生を大きく変えたり、精神的に大きな支えになってくれる。私もそのクチです。 ところで、小梶さんが本と一緒に贈ってくれた手紙が、またencouragingで。この「見えないチカラ」とセットで読むと、元気百倍な感じでした。ご本人の承諾も得て、小梶さんの手紙は「見えないチカラ」に挟んで、Cafe Chai Deeの奥のほうにある本村貸本店サワンナケート支店に置いてあります。
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- ネタバレ
※このレビューにはネタバレを含みます
子どもの頃から、何でも長続きせず何となく過ごしてきた作者。 大学に入って出会った登山にめざめ、山一辺倒の生活となり、やがてロッククライミングの虜となり、社会人になり仕事も充実してきたころ、目に異変をきたす。 網膜の病気によりいずれ失明してしまう。と医者からいわれ、生活は一変、どん底に落とされる。 自分はこれからどうしたらいいんだろう。何をしたらいいんだろう。と問いかけて帰ってきた言葉「あなたがしたいことをすればいいんです。そうしたら私もまわりも協力することができます」この医者の言葉に勇気づけられた作者は、自分には山しかない、クライミングがしたい。という結論に達し、前を向いて進み出すと、本当に手をさしのべてくれる人がいたり、協力者が現れる。もちろん作者はあくまで手助けをしてもらうだけで、時には絶望に落ち込みながら、自分でできることは自分で少しづつ進んでいくのだ。 「ネガティブになってつい、下を向いてしまう。でも一度止まってしまったら、再び歩き出すのは大仕事だろう。だからたとえゆっくりとでも歩き続ける」 心に響く言葉だ。
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今回、小林さんの講演を聴いてきました。 ワークショップで、目を閉じた画家役が、助手の言葉のみの指示でスクリーンに映った写真を紙に描いていく…ということをやりました。 助手が一生懸命、目の見えない画家に指示を与えていくんですが、よく考えると…、助手が一生懸命指示しているその内容(画...
今回、小林さんの講演を聴いてきました。 ワークショップで、目を閉じた画家役が、助手の言葉のみの指示でスクリーンに映った写真を紙に描いていく…ということをやりました。 助手が一生懸命、目の見えない画家に指示を与えていくんですが、よく考えると…、助手が一生懸命指示しているその内容(画)は、“助手の画”を画家に描かせているだけなんですよね。つまり、“画家の画”ではないんです。寸分の狂いなく、スクリーンの画像を口頭で指示できたとしても、そこには画家本人の意思やイメージは反映されていないんです。 自分は、リハビリテーションの仕事をしています。まさに、患者さんと自分たちセラピストとの関係の縮図だなと感じました。 画を描くのは患者さん本人、その大枠を伝えてできるところまでやっていただくのが自分たち。大変になって筆が止まったり、大きくキャンパスから外れてしまった時、サポートできるのが自分たち。もっと言うと、キャンパスからはみ出しても、危険がなければ描き続けていただいてもいいのかなとも思います。大変なのは、筆が動かなくなった時です。動きがあるうちは、その動きを促したり、調整したりできるのです。しかし、完全に止まった状態つまり、描くことをやめてしまった状態から、再び画を描いてもらうことは非常に困難です。何らかの理由があってやめてしまったのですから。また、あまり依存的になりすぎて、助手の指示がないと描くことができなくなってしまっても困ります。きれいな画を描くことが目的ではないんです。その人(画家)自身が良かれと思い、描き切ったそれがまさにその人の作品なんです。 そんなことを思いました。
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