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イエスの言葉 の商品レビュー

4.8

11件のお客様レビュー

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2018/10/09

山浦先生の聖書の原語に則したケセン語への訳に目から鱗。聖書の研究者や学者が訳した、これまでの日本語訳との対比で違いも歴然。ケセン語訳(解釈の問題です)のほうが細かなニュアンスも伝わる。これをお一人で続けてこられたことに感服いたしました。

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2014/09/28

古ギリシア語から直接、日本語の、それも東北のケセン語に訳した労作で、これまでの翻訳と違い時代背景や当時の文化を元に解釈したもので、聖書がどうにもしっくりこない人にも素直に受け入れられる。

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2013/04/29

高橋源一郎の『国民のコトバ』で紹介されていた聖書のケセン語訳とその解説。イエスもガリラヤの田舎町から出てきたのだから、聖書も土着の言葉で言われたもののはず。東北の気仙沼の方言で語ることでより真実に近づけるのではないか、というのが著者の意図。f原典であるギリシア語の語彙にまで注意を...

高橋源一郎の『国民のコトバ』で紹介されていた聖書のケセン語訳とその解説。イエスもガリラヤの田舎町から出てきたのだから、聖書も土着の言葉で言われたもののはず。東北の気仙沼の方言で語ることでより真実に近づけるのではないか、というのが著者の意図。f原典であるギリシア語の語彙にまで注意を払ってその意図を推測していく。 例えば、こんな感じ。 ・初めに言があった ⇒ 初めに在ったのァ 神さまの思いだった。 ・悔い改めよ ⇒ 心ォスッパリ切り替ァろ! ・汝の敵を愛せ ⇒ 敵だってもどこまでも大事にし続げろ ・人を裁くな ⇒ 其方等ァ人の善し悪しィ語ってんのば止めろ 医者でもある著者は、イエスの奇蹟についても、現実的な解釈を与える。宗教というよりも人生訓に近いものになり、キリスト教が持つこととなった意味とは離れていくようにも思えるが、元々はそうであったということなのかもしれない。 --- ケセン語訳の試みは震災前からの仕事だが、津波に襲われた気仙沼で著者もまた被災する。「エリ・エリ・レマ・サバクタニ!」(神さまんすゥ、神さまんすゥ、何故俺ァどごォ見捨てやりァしたれ?)とのイエスの最期の叫びが頭に浮かんだという。そこで互いに協力する人々の姿にイエスの言葉を重ねる。 キリスト教とは別の、「イエスの言葉」がここにある。

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2012/11/20

岩手県気仙地方の言葉で訳された新約聖書からイエスの言葉を選りすぐったもの。ケセン語で訳されたことも心に染みる理由の1つだと思いますが,より本質的には,ギリシャ語の原義に遡り,また,様々な角度から,ことばの実質に迫る著者の新しい聖書訳語のこころみによるところが大きいと思いました。そ...

岩手県気仙地方の言葉で訳された新約聖書からイエスの言葉を選りすぐったもの。ケセン語で訳されたことも心に染みる理由の1つだと思いますが,より本質的には,ギリシャ語の原義に遡り,また,様々な角度から,ことばの実質に迫る著者の新しい聖書訳語のこころみによるところが大きいと思いました。そして,大震災・大津波を乗り越えていく著者の雄々しさとが相俟って,大変,心を打つ一冊です。とりわけ,「37 エリ・エリ・レマ・サバクタニ」(236頁)が心に響きました。

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2012/11/17

p.88  イエスがもっとも大事だと考えている、神様をお喜ばせする道は、人に対して親切を尽くす、ということにつきます。雑念などあってもいいのです。本当はこんなことやりたくないのだと腹の中では思いながら、他人を新設にするのは、不純な心でしょう。それでもいいのです。どうせ人間というも...

p.88  イエスがもっとも大事だと考えている、神様をお喜ばせする道は、人に対して親切を尽くす、ということにつきます。雑念などあってもいいのです。本当はこんなことやりたくないのだと腹の中では思いながら、他人を新設にするのは、不純な心でしょう。それでもいいのです。どうせ人間というものは不順で、よからぬ雑念のかたまりです。そんなことはどうでもいいのです。大切なことは人を新設にすること、これだけです。 p.216  いくらこちらが相手を大事にしたとしても、相手がそんなことを意にも介さず、ますますこちらを虐待しつづけるというようなことはいくらでもあるではありませんか。そんなときにはどうしたらいいのでしょう。いつまでも際限なく奴隷がご主人さまに仕えるように、相手を大事にしつづけなければならないのでしょうか。  いいえ、そうではありません。もしも相手が明らかに理不尽な要求をしつづけるなら、こちらもきちんとそれに反論しなければなりません。場合によっては正当防衛のために自分や家族を守る行動をとらなければならないこともあります。でも、そのような場合でも決して忘れてはならないのは、どんな非道な相手でも、相手にも何らかの正しさがあり、こちらにも何らかの至らなさがあり得るのだという謙虚さ、あるいは柔軟な態度でしょう。

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2012/08/02
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山浦玄嗣『イエスの言葉 ケセン語訳』文藝春秋、読了。著者は岩手県気仙沼地方で開業するカトリックの医師。四福音書をギリシア語から日本各地の方言で翻訳(『ケセン語訳新約聖書』イー・ピックス)。本書は、聖書の翻訳で考えたことを、先の震災での経験を踏まえ語ったエッセイ集。 ケセン語とは岩手県気仙沼地方の方言。イエスがケセン語、祭司が京都弁、ローマ人が鹿児島弁。キリスト教の標準日本語翻訳語を使わず、日常語で山浦さんは翻訳。西洋の思想・宗教を「借り物」ではなく、生きるしるべとして受容することの意味考えさせられる。 例えば、「わたしは復活であり、命である」は「この俺(おれ)にァ、人(ひと)ォ立(た)ぢ上(あ)がらせる力(ちから)ァある。活(い)ぎ活(い)ぎど人(ひと)ォ生(い)がす力(ちから)ァある」と訳される。 絶望の淵から立ち上がるというフレーズよりも、人は生きていくしかないというのが現実ではないだろうか。しかし出来合いの言葉や使い古された言い回しで人間は生きるものではない。聖書の訳業と厄災の中で筆者の考えた足跡は普遍的なメッセージである。 キリスト教関係者だけでなく、『ケセン語訳新約聖書』、『ガリラヤのイエシュー』と共に広く読まれてほしい一冊。普遍的なメッセージとは、平板な中央に何か公式としてあるのではなく、辺境とされる地方から烽火として「立ち上がる」ものかもしれない。 池澤直樹さんの書評「本当の心の隣にある聖書」 → http://hon.bunshun.jp/articles/-/453 東京新聞のインタビュー「方言で耳にすんなり ケセン語訳聖書に情熱燃やす 山浦玄嗣さん」 → http://www.tokyo-np.co.jp/article/living/doyou/CK2012010702000174.html 2011年7月23日、山浦玄嗣講演会「東日本大震災とどう向き合うか 被災地から見た3・11」 上智大学100周年記念: → http://youtu.be/T3ydN8juOGM ケセン語訳聖書・バチカン献呈への旅 http://www.epix.co.jp/ebook/vatican/index.html

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2012/06/05

東日本大震災後に発行された、ケセン語(岩手県気仙地方のことば)で訳された聖書の抄録。方言で語られる言葉は、体に直結していてわかりやすいし、リズムも楽しい。合間あいまに語られる震災後の状況は苛酷で改めて震災の恐ろしさを実感する。そのような状況を、宗教という後ろ盾を持つ著者がどう受け...

東日本大震災後に発行された、ケセン語(岩手県気仙地方のことば)で訳された聖書の抄録。方言で語られる言葉は、体に直結していてわかりやすいし、リズムも楽しい。合間あいまに語られる震災後の状況は苛酷で改めて震災の恐ろしさを実感する。そのような状況を、宗教という後ろ盾を持つ著者がどう受け止めてきたのかも興味深い。ただ!やっぱり私はキリスト教は肌に合わない。キリスト教が、というよりも多分一神教が私の思考回路になじまない。神様は人間が理解できる形はしていないし、人間が理解できる言葉は発しない、と思っていて、それをイエス・キリストの言葉を手がかりとして自分なりに追求するのならいいのだけれど、一人意思のある神様がいる、と思ったらそれは違うと思ってしまう。人智を超える存在を信じればこそ、神様を人間の理解できる範囲で考えてしまう危険を考える。宗教的な思考というのはとても大事だし、なぜ人間に宗教、信仰は必要かということは大事な視点。宗教は怖いという先入観は持つべきではないと思うけど、盲信はしてはならないと思う。この本が盲信しているとは思わないけど。でもやっぱり「神様におまかせする」のは私にはムリ、と再認識しました。

Posted byブクログ

2012/05/02

世界で一番読まれている本である「新約聖書」。その新約聖書は英語や日本語など様々な言語に翻訳されている。本書で紹介されている「ケセン語」は初めて聞く。どの国の言葉なのか、と思ったら、宮城県気仙沼地方の方言である。本書はそのケセン語にて聖書を翻訳しているユニークな一冊である。

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2012/02/23

聖書を読んでいても イマイチ腑に落ちない部分が多いのですが 分かりやすく書かれています。 聖書は、恥ずかしながら全部読んではいません。 新約の4福音書はまあ何とか・・・残りは飛び飛び。 旧約は、最初の創世記・出エジプト記は お話のように読みましたが、 だんだん厳しい言葉が並ぶと...

聖書を読んでいても イマイチ腑に落ちない部分が多いのですが 分かりやすく書かれています。 聖書は、恥ずかしながら全部読んではいません。 新約の4福音書はまあ何とか・・・残りは飛び飛び。 旧約は、最初の創世記・出エジプト記は お話のように読みましたが、 だんだん厳しい言葉が並ぶとね~ この作者はお医者様。 新約聖書の福音書をケセン語、岩手県気仙地方の ことばに訳して発表されたかたです。 昨年3月の東日本大震災で被害を受け、この本の中にも イエスの言葉とともにそのことにも触れている箇所があります。 一からギリシャ語を学ばれ、易しく読み解かれています。 訳が正しいのかどうかは私には分かりませんが ただ、書かれていることはストンと胸に落ちました。

Posted byブクログ

2012/01/30
  • ネタバレ

※このレビューにはネタバレを含みます

我々の魂までは流されない…イエスは言います。 「おい、元気を出せ、この生き死人め。この俺は死んでもまた立ち上がったのだぞ。その俺がついているんだ!さあ涙をふけ。勇気を出して、いっしょにまた立ち上がろう。お前のやるべきことが、そら、見えるだろう!」

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