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徒然草REMIX の商品レビュー

3.6

18件のお客様レビュー

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2024/03/29

吉田兼好が、徒然草のなかで、老人は老人らしく!田舎者は田舎者らしく!など身の程や分を弁えろとやたら言ってるのは、 時代的(鎌倉時代末期)に鎌倉武士が力を持って貴族の真似事をして、後醍醐天皇周辺では朝廷に権力を取り戻すべく武張った空気が横溢していたから。それを嫌悪した…なるほど! ...

吉田兼好が、徒然草のなかで、老人は老人らしく!田舎者は田舎者らしく!など身の程や分を弁えろとやたら言ってるのは、 時代的(鎌倉時代末期)に鎌倉武士が力を持って貴族の真似事をして、後醍醐天皇周辺では朝廷に権力を取り戻すべく武張った空気が横溢していたから。それを嫌悪した…なるほど! 徒然草は自慢を忌み嫌うけど、徒然草自体が自慢の書…だよね うん、吉田兼好って、今生きてたらTwitterやらnoteやらやってただろうな 清少納言との対談もクスッと面白かった

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2021/01/30

酒井さんによる古典の解釈本は分かりやすいし、目のつけどころが面白い。兼好法師と清少納言の架空の対談によって、『徒然草』と『枕草子』の対比がよく割るし、それぞれの理解も深まって、良い構成。『枕草子REMIX』も読んでみたくなった。

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2021/01/06

堅苦しくなくて面白い。清少納言と兼好法師の対談があったり、巻末には兼好ゆかりの地を巡る旅行記があったり。

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2016/05/20

「徒然草」を全て読んだことがある人は少ないと思う。改めて読むには「古典」というハードルが高い。「徒然草」を通じて、兼好法師はこんなことを言いたかったのでは、こんなふうに考えていたのではと紹介してくれているのがこの本だ。また「枕草子」と比較して、言葉の意味の違い、時代の違い、男女で...

「徒然草」を全て読んだことがある人は少ないと思う。改めて読むには「古典」というハードルが高い。「徒然草」を通じて、兼好法師はこんなことを言いたかったのでは、こんなふうに考えていたのではと紹介してくれているのがこの本だ。また「枕草子」と比較して、言葉の意味の違い、時代の違い、男女で相違があることが面白く書かれている。

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2015/01/10

大変わかりやすい徒然草解説です。 学校で習ったときは、坊さんが書いた枯れた随筆くらいに思っていましたが、それほど「あるある」とか「わかるわかる」と共感して読んだ覚えもありません。 でも酒井順子の書く吉田兼好みたいな人は、この先絶滅するかもしれませんが、今ならまだかろうじて周囲に...

大変わかりやすい徒然草解説です。 学校で習ったときは、坊さんが書いた枯れた随筆くらいに思っていましたが、それほど「あるある」とか「わかるわかる」と共感して読んだ覚えもありません。 でも酒井順子の書く吉田兼好みたいな人は、この先絶滅するかもしれませんが、今ならまだかろうじて周囲に見つけることができます。 「オレがオレが」と前に出てくる人が嫌い。 成金趣味でごてごて飾り立てたり、多く持っていることで安心するような人が嫌い。 年寄りが若者にこびているのが嫌い。 田舎者が嫌い。 無関係なことに頭を突っ込みたがる人が嫌い。 お坊さん=仏様にお仕えする人=包容力がハンパない人 というイメージがありましたが、兼好さんはもうかなりの偏屈ジジイです。 その偏屈が、なぜ現在に至るまで読まれ続けているのかと言えば、兼好が書いていることって少数派の意見のようですが、実は多くの人も心の中で思っていることだからなのではないかと思います。 先に、学校で習ったときは共感しなかったと書きましたが、今回は共感しまくりです。 もちろん時代が違いますから、階級社会に疑いを持つこともなく暴言を吐く兼好に賛同はしませんが、自己アピールなんてしなくても周囲にその才能を認められ、センスのいいものを少しばかり持つ品の良さを保ち、己の分を弁え、一本筋の通った生活をしたいと少なくとも私は思います。 でも、そんな生き方している人ってそうそういないでしょ。 アピールしなかったらそもそも見つけてもらえないし、センスに自信がないし物欲には限りがないし、己の分がどの程度かわからないし、筋の通った生活をしようにも世の中が煩雑すぎます。 だから出家しなされ、と兼好は言いますが、だからそれが無理なんだってば。 兼好の主張を理解はできますが、実行はできない。 そんな人ばかりが世の中に溢れていたら、そりゃあ、兼好も偏屈になりますわね。 人里離れた山奥に庵を結んでいるのに知人が訪ねてくるのは、うるさいなあ。 人里離れた山奥に庵を結んでいるのに知人が訪ねてきてくれるのはありがたいなあ。 人里離れた山奥に庵を結んでいるけど、今日みたいな日は誰か来てくれないかなあ。 人を拒んでいるようで、案外とさびしがり屋のところもあったりして、ラブリー偏屈ジジイです。 が、書いていることは過激です。 「人間、やっぱり容姿でしょう」(生まれも含む) 「男が持つべきでないもの、それは妻」 「死んだ後に財産を残すような奴は、バカだね」 「貪るばかりで仏道へ進まないものは、畜生と同じ!」 「過去の逢瀬をしのぶ時間っていうのが、恋の真髄じゃない?」 こんな感じで酒井順子が兼好法師を訳してくれます。 そして、もう一人。 「枕草子」を書いた清少納言が時々出てきて、平安時代と中世の違いを語ってくれます。 兼好法師と清少納言の夢の対談。 偏屈ジジイの吉田兼好より、清少納言の方が懐が深いというか、世の中のあれこれを楽しむ達人のように思われます。 これは時代のせいなのか、男女の差なのか、個人差なのかはわかりませんが。 ああ、個人の差というのは確かにありそうです。 自分の生きてきた世を、悲しい出来事辛い時期があったことも含めて、清少納言は肯定しているように思いますが、吉田兼好はとにかく来世の幸せのために現世を生きているようなところがあります。 そんなことを考えながら、もう一度原典に当たるのもいいかもしれません。 おまけに「枕草子」も読みたくなります。 大百十六段 「寺院の名や、その他色々なものに名をつける時、昔の人は少しも趣向をこらそうとせず、ただありのままに、簡単につけていた。この頃のネーミングというのは、やたらと凝って考えて、才覚をひけらかそうとしているようで、いやったらしいものだ。人の名にしても、珍しい文字を使ったりするのは益のないこと。何においても、浅学の人というのは、珍しい事を求め、異説を好むものなのだなぁ……」 懐古趣味の鬼、吉田兼好の面目躍如の文章ですが、きらきらネームを思い浮かべて爆笑してしまった。 きらきらネームの種は、こんな昔に蒔かれていたのだなあ。

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2014/06/23

『徒然草』の解説書とでも言うべき一冊。 よほど兼好に心酔したのでなければ、これを読んでおけば古典の知識としては充分、原文も現代語訳も読まなくて良いのでは?と思った。 同じ随筆文学として清少納言の『枕草子』と比較し、吉田兼好を清少納言と対談させてたりなど、趣向としてはなかなか凝っ...

『徒然草』の解説書とでも言うべき一冊。 よほど兼好に心酔したのでなければ、これを読んでおけば古典の知識としては充分、原文も現代語訳も読まなくて良いのでは?と思った。 同じ随筆文学として清少納言の『枕草子』と比較し、吉田兼好を清少納言と対談させてたりなど、趣向としてはなかなか凝っていて面白い。 『枕草子』や『源氏物語』についても同様の著作があるようなので、そのうち読んでみようと思う。

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2013/09/08

現代語にするだけで枕草子も身近な人に感じられるからフシギ。春はあけぼの~が夜遊び後だったとは!そしてその時間まで人を寄せ付ける枕草子は魅力ある人だったのしょう。

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2013/08/24

「おれおれ、おれってなんかオーレ!」 鎌倉時代を代表する古典文学『徒然草』を自らもエッセイストである著者が読み解く。近著『枕草子RIMIX』から清少納言も参戦して、三つ巴の(?)エッセイスト談義が展開。 兼好法師が「心にうつりゆくよしなし事」を綴った心境は 現代のツイッター...

「おれおれ、おれってなんかオーレ!」 鎌倉時代を代表する古典文学『徒然草』を自らもエッセイストである著者が読み解く。近著『枕草子RIMIX』から清少納言も参戦して、三つ巴の(?)エッセイスト談義が展開。 兼好法師が「心にうつりゆくよしなし事」を綴った心境は 現代のツイッターやフェイスブックに 思いを吐露する人々の心理に似ているとする酒井さん。 俗世を捨てた出家の身でありながら その心に浮かぶことは十二分に世間に読まれることを意識したものであり そこに「おれの存在」がしっかりアピールされていることを見逃さない。 〈「俺って都会人だから」 「自慢しない俺ってすごいだろう?」 「俺って渋い考え方してるだろ?」 「こんなに教養豊かな自分」 「こんなに人間関係のツボを心得ている自分」 「こんなに来世のことをしっかり考えている自分」 「自分はこんなに正しく真実のみを見て、正しいことを書いているというのに、 世間のやつらはバカばっかり!」〉 徒然草には 「大根の恩返し」とか 「栗しか食べない女」とか 「だからそれがどうした?」な話も入っているのだが そういう話をさりげなく入れていることも含めて 兼好の徒然草は「おれ自慢」の文学なのだ。 そもそもエッセイとは自慢話をひけらかすこと、だという。 酒井さんは徒然草を語るこのエッセイもまた 「私はこんな風に一味違った観点から徒然草を読んでいてよ。どう?」 という自慢であると言い切る。 人間は基本的に自分LOVEなのだと思うけれど 自分自慢ってしたいと思っても実際することは憚られるじゃないか、普通。 まあ、おれ自慢も数百年ごしならもはや潔いってことで。

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2013/03/09

徒然草を、ちゃんと読んだことがなくても楽しめる。訳本ではなく、今のメディアとからめて解釈しているのが面白い。

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2012/07/26

酒井順子さんの徒然草の面白解説本風エッセイ。新幹線や飛行機での時間つぶしにはぴったりの本。古文でつれづれなるままにひぐらし、、、、の部分だけかじって全編を読んでる人はまずいないとおもうのでなかなか興味深く読めるはず。

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