臨床医学の誕生 の商品レビュー
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フーコーの難解さのひとつはその記述にあって、何々ではなく、何々でもなく、何々である、とか言われているうちに、文脈じたいを見失い、それが肯定なのか否定なのかすら判らなくなってしまうのだ。おまけに文献の読み込みが徹底しているので、誰の考えなのか整理するのだけでもたいへんだ。 そんな訳で今回は途中大胆にはしょって、終章に至る已む無しとしたが、この結論は重要である。18世紀末の解剖=臨床医学の確立は、「まなざしとことば」「見えるものを言うこと」という実証主義科学が人間生命を支配する構造を産み出したというそのことなのである。
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フーコーの歴史記述は、フランスを中心とした中央ヨーロッパの、特に18世紀付近を得意としたもので、無数の史料を縦横無尽に駆使して執筆する姿は圧巻だが、われわれ日本人にとっては全くなじみのない歴史資料を用いて描写された、他文化の歴史である。けれどもそれは、不思議と知的興奮をかきたてる...
フーコーの歴史記述は、フランスを中心とした中央ヨーロッパの、特に18世紀付近を得意としたもので、無数の史料を縦横無尽に駆使して執筆する姿は圧巻だが、われわれ日本人にとっては全くなじみのない歴史資料を用いて描写された、他文化の歴史である。けれどもそれは、不思議と知的興奮をかきたてる。 この本は『狂気の歴史』より後に書かれたもので(1963)、『狂気の歴史』よりやや広範囲にわたる「臨床医学」をテーマとしているが、『言葉と物』のように広範すぎて対象が茫漠としている印象もない。 ここでもやはり、18世紀末頃のフランス革命の時代をターニングポイントとして、人びとの知のパラダイム転換が起きたことを例証している。 「西洋医学」なるものの近代以前の姿は、今のわれわれには滑稽でもあるが、どのような知的枠組みがそれを支えていたのか、とフーコーは私たちに考えさせる。 『医学というものはおそらく、ルネサンス以来、ある一つの学問をたった一つの知覚野の上に築こうとした最初の試みであり、ある実践を、まなざしの行使のみの上に築こうとした最初の試みであろう。」(P.158) この本はまさに医学的な「まなざし」を主題としたものだ。 そして、死体解剖の再認識により、近代医学は「死」から逆に「個人」を発見していくことになる。こまりこれは、医学に留まらない、おおきな文化史的な転回点を示している。 相変わらずフーコーは刺激的だった。何か読み返したくなった。
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