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『善の研究』の百年 の商品レビュー

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2012/06/20

『善の研究』刊行百周年を記念しておこなわれたシンポジウムの記録。16人の執筆者による論文が収録されている。目を引くのは、外国の研究者がその内の6人を占めていることだ。西田哲学が世界的な評価を受けるに値する思想的遺産なのだということに、あらためて気づかされる。 海外の研究者の関心...

『善の研究』刊行百周年を記念しておこなわれたシンポジウムの記録。16人の執筆者による論文が収録されている。目を引くのは、外国の研究者がその内の6人を占めていることだ。西田哲学が世界的な評価を受けるに値する思想的遺産なのだということに、あらためて気づかされる。 海外の研究者の関心は、西田哲学の宗教哲学的な側面に向けられることが多い。本書に収録されているA・レオナルドは、おそらくはキリスト教の立場に立って、西田の宗教哲学を批判している。『善の研究』では、西田はキリスト教神秘主義の思想に比較的高い評価を与えていた。ところが晩年の宗教哲学では、超越的な神の他性が否定され、無数の個がたがいに映しあう開かれた場所としての「無」のほかには何も存在しないという立場が採られるようになる。レオナルドは、こうした晩年の宗教哲学が、禅に代表される日本の宗教経験を普遍化してしまっていると批判している。 他方、こうした宗教哲学の積極的な側面を見ようとするのが廖欽彬の論文である。彼は、晩年の西田の「絶対矛盾的自己同一」の思想が、絶対(神や仏)と相対(人間や衆生)とが無媒介的・直接的に結合されるのではなく、否定を介した「逆対応」的な関係で結ばれていることを指摘する。こうした発想は、戦後の田辺の宗教哲学によって、人間社会の中での教化救済という、より具体的な議論として展開されていったと主張される。 林永強と朝倉友海は、中国の伝統思想と西洋哲学のはざまで思索をおこなった「新儒家」と呼ばれる思想家たちの思想と西田哲学を比較している。西田と新儒家の思想家たちは、ともに西洋哲学が理論的考察にとどまっている点に不満を抱いて、より実践的な色彩の強い思想を構築した。だが林は、新儒家の思想家たちが彼らの実践哲学を政治思想にまで拡張していったのに対して、西田哲学には政治的なものへの関心が希薄だという違いがあると指摘している。一方朝倉は、両者の思想の接点を仏教的存在論に見いだそうとしている。 そのほか、『善の研究』の「意志」の概念を批判的な立場から検討するJ・ハイジックの論文や、西田哲学を「多文化哲学」の時代に重要な意義を果たしうる可能性を説いた遊佐道子の論文などが収められている。

Posted byブクログ