続 米川千嘉子歌集 の商品レビュー
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初めの「たましひに着る服なくて」を読み了える。 子育てはそれぞれ個性があり、その点も楽しんで読んだ。 夫の科学者・歌人、坂井修一の研究者としての奮闘ぶりを、伺わせる作品もある。 夫・1人子との3人家族を淋しむような歌、1女性としての悲しみを詠むような歌がある。 父が病み(わが子、つまり孫との交流もあった)、介護の歌、亡くなってもの恩愛を詠む。 2冊目の「一葉の井戸」を読み了える。 夫と夢を語り合い、家族3人で未来を語り合うなど、家庭的に幸せそうだ。 しかし1人子と2人きりのときの淋しさ、娘・妻・母・歌人として依然忙しく、疲労の溜まったような歌(五枚の紙のやうにて朝のわたくしはホチキスで強く止めねばならず)他がある。また常とちがった子ども感(春雪のなかの羽毛を拾ひくるこの子を生みしさびしさ無限)も詠む。 歌論と解説を読み了える。歌論のみ挙げる。 「近代、二つの母子の歌 ―与謝野晶子と今井邦子」。12人を生んだ与謝野晶子が、出産の苦等を題材にした歌集「青海波」を残しながら、「生む性と母である命を肯定したのである。」とする。 一方、今井邦子の歌集「片々」について、「一対一で子供に向き合う孤独を読みとるならば、邦子の歌はここでもあらためて現代的である。」とする。翌年の「光を慕ひつつ」では、「子供の成長とともに少し落ち着いてくる母の境地が生まれていて」と書く。自然な母性本能を信じる旧い思い込みに、反発があるようだ。 「与謝野晶子をどう読むか ―述懐の文体と喩の魅力」。与謝野晶子の暗い歌を引きながら、中期以降の述懐の文体と共に、終生衰えなかった喩への情熱を挙げる。 「岡本かの子と日中戦争」については省く。 「『濁れる川まで』 ―空穂の律と心への試行」。師系を辿って、馬場あき子、窪田章一郎、窪田空穂(馬場あき子の在籍した「まひる野」の創刊時・主宰)まで、辿り得る。窪田空穂の「濁れる川」までの初期の歌集を、歌に寄り添い、丹念に読み解いている。
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