江戸の本屋と本づくり の商品レビュー
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※このレビューにはネタバレを含みます
本の世界を「つくる」「売る」「読む」という一連の行為の所産として見ようとすると、それぞれが独立した動きではなく相互に関連しあっていることに気づく。とくに「読む」という行為は、文字面を追うという意義だけでなく、書物を集め保存し「伝える」という行為に他ならない。その関連づけをしてきたのは、こうした本やの古本部門が果たしていた機能によるところが大きい。それは書物とは何なのか、どうあるべきかという共通した意識、いわば書物観が、本を「つくる」ところから、次世代に「伝える」ところまで一貫していたからだろうと考えられるのだ。(p.52) よほど大当たりしないかぎり儲からない仕事だが、それでも本を出し続けた彼らの自意識とは何だったのだろうか?社会的使命などという大げさな意志があったわけでないし、といって、たんに家業を継いだからという消極的な動機だけでもなかっただろう。そこに本にかかわって生きていくことへ駆り立てる何かがあったから、というしかない。それこそが、現代の出版人たちが抱く志、古本屋の意地、さらには広範な読書人のこだわりに通底している心境だろう。(p.140) 江戸の書物の特性のひとつは、本屋の集団性にあった。大は本屋仲間、小は相板の講である。それらが時期的に別の集団に移りながら、書物は再板・増刷されてきた。現代、手元に残っている江戸版本が、こうした長い流れの中のどのものかということを調べる、「位置情報」の大切さを理解してもらえただろうか。(p.182) 日本には文字紙を焼くための施設も信仰もない。出版を禁じられ、板木を焼き捨てる焚書のようなこともなかった。むしろ、古写本に高い価値があると思われてきた。その伝統もあって、江戸時代の写本の多くが、そのまま今日まで残ったのだとわたしは考えている。(p.190) 単純に「読む」という行為は、誰かがつくった書物をとおして作者のテクストを読み解くことなのだ。その過程で、作者の意図とは関係のない伝わりかたもおこる。「著者は本を書くのではない。テクストを書くのであり、他の者たちがそのテクストを印刷物に変貌させるのである」(ロジェ・シャルチエ『読書の文化史』福井憲彦訳)(p.220-221) 今では古書に書き込みがあるといやがられるが、江戸時代までは逆だった。むしろ書き入れをすることで、より成長した書物になる。それが次の読者を呼び、影響力を増すことにつながる。読者も書物を後世に残す努力を積み重ねたのだ。(pp.222-223)
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参考にしようとしていた貸し本屋に関する記述は少なかったが、江戸時代の本に関する知識は充分に得られたと思う。 著者の「和本」にかける情熱が感じられた一冊であった。 最後にはちゃんとデータなど示しており、いかに著者が「和本」に対して精通しているか感じられた一冊であった。 中に...
参考にしようとしていた貸し本屋に関する記述は少なかったが、江戸時代の本に関する知識は充分に得られたと思う。 著者の「和本」にかける情熱が感じられた一冊であった。 最後にはちゃんとデータなど示しており、いかに著者が「和本」に対して精通しているか感じられた一冊であった。 中には難しい記述もあったが、現代の本の世界にも通じる用語などが書かれていて参考になった。 いかに江戸時代の人たちが本好きであったかわかる一冊である。
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・橋口侯之介「江戸の本屋と本づくり 【続】和本入門」(平凡社ライブラリー)はその書名通りの続編である。ただし、「本書では、ものとしての書物を見るだけでなく、本を売る立場の視点、読者の側の見方などに力点を置いた。背景にあった本にかかわった人たちのメンタルな側面を明らかにしたいという...
・橋口侯之介「江戸の本屋と本づくり 【続】和本入門」(平凡社ライブラリー)はその書名通りの続編である。ただし、「本書では、ものとしての書物を見るだけでなく、本を売る立場の視点、読者の側の見方などに力点を置いた。背景にあった本にかかわった人たちのメンタルな側面を明らかにしたいという動機から書いた。」(277頁「平凡社ライブラリー版あとがき」)とある。最近流行りの読者論、読書論以前の本屋と本作り、つまり本を作つて売る人達のことを考へようといふのである。少なくとも、これまでの書誌学にかういふ視点は欠けてゐた。もしかしたら、著者橋口氏が古本屋だからこそ出てきた視点かもしれない。 ・第一章は「和本はめぐる」と題されてゐる。副題は、復元、江戸の古本屋である。なぜ新本屋ではないのか。「江戸の古本屋というときは、当時の本屋の一営業部門を指」(19頁)し、当時の「書物文化を総合的にとらえるためにぜひ知っておきたいこと」(20頁)だからである。江戸の本屋は新本も古本も売つてゐたのである。のみならず貸本屋も兼業し、更には版木まで扱つてゐた。本屋は、本を作つて、売つて、貸して、そして買つて、現在からは考へられないほど広い営業範囲をカバーする「書籍の総合商社的存在だった。」(19頁)のである。その貸本と古本、私は知らなかつたことである。行商的な貸本屋がある一方で大規模な貸本屋もある。これで貸本は間に合ふと私は思つてゐた。さうではなかつたらしい。顧客の要望にすべて応へるには新本販売だけでは無理といふことであらう。だから、新本で用意できなければ古本を売り、時には貸本にも応じる。古本を扱ふ理由もここにある。さうして今一つ、これもまた私は知らなかつた。第五章「写本も売り物だった」(183頁)、さう本屋は版本だけ売るのではなかつた。写本もまた商品だつたのである。私は写本は所謂古写本が中心で、江戸に入ればほとんどが版本になつて流通してゐたと思つてゐた。ところがさうではないのである。版本にできない理由はいろいろある。売れないから商売にならない、禁書である等々、かういふ場合は写本にするといふのである。活字版といふ手もあつたらしいが、写本の方が手軽である。原本を写し、その写本を写しで禁書も広がつていく。少部数でも金がなければ写本にする。きちんと製本すれば安上がりに商品となる。そんなわけで、江戸の本屋には写本がかなりあつたらしい。第五章の最初の小見出しは「現代に残る写本の多さ」(同前)といふ。正編「和本入門」では「版本に重きを置いて述べた。」が「それでは和本の半分しか語っていないことになる。」さう、「江戸後期になっても、写本が数多くつくられていた。」(同前)のである。これは驚きであるが、無知も甚だしい。実は手元に1冊だけ写本がある。新しさうである。かういふのもその1冊といふことにならうか。これがいかなる来歴を持つのか全く不明だが、何人かによつて書写されて流通し、私の手元に来た。私は現代の古本屋で買つた。江戸の古本屋はかういふ書を歴とした現役の商品として扱つたのである。その延長線上にあるはずの「貸本屋は写本も貸した」(207頁)といふこと、その結果、「写本の豊かな広がり」(194頁)が生まれ、「写本の影響力は大きかった」(203頁)といふことになる。かういふ写本の世界を初めて知つた。先の古本とともに、江戸の本屋を現代の本屋から考へてはいけないと知つた。現代は分業の時代、江戸は総合の時代、だから版本を作つて売るのは当然として、写本や古本も売り買ひし、貸し出した。こんな豊かな本屋の世界がここにある。
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